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2015年08月17日16:09

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自分に繋がるひとたち、

終戦(停戦)の日を前に語られた安倍首相の談話、
安倍談話と称されるであろうその談話は、
ウチの解釈と理解で言う限り、
あれ以上は望みようがないほどまとめられ、
隙のない談話だと思います、

先の民主政権は散々でしたが、
今、こうして政治のトップからこういう言が届くようになったのは、
単に経済政策の成果よりも、
胃の腑に落ちる感しきりです、

安倍談話については短いですが、上記でまとめておきます、
タイトルにしている自分に繋がる〜ですが、

ウチは昭和45年生まれ、西暦だと1970年生まれです、
3歳の時オイルショックに遭遇し、
物心ついた頃、時代はスーパーカーブームでした、

その時代に生まれ育ち、教育を受けたので、
俗に言う自虐史観にしっかりと染まっていました、

戦前戦中の日本人は残虐で冷酷な民族だったと、
本気でそう考えていました、

ただ実際戦地に赴いた祖父や近衛兵をしていた、と誇りにしていた祖父もおり、
教育で学んだ戦前戦中の人物像と、
実際接した人物との差異があまりに大きく、
違和感をぬぐえずにはいました、

現代、愛校心や愛社精神、郷土愛については、
何も影の支配者や見えない独裁者の印象はありませんが、
愛国心、と言うと見えない支配者や恐怖の独裁者の影を感じます、
それが戦後、連合国によって行われた敗戦国日本に対する事実上の洗脳だったことは、
だいぶ歳を食ってから知ったのですが、

ウチが察し測りかねていたのは、
大東亜戦争の時代の日本人の考え方、と言うより、
人間性や価値観と言ったものについて、
理解や判断ができなかったところです、

これから書く内容は、あくまでウチ個人の主観に基づく感情論なので、
この日記を読んでいただいた方に、何らかの切っ掛けや、
時代を推察する一つの視点になれば幸いです、

10年ほど前に、激戦地で戦死した戦友を、
追悼するため旧激戦地に赴く元帝国軍人を取材した文がありました、

その中で再び日本の土を踏めなかった戦友に、
手向けとしていくつか食べ物や飲み物、つまりはお供え物を用意していたのですが、
そのお供え物の中に、「ミルクセーキ」があったのです、

ウチのミルクセーキの印象とは、
自販機にたまにあるけど、あまり売れていなさそうな銘柄、
いったい誰が買っているんだろう、
と不思議に感じる飲み物、と言った印象しかありませんでした、

飢えと渇きの中で斃れた戦友に飲み物や食べ物、お酒を供える心情はわかります、
しかし、なぜミルクセーキなのか、
その選択がどうにも理解できませんでした、

理解できなかった処が完全に理解できるようになったのは、
単純なのですが、ミルクセーキの原料を知ったときです、
恥ずかしながら、それまでミルクセーキが何で作っているのか知らなかったのです、

ミルクセーキの材料は卵(卵黄)と牛乳、それと砂糖で作られています、

その原料を知ったとき、疑問は氷解しました、
その時代、考えられる最高の贅沢な飲み物だったんだ、と、

当時、卵は病人にでもならねば、食べる機会もない、
貴重で贅沢な食べ物でした、
そして牛乳は流通量が桁違いに少なく、社会的なインフラも不十分だった時代、
その貴重で入手の困難さ、察するに余りある贅沢品です、
その上、砂糖をふんだんに使った飲み物など、
あの当時、考えられる最高に贅沢な飲み物だったのだ、

今は亡き戦友に供えるものは、
考えられる最高の物を持って行こう、とあの老人は用意していたのです、

ウチ個人の余談になりますが、
遠方の友人宅に赴くとき、手土産に、と良いと思う日本酒を買いました、
自分用と手土産用に2本買いましたが、
些細なレベルですが、一本のお酒のラベルに傷が付きました、
ならば、と傷の付いた方を自分用にし、
無傷の方を手土産にして持っていきます、

旧激戦地に追悼に赴く老人は、
ウチとは縁も所縁もない赤の他人ですが、
こういった価値観と言うか、判断基準と言うか、
考え方の根底のところに、繋がりがある、と痛感しました、

もちろんミルクセーキを供え物にしたのは、
その個人の考え方であって、それが最上なのか、と言った論はさておき、
戦地に赴き、戦った科の時代の日本人は、
自分と何も変わらない、同じような考え方をした、
自分に繋がっている人たちなのだ、と、

たったこれだけの事で断定や結論を出すのは拙速かも知れませんが、
少なくともあの時代の日本人が嗜虐的で、冷酷だったと言うのは、
作られたものだ、と断定し、ウチの考え方は今に至ります、

この日記が戦前戦中の日本人と、
戦後を生きる日本人に、大きな違いはなく、
今の日本人に思考や価値観のレベルで共有できる、
今に繋がっている日本人なのだ、と、
違和感や隔たりを感じている方に、
隔たりの垣根を下げてゆく一助になれば、
ウチとしては至上の幸いです、
長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。


■安倍首相の戦後70年談話全文
(朝日新聞デジタル - 08月14日 19:56)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3566834

8月は私たち日本人にしばし立ち止まることを求めます。
今は遠い過去なのだとしても、過ぎ去った歴史に思いをいたすことを求めます。

 政治は、歴史から未来への知恵を学ばなければなりません。
戦後70年という大きな節目にあたって、
先の大戦への道のり、戦後の歩み、20世紀という時代を振り返り、
その教訓の中から未来に向けて、世界の中で日本がどういう道を進むべきか、
深く思索し、構想すべきである、私はそう考えました。

 同時に、政治は歴史に謙虚でなければなりません。
政治的、外交的な意図によって歴史がゆがめられるようなことは決してあってはならない、
このことも私の強い信念であります。

 ですから談話の作成にあたっては、21世紀構想懇談会を開いて、
有識者のみなさまに率直、徹底的なご議論をいただきました。
それぞれの視座や考え方は、当然ながら異なります。
しかし、そうした有識者の皆さんが熱のこもった議論を積み重ねた結果、
一定の認識を共有できた、私はこの提言を歴史の声として受け止めたいと思います。
そして、この提言のうえにたって歴史から教訓をくみ取り、
今後の目指すべき道を展望したいと思います。(以上、記者会見での冒頭発言)

     ◇

 終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、
戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、
その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。

 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。
圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。
その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。
アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。
日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、
民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。
この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。
人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。
戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。

 当初は、日本も足並みを揃(そろ)えました。
しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、
経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。
その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、
力の行使によって解決しようと試みました。
国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。
こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

 満州事変、そして国際連盟からの脱退。
日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした
「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。
進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

 そして七十年前。日本は、敗戦しました。

 戦後七十年にあたり、国内外に斃(たお)れたすべての人々の命の前に、
深く頭(こうべ)を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫(えいごう)の、哀悼の誠を捧げます。

 先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。
祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。
終戦後、酷寒の、あるいは灼熱(しゃくねつ)の、遠い異郷の地にあって、
飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。
広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、
沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。
中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、
戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜(むこ)の民が苦しみ、犠牲となりました。
戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。
歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈(かれつ)なものです。
一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。
この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。

 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。

 事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、
国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。
植民地支配から永遠に訣別(けつべつ)し、
すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。

 先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。
自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、
ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。
七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、
この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

 我が国は、先の大戦における行いについて、
繰り返し、痛切な反省と心からのお詫(わ)びの気持ちを表明してきました。
その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、
台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、
戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

 こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

 ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、
家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛(つら)い記憶は、
これからも、決して癒えることはないでしょう。

 ですから、私たちは、心に留(とど)めなければなりません。

 戦後、六百万人を超える引き揚げ者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、
日本再建の原動力となった事実を。
中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、
無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。
米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、
長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。

 戦争の苦痛を嘗(な)め尽くした中国人の皆さんや、
日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、
それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、
いかほどの努力が必要であったか。

 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

 寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。
戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、
すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。
あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、
そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。

 しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、
過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。
謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

 私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、
貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。
そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。
それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、
敵として熾烈(しれつ)に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、
本当にたくさんの国々から、恩讐(おんしゅう)を越えて、
善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

 そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。
歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、
アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。

 私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。
だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、
力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。
この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。
唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、
国際社会でその責任を果たしてまいります。

 私たちは、二十世紀において、戦時下、
多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、
この胸に刻み続けます。
だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。
二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、
世界をリードしてまいります。

 私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。
だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意(しい)にも左右されない、
自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、
世界の更なる繁栄を牽引(けんいん)してまいります。
繁栄こそ、平和の礎です。
暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、
自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。

 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。
だからこそ、我が国は、自由、民主主義、
人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、
その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、
世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。

 終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、
そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。

     ◇

 (談話を読み上げ後)以上が私たちが
歴史から学ぶべき未来への知恵であろうと考えております。
冒頭私は、21世紀構想懇談会の提言を歴史の声として受け止めたいと申し上げました。

 同時に私たちは歴史に対して謙虚でなければなりません。
謙虚な姿勢とは果たして、聞き漏らした声がほかにもあるのではないかと、
常に歴史を見つめ続ける態度であると考えます。
私はこれからも謙虚に歴史の声に耳を傾けながら、未来の知恵を学んでいく。
そうした姿勢を持ち続けていきたいと考えています。私からは以上であります。
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