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2015年08月15日13:42

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日本の終戦の日

1945年8月15日 正午、昭和天皇陛下が「戦争終結の詔書」を読み上げる玉音放送により、ポツダム宣言受諾・連合国への降伏が日本国民に伝えられる。

(日本の終戦の日)

戦後70年…平和も経済も一応達成した。

残るのは精神に植え付けられた自虐史観の排除…
先人達への感謝の念、そして祖国の歴史への自信と誇りだろう。

写真は、ネット友水崎勝彦氏(元海上自衛隊大尉)が編纂にかかわられた…
『特別攻撃隊』(財)特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会・発刊矢印(下)

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一万機が生産された零戦、今では極僅かな機体が米国人によって飛ばされている。矢印(下)

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現在、鹿屋基地から出撃し特攻戦死した908名(うち海軍は775名)中、遺族の許可を得た775名の遺影が鹿屋航空基地史料館に展示されている。最年少の隊員は16歳。今でも年間10万人以上が史料館を訪れているという。
◆ 日本の降伏文書調印式が行われたミズーリに沖縄沖で後少し(2-3m高く)で特攻成功しそうで甲板上に散華した第五建武隊の石野節雄二等兵曹、同じく第五建武隊の石井兼吉二等兵曹は鹿屋航空基地を出撃した。矢印(下)

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知覧特攻平和会館は旧帝国陸軍元特攻隊員・関係者の方々が遺品などを持ち寄って設立した「知覧特攻遺品館」。
写真、遺書などの遺品約4,500点、特攻隊員の遺影1,036柱などが展示されている。写真は四式戦闘機「疾風」I型甲の実物。世界で唯一原型を留めた良好な状態で現存する機体。フィリピンの戦いにおいて、アメリカ軍に鹵獲された経歴を持つ第一線からの里帰り機。陸軍では他に四式重爆撃機「飛龍」と九九式双発軽爆撃機なども体当たり機へと改修された。矢印(下)

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「回天」(写真一番奥の細い奴)は海軍の青年士官の提案によって呉海軍工廠で研究開発され、平均21歳の100名程度の若い命がこれによって散ったそうです。米国のソナー技術は帝国海軍より進んでいましたから、早期に発見され沈められてしまったケースが多いのではないでしょうか。
真珠湾攻撃でも、最初に接敵し沈められたのは特殊潜航艇でした。

「海龍」(写真左側)は飛行機のように翼を使って自由に潜航・浮上する事を目指して呉海軍工廠などで潜航実験や研究・開発が行われた小型潜水艦だそうで、よくよく近寄ってみると造りの荒さが敗戦間際の苦肉さを現しているように感じました。写真は呉の大和ミュージアム。矢印(下)

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ハワイの真珠湾戦争記念館内に展示保存されている、真珠湾攻撃に使用された特殊潜航艇。10人が5基の「甲標的」に搭乗しハワイ攻撃に参加。写真はオアフOahu島東海岸に乗り上げ,米軍によって鹵獲されたもの。矢印(下)

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桜花を搭載した一式陸攻は桜花の重量により速度が低速となり運動性も大きく損なわれる為、第1回目の桜花攻撃では、アメリカ艦隊の遥か手前で、アメリカ軍戦闘機に母機の一式陸攻が全滅させられ、桜花を射出することもできなかった。その後、沖縄にて桜花を鹵獲し徹底して調査したアメリカ軍は、桜花が射出されるとその高速の為に迎撃が困難であると分析し大きな脅威と認識した為、射出前の母機となる双発機を最優先攻撃目標として攻撃するように全軍に徹底した。写真は靖国神社に展示されているもの。矢印(下)

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…ところで、我が家の寒冷地仕様の猫達は、連日の猛暑を避け、涼しい場所を求めてひたすら寝ている…15歳(人間では86歳?)彼らには涼しい秋の訪れが待ちどうしいだろう。矢印(下)

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