あの墜落事故が起きた当時、自分は小学校四年生でした。
坂本九さんの訃報は、お袋が当時ショックを受けていたのを思い出します。
あと、亡くなられた中には、自分と同学年(小四)の子どもたちが6人もいました・・・。
二学期が始まってから、当時の担任の先生にこのことを伝えられて、改めて衝撃が大きかったかを感じました。
つくば博やディズニーランドからの帰り道、九州の親御さんの実家へ行く途中、甲子園へ高校野球を見に行く予定の人など・・・
みんなそれぞれの目的が詰まっていた矢先の悲劇でした。
そして、生存者の一人・川上慶子さん(当時12歳)。
彼女もまた、事故後も長いこと苦難の日が続いていました。
http://dogatch.jp/smph/news/tbs/34545
小学校一年生だった幼い妹さんに事故で先立たれた上に、更に当時のマスコミの追い回しが酷かったそうです。
入院中なのに病院の屋上から手を振らせたり、亡くなったご家族の法事に押しかけて川上さんにしつこく話を聞いたりとか・・・。
マスコミが遺族の方々に、また過剰な取材をしていないか気がかりです。
■亡き人悼み、祈る空の安全=遺族ら慰霊登山―日航機墜落30年(時事通信社 - 08月12日 09:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=3562385
520人が犠牲になった1985年の日航機墜落事故は12日、発生から30年となった。遺族らは早朝から墜落現場となった群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」に慰霊登山をした。
登山口から標高約1560メートルの尾根までは、険しい山道が約800メートル続く。遺族らは急峻(きゅうしゅん)な斜面に点在するそれぞれの墓標で故人の冥福を祈り、墜落現場に建つ「昇魂之碑」に花を手向け、「安全の鐘」を鳴らして空の安全を願った。
千葉県我孫子市の自営業石倉徳造さん(75)は6人きょうだいの末っ子の六郎さん=当時(41)=を亡くした。墓標の周りを見渡して「事故直後は木がなぎ倒されて焦げ臭かったが、この30年で森もよく茂った」と感慨深げに語った。毎年きょうだいと慰霊登山に来たが、高齢で亡くなった兄もいる。「今年で一区切りにして、今後の慰霊は子供や孫に任せたいと思っている」と静かに手を合わせた。
元宝塚女優だった娘由美子さん=同(24)=を亡くした横浜市の吉田公子さん(81)はつえをつき墓標まで登った。「今年も無事に来られたと報告した。公共交通に携わる人は人の命をあずかっていることを繰り返し肝に銘じてほしい」と訴えた。
おじ三崎洋さん=同(48)=を亡くした千葉市の会社員工藤一隆さん(49)は、昨年結婚した妻美砂子さん(43)を連れて報告に来た。「おおらかで明るく、自分のことをかわいがってくれた。おじの年を越えたが、無念だっただろう」と墓標を見詰めた。
日航によると、正午までに75家族302人が登った。12日午後には日本航空の植木義晴社長も尾根を訪れて献花する予定。麓の「慰霊の園」では、午後6時56分の墜落時刻に合わせて追悼慰霊式などが行われる。
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