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2015年08月11日02:21

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パンク論。

 音楽業界でいわゆるパンクロック・ムーブメントというものがロンドン・ニューヨークなどで1970年代後半に起きてから今までありとあらゆる有象無象のパンクロッカーやら音楽評論家やらが「パンクとは」と語ってきているが、その多くが本質からずれている気がする。

 やれ「鬱屈した若者たちの暴発するエネルギー」だの「政治体制に反発する真剣な若者たちの真の声」だの「大人たちの若者たちへの価値観の押しつけへの反発」だのどいつもこいつもおなじようなことを言うている。海外のマスコミが反逆児として彼らを持ち上げたのである。

 まあしかし、そういう一面がパンクロック・ムーブメントにおいて非常に大きかったのは否めない。このことがパンクロックを一大ムーブメントにまで押し上げた。その影響は当時の日本にも波及し、「世の中くそくらえ」と思っている日本の若者たちをとりこにした。

 だが一部のパンクの本質を見抜いていたミュージシャンを除いて、多くの日本のミュージシャンはパンクを反体制・反政府という一面において賛美しそれに同調していたと思う。まあ一部のミュージシャンとは町田康・遠藤ミチロウ・田口トモロヲ(他にもいたと思うが)のことであるが、ほとんどのミュージシャンはパンクをヒッピーの延長線上に見ていたと思う。彼らにとっては「祭りだ。また祭りが来たんだ!」と。要するに当時の日本の自民党政府に反逆する恰好な建前だったのである。

 当時の欧州ではパンクは各国で毛嫌いされた。当たり前である。反体制なのだから、そんな異分子は排除されようとされてもしょうがない。しかしそれでも「嫌われていても売れた」という事実はこれは否定できない事実である。欧州各国で若者たちの気持ちが鬱屈していたことが良く分かる。しかし絶賛するつもりはない。バカだと思う。ドラッグにおぼれ身を滅ぼしたシド・ビシャスなどバカの極みである。

 では振り返ってみて日本はどうか?

 当時「世の中くそくらえ」というパンクの一面にこぞって乗っかって売れたバンドが多数いる。 このせいで「チンピラ=パンク」という構図が日本ではできてしまった。そこらへんにたむろしているチンピラが音楽をやればパンクだということになってしまった。

 あえて言うがただの何も才能のないチンピラどもが集まって音楽をやっても、決して素晴らしい音楽ができることはない。アホが5人集まっても所詮アホの音楽なのである。

 音楽的に素晴らしいものでなければ意味がないのである。当たり前である。音楽家なのだから。

 じゃあパンクってなんなん。という話だが、簡単である。パンクになりたい。どうしたらいいですか。

 オドレの本当にやりたい音楽をやればいいんである。

 「こういうこと思ってるんだけどこれ歌ったらまずいよねえ」「歌詞を事務所にダメ出しされたああ。変えなきゃまずいよねえ。」「ビジュアルこういう感じでいきたいと思ってたのに怒られた。」

 こう思って歌詞を変えたり衣装を替えたりしたらダメだと思う。

 いや本人がやりたくてポップだったらいいんですよ。きゃりーぱみゅぱみゅなんてマジでパンクだと思うよオレは。いや好きじゃないけどね別に。

 オドレの表現したいように表現するのがパンクやと思う。その結果世の中とぶつかる結果になるわけで。表現しようとする自分を邪魔する奴らと戦うのがパンクやと思う。政治とか関係ないんじゃクソ左翼。しね。


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