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2015年08月08日17:52

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大岡昇平 野火 映画化

http://akioessei.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-5b04.html

この人の文章は とても考えさせる。

ここで扱われるケースは 戦場で兵士が1対1で遭遇した時の反応。
色々な理由で、一人で歩いていて、敵兵と遭遇する。

1つのケースは、アメリカ兵が 戦場である事を忘れているのか、
親しげに挨拶、ヘローと声をかけてきた。
日本兵は、とっさに敵と判断し、射殺してしまう。
これは、戦場では自然な反応とも言える。
即死してしまったので、アメリカ兵が真に善意の挨拶だったのか、
確かめようがない。

それにしても、なぜ、このアメリカ兵が親しげに声をかけてきたのか、
不思議である。
戦闘とは別に、人間として、1対1の出会いとして、
自然な感情が湧き上がってきたのだろうか?
あまり、追いつめられた状況に無かったアメリカ側の兵士として、
緊迫感無く、自然な感情が出てきた可能性は高いと思う。

こちらは、何時死ぬかもしれぬ病身の上、負け戦をしている
ふらふらの日本人、
あちらは、食料も十分あり、健康で若い楽天的な
元気なアメリカ人。

日本側は そもそも、明日の生き方も分からなく追いつめられた戦況だったから、
一瞬、一瞬が必死で、過敏に反応してしまったのだろう。

2つ目のケースは、大岡昇平の場合で、
アメリカ兵は、こちらに気づいていないまま、去っていく。
日本兵である大岡は、撃てば撃てたのに、撃たなかった事を
一人のアメリカの母に感謝されるだろうと考える。

誰も見ていない、1対1の異郷での対面。
兵士としての服従や、自分がどの国に属しているか、
そして、どの程度、積極的に兵士として参加しているか、
なんせ、徴兵制の時代の出来事なのだから。

大岡は、自分が何時死ぬかも分からない病気の身だから、
見逃したのだと説明する。

誰かに恋愛感情を抱いた場合もそうだが、
この戦場の1シーンは、自分のアイデンティティーと生き方を
それから何年も考えさせる事になる。

もうろうと必死で死と向かい合わせに生きていた時の自分の状態を
平和な時代を何年も過ごした後に、分析するのは苦労するが、
どんなに悲惨な経験でも、考え直したくなるのは自然なことだ。
ただ、思い出すのも不快な記憶を掘り下げるのは、
なかなか困難な事なのだ。

半世紀以上たって、大岡昇平の「野火」が再映画化されると新聞に載って、
検索していて、この文章に行きついた。
ジャングルは、生命が充満している印象があるが、
食料には乏しいというのが、不思議。
マンゴーだの、バナナだのは無いのだろうか?
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