映画「永遠の0」と直接関係のない日記を書いています、
作品の内容などと逸れる日記ですみません、
これから15日の終戦の日にかけて、
各局で戦争を題材とした映画やドラマが引き続き放送される予定で、
個々の作品の主張するところや、訴えたい方向性はそれぞれありますが、
こういった放送の後に局があとがきのように述べるコメントが想像できるので、
あえて自己主張を日記に書かせていただきます、
まず戦争が悲惨なものだ、と言う論に異論はありませんが、
敢えて言うなら負けた戦争は悲惨だ、と言うことです、
武力をもって争うのですから、勝者も個々人のレベルでは死傷者は出ます、
しかし戦うことで権益を手に入れたり領土を広げられた戦争では、
その被害に関して声高に叫ばれることは稀なのです、
あと命はお金には代えられない、と言う論も出てきそうですが、
暴論を自認した上で書きますが、命はお金に代えることができます、
と言うより、お金がなければ命を守り維持が出来ない、と思います、
極論だとは思いますが、仮に日本に大油田が発見され、
その権益を守るため1000人の犠牲者を出したとしましょう、
今、原発が停止している状況では、一日に100億円の燃料費が必要になっています、
もし、その油田でその燃料費が実質不要となれば、
原発の依存度による割合がわからないので、仮に日に百億がゼロになるとすれば、
年間で3兆6500億円費用が浮きます、
仮にその金額が全て税金だと仮定すると、
税金の徴収は人命の犠牲はゼロでしょうか?
企業が収益を上げるのも、何億、何百億、と言う金額レベルで言えば、
不慮の事故や、交通事故、病気や災害などで死者は出ています、
言い換えれば人命をロスして利益を出しているのです、
国が税収を上げるのも少なからず犠牲を出しているはずです、
もし、国が上げるべき税収のハードルが下がれば、
その犠牲は相対的には少なくなります、
先ほどの数字を引き出すなら年間で三兆円を超える資金の余裕が出来るなら、
1000人の犠牲もやむを得ない、と判断するのが通常の国家、社会の姿勢です、
第二次世界大戦と呼ばれ、日本では大東亜戦争と呼ばれた先の大戦では、
連合国による経済封鎖により、国内で1000万人を超える失業者が出る、と予測され、
造船や鉄鋼と言った重工業が壊滅的な打撃を受ける予測もされ、
会戦やむ無し、と戦争を始めました、
その状況下で開戦の是非を問うなら、いったいどういう日本であるべきだと言うのでしょうか、
資源も少なく、国土も広くはない日本、
勤勉で技術に関して前向きな日本は、
人を資源とする立国を目指し、明治より近代化を進めていましたが、
それを瓦解させる連合国よりの経済封鎖、
それこそが国際社会、いや言ってしまえば白人による国際社会による、
集団暴行となんら変わりはありません、
更に言えば、日本が戦い、敗北した後、連合国が日本に何もしなかったと思いますか?
手かせ足かせを嵌めて、牙を抜き爪を抜くぐらいはしている、とは思いませんか?
勇敢に戦った戦士を蔑むように教育、いや洗脳をしているとは思いませんか?
日本は今も日本であり続けています、
それ自体があの戦争の成果であり、
その成果の上に今の日本人は暮らしているのです、
愚かな戦争だ、と主張するなら民間人の虐殺をした米国など連合国に言うべきでしょう、
間違った戦争だ、と主張するなら負けたから間違っていた、とされているのであって、
正誤や正邪の判断で間違っていた、とされているのではありません、
ドラえもんの世界でジャイアンは自身の暴力に自責の念を持ち苛まれる、と思いますか?
世界の軍事大国とは自国の暴力に反省などしません、
仮に市民の一部に反戦活動が起きたとしても、
それなりの権益を手に入れれば、市民は沈黙するのです、
そう言えばいわゆる生活山本党の山本太郎が、
原発がミサイルで攻撃されたらどうするんだ、と首相に質問していましたが、
本来、答えるべきは、もし原発に攻撃を加えるような国があるなら、
持てる武力を全て使ってでも徹底的な攻撃を加える、と主張するべきなのです、
もし、安倍首相がそう述べたら、戦争をするつもりか、と非難轟々でしょう、
しかし、してはいけない攻撃に対して、徹底的な反撃を、と言うのは、
その主張そのものが抑止力になるのです、
そして武力を攻撃として使えない現状では、
泣き寝入りをします、と公言して詐欺や暴力の勧誘をしている状態なのです、
それを改めるための安保法案なのですが、
メディアでは戦争法案、と偏向報道されていますが、
そういった方向性も、敗戦後、日本に植えつけられた思想であり、
逆らわぬように、立てつかぬようにと牙を抜かれ、爪を抜かれた証拠の一つなのです、
更に言えば牙や爪を抜かれた状態が健全であると思い、
争う手段を持つことにすら嫌悪するように敗戦後洗脳された結果なのです、
争う姿勢を示さないのは、誘惑をしているのと同じです、
犠牲を受け入れられない、と言うのは一見優しいように見えるのですが、
残酷なようですが、世界は犠牲を前提としてなりたっています、
その世界で犠牲を受け入れられないと言うのは、
犠牲を伴う取り引きをすれば、日本は引き下がらざるを得ないのです、
終戦の日、反省をするのも個々人の自由ですが、
ウチとしては、連合国に強制された反省などよりも、
今に続く日本も守った英霊を讃え、感謝をするのが反省などより先です、
終戦の日を前に、そう思えてならないのです、
2年前にも、ほぼ同じ内容で日記を書いていますので、
お暇あれば読んでいただけるとありがたいです。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1909669706&owner_id=1433863
映画『永遠の0』のテレビ放送“本編ノーカット”に賛否。「エンディングの『蛍』あってこそ」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=103&from=diary&id=3545616
映画『永遠の0』が地上波で初放送され多くの反響を呼んでいる。ネットでは、本作を初めて観た人から感動とともに「ノーカットで放送してくれてありがとう」と感謝の言葉も見受けられるが、劇場で観た人からは「ノーカットじゃなかったの? めっちゃカットされてますけど」などの不満も出ている。
2013年12月21日より劇場公開された映画『永遠の0』が、約1年半の時を経て7月31日、『金曜ロードSHOW!』(日本テレビ系)で地上波初放送された。
“本編ノーカット”と謳われ放送時間も繰り上げる特別編成だけに、作品を満喫した視聴者からはツイッターで「ノーカットで放送してくれてありがとう」と感動がつぶやかれた。ただ、一部から「本当にノーカットかな? なんか少しでも削ってる気がしなくもない…」「バリバリカットしてんじゃんか」といった指摘も出ている。
なかでも多いのが「エンディングのサザンオールスターズの蛍がカットされていたのが凄く残念だった」「エンディングの蛍あっての永遠の0じゃないの?」というもので、エンドロールとともに流れるサザンオールスターズによる主題歌『蛍』が聞かれなかったことへの不満が噴出したようだ。
番組としてはそれも含めて“本編ノーカット”と告知したのだろうが、
予告でも主演の岡田准一の姿にそのメロディーがかぶさって胸を打つほど、
『蛍』は本作にとって大きな存在だ。
劇場での体験を「最後のヅン!で“永遠の0”と出たあとの音楽とエンドロール。
ズルイよと思う絶妙な間がなんとも良くて、
エンドロールが短く感じた」と思い出し「やはり映画は映画館で観よう」と再認識する人もいた。
また、エンディング以外でもカットされているシーンがあるという指摘も少なくない。
しかし、なかにはテレビドラマ版との記憶と混乱しているケースも出ており、
実際にカットされていたとしても短いシーンと思われる。
やはり、エンドロールの『蛍』が流れなかったことへの不満の方が大きい。
ちなみに、今回のテレビ放送を観て、
主人公・宮部久蔵役の岡田准一やその孫にあたる佐伯健太郎役の三浦春馬はもちろんだが、
特攻の際に宮部に命を救われた大石を演じた染谷将太にも注目が集まっている。
本作を劇場で4回観たという人でも改めて感動したというから、
観るたびに新たな発見があるらしい。
『金曜ロードSHOW!』では8月14日にアニメ映画『火垂るの墓』を放送する予定だ。
映画『永遠の0』も同じようにこれから何度も放送される作品となるだろう。
その時は、エンドロールも流れることを期待する。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)
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