■東電元会長ら3人、強制起訴へ 検審が2度目の議決
(朝日新聞デジタル - 07月31日 14:37)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3543873
主張の中に致命的な矛盾を含んでいることに気付かないものなのでしょうか。
まず、第一に、日本は法治国家です。
だからこそ、こういう法的責任を問う訴訟を起こそうというのでしょう。
ですが、法的責任を問うのであれば、
原子力という特異性の強いものであるからこそ、
法において
・原子力利用の安全にかかる基準は国家行政が定めること
・原子力事業者はそれに従わなければならないこと
が明確に定められていて、
設備構成も運用形態も国家行政の許認可がなければ決められず、
しかも、13ヶ月に一度の定期検査において
検査に合格していたことからしても
電力会社に法的瑕疵があると考えるのは大いに矛盾しています。
法治国家においてあるまじき行動ではありますが、
仮に法的責任を無視して、「想定できたか」を論点とするとしましょう。
なぜか、「東電は想定できた」というような主張が罷り通っているようです。
しかしながら、東電はただの民間企業であり電力会社です。
その「地震や津波の専門家」ではない「電力会社」に想定できたとするのなら
「地震や津波の専門家」を集めていた国家行政も想定できたと考えるのが当然。
だとすれば、批判されるべきは、
「国家行政の定めた基準に従っていた民間企業」ではなく、
「想定していながら基準に反映しなかった国家行政」であるべきです。
基準に従わなければならない電力会社からすれば、
「国家行政が不要とする対策を実施する→国が無能だと主張する」
というようなもの。
許認可が得られなければ何もできない立場としてそれができるわけがありませんね。
また、正しく従っていた電力会社を批判すると言うのは、言うなれば、
「国が認可した新薬を用法用量を厳密に守って使用したが、
実は重篤な副作用があって患者が死亡した」
という場合に、国や製薬会社ではなく現場の医師を批判するようなものです。
その状況で、
「副作用が絶対にないとは言い切れないのだから医師が悪い」と主張しますか?
その点からしても、
国家行政ではなく電力会社を批判するのは矛盾しています。
次に、百歩も千歩も譲って、
「東電には想定できたが、専門家には想定できなかった」
としましょう。
そう主張する場合はどういうことになるか。
簡単です。
それは、「東電」は「国が集めた専門家」よりも
遥かに優秀であったと主張すると言うことですからね。
つまり、「国が集めた専門家」よりも遥かに優秀である「東電」が
「対策不要」と判断したのであれば、
それを上回る「最善の策」「正しい策」は存在しないということ。
それであれば、そこに瑕疵があるということは矛盾しています。
まとめると
「東電がそんなに優秀なわけがない」というのであれば、
「東電は国家行政の判断を上回る判断をできるわけがない」ということであり、
「国家行政の判断に従っていた東電に瑕疵はない」となります。
「東電は国家行政を凌駕する判断をできるほど優秀だった」というのであれば
「東電の判断が当時の最善の正しい判断であった」ということであり
「最善の正しい判断をしていた東電に瑕疵はない」ということになります。
東電批判ばかりしている人は
○東電は、法の定めを無視して対策すべきであったのだから法的責任を問われるべきだ。
○東電は、国の集めた専門家よりも優秀であるのだから
専門家の判断に従わずに自ら想定すべきだったのに
東電は無能だったから想定を誤って対策を怠ったのだ。
と言っているのです。
訳がわかりませんね。
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