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2015年07月22日23:54

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2015東北の旅-6−旧白崎医院

「死」というものと切っても切り離せない存在が「医療」
で、NKエージェント事務所 (旧割烹小幡)から少し歩いて行くと「旧白崎医院」があります。
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大正初期の外科医院です。
油問屋を営む白崎敬之助が、外科医をしていた息子・重治のために、自ら設計し、酒田市本町に建てた木造洋風建築。
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建物としての価値がスゴい…。木造洋風建築で、デザイン、材料ともに優れ、しかも大正期の原形がこれほど完全な形で残っている例は少ないといわれる貴重な建物ということです。
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入館は無料。

個人の住居兼病院ってことで、現代の開業医的な規模って思ってたんですがなかなかどうして。

まずは入り口から
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で、どどんと突き当りが外科医院だけあって「手術室」

現代の手術室の基準からしたら信じられないモノ… 感染対策とかどうしてたんだろう??? てなものなんですが、でも手術場特有の威圧感が半端ないです。
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手術室って言ったらば「無影灯」
この無影灯もなかなかスゴイ。大正時代のモノなんですよね。これ。
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ハロゲン? か何かのとにかく光量のデカそうな光源があってその周りをうまく反射させるように鏡で囲ってあるって仕組みです。
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比較参照-現代の最新鋭のLED型
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比較参照-現代の一般の手術室の例
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大正〜昭和〜平成と医療は飛躍的に進歩してきているなぁ・・・と思うところは多々あるし、やっぱりそうなんでしょうけど、でも、本質は実は全然変わっていないのだなぁ・・・と思うところもいっぱいあります。
「命を救う」という思いはいつの時代も変わらないのでしょう。

そういう思いで、この手術室で行われていたであろう手術の現場写真
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何の手術だったんでしょうか?

ここはあくまでも建築的なものの価値…ということで、当時の医療や医療器具などの展示はありません。
そこがすこぶる残念です。
当時の院長は白崎重治という方なのですが、この方の外科医としての活躍やその他も全然紹介されていません。←すこぶる優秀な外科医、名医であったらしいのに。
この建物を建てた棟梁、小松友治郎の情報のほうが多かったですね。

凄く急な階段を登って2階へ
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2階はもと、この医院の方々の住居。たぶん、入院室にも使われていたのでは? と思います。
今は酒田大火の資料・写真の展示室になっています。
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酒田大火
1976年(昭和51年)10月29日に起こった戦後の都市火災の中でも広大な被害のあった火災です。
http://www.city.sakata.lg.jp/sakata_tmp/taika/index.html
鳥取とか、新潟、魚津…そして一昨年行った高岡など、日本海側の都市は甚大な大火被害があったところが少なくないのですが、海からの風が強い(フェーン現象など)もあるみたいですね。

で、この火事がらみで・・・
高校時代に生徒会長のK君が「大火から復興した酒田に行こう!」(または復興支援の観光に行こう)って言い出し、みんなで飛島に行くツアーを計画したんですよ。なもんで、この酒田大火、覚えてるというか、当時いろいろ調べたりしたのです。

で、残念ながら私だけ予定がどうしても合わなくなって参加できなくなってしまって・・・
これは私の人生上の「10大残念」の一つなんですが。
今回、飛島には行けませんでしたけど、酒田にはやっと来れました。

復興から35年くらい経ってきちゃったのですが。
だから酒田にはその時代っぽいものがあちこちにあって・・・だからなんとなく私世代には凄く懐かしいのかな。

しかし、やっぱりこの旧白崎医院の建物、いいですよ。
酒田---日和山公園の一角の風景に凄く馴染んでいます。
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つづく

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