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2015年07月20日18:59

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又吉さんと文体の話。

ピースの又吉氏が芥川賞を取ったのです。おめでたいのです。今までギャグとして、「又吉先生。」と言われていましたが、本当に、又吉先生になってしまいました(笑)。でも、きっとさほど変わらないんでしょうね、又吉さんは。忙しくて本を読む時間がなくなっちゃったら、気の毒だな・・と思うんですが。あと、おそらく「次回作を」と、文芸春秋あたりがせっつくかも知れないんですが、ゆっくり書かせてあげてね・・と思います。折角の才能を潰しちゃうと勿体ないですし。本人も「芸人100で、余った時間で、コントなどにならなかったものを小説にしたい。」って言っているので、それに沿ってあげてね・・と。
受賞のお祝いに、1本くらいは、太宰が出て来るコントを書いても良いかも知れない。以前、ピースのインタビューで綾部氏が「マタキチ(又吉氏を綾部氏はこう呼ぶ)の作るコントには、3回に1回太宰が出て来る。その度に、それは伝わらないって言うんですが。」と言っていたので。
今なら伝わるんじゃないでしょうか?何なら、芥川と太宰の会話コントでも良い。この場合、芥川が又吉氏役になりそうですが(^_^;)。太宰の方がやりたいだろうな。

又吉氏のエッセイを読んだコトがある人なら、分かると思うのですが、あの文体に近い文体で又吉氏の『火花』は書かれています。なので、夏目漱石や、芥川龍之介などの文豪作品に慣れ親しんだ人には、最初違和感があるのかも知れません。「おや?」って思うかも知れない。でも、読み進めると、さほど違和感がなくなり、ある種の既視感が出て来るような気がします。僕が又吉さんに見えてくるような・・・。違うんでしょうけれどね。
烏龍パークの橋本氏が『火花』の神谷のモデルじゃないか?と言われているらしく、会う人、会う人に「神谷のモデルは、橋本さんでしょ?」と言われるので、本人は「便乗するのもアレやし・・・。」と困惑してると聞き、申し訳なくも、ちょっと笑ってしまいました。

橋本さん。私の中では、残念な男前・・としてインプットされています。『ホラカク』にも出ていて、面白いんですケドね、烏龍パーク。でも、確かに、聞くエピソードが何か、残念・・というか、おかしいのかな?みたいなエピソードなんだよね(^_^;)。美形なんだけど、おかしい。「凄く気を使う奴だけど、使い方が尋常じゃなくておかしい。」とか。(アメトーークの気にし過ぎ芸人に出てたよね)

実際は分からないのですが、又吉氏曰く「これといったモデルはいないけれど、線香花火(ピースの前に又吉氏が組んでた漫才コンビ)の頃の、僕の思いは入ってるかも知れない。」と言っていた。だから、又吉氏にとっては、神谷も自分で、徳永も自分なのかも・・・知れない。

文体の話を書いたので。
現在朝日新聞で、夏目漱石の『それから』を再連載しているので、読んでいるんですが、まぁ、ムカつくな!主人公の代助な!何だアイツ。自分はまともに働いてもいねえ高等遊民の癖に、言ってるコトは、偉そう・・って言うか、いかにも「自分は、独自の理論がありますよ。」みてえな感じでな。
そういえば、私、漱石の小説の登場人物で、好きな奴っていたかな?(^_^;) 皆あんまり感情移入できないような・・・。三四郎にしろ、坊ちゃんにしろ、こころにしろ。
嫁を貰いたくないからって言う言い訳も、なんだかもう、グチャグチャ理論を引っ掻き回してよぅ。三千代さんのコトが好きなのかどうなのかもイマイチはっきりしねえし。オマエ、偉そうなコトを言うなら、まともに働いてから言え!・・・と言ったら、きっと「そう言われるのがおちであるから、黙っていた。」ってなるのであろうな。

で、話は、そこではなくて文体なのですが。
普段私が好んで読むのが、赤江瀑やら中井英夫やら三島由紀夫なものだから、もう、夏目漱石の文体が私にはシンプル過ぎて、新鮮に映るという。比喩表現にしてもシンプルだよね。間違っても三島由紀夫みたいに、美青年がいかに美青年かを知らしめるために、ページ半分も使って、やれ、ヘレニズム文化前の石像のなんちゃら文化の〜・・などという、長々しいコトは書かない。凄くシンプル。何なら、漱石、手ぇ抜いてんじゃねえか?と思うほどシンプル。
なので、大変読みやすいので、ツルツル読めるが、それが私には不満だったりもする。

やっぱり、雅文調の文体が私は好きなんだよ。あのレトリックバリバリの、「しつこいは!」って言うほどのあの飾り言葉バリバリの文章が好きなんだよ!と。

赤江瀑の文体とか、ミステリ(だと思うが)で、あの文体は普通使わねえよな・・・って言う文体だしな。でも、その文体のおかげで、通常凄く異常事態なはずのものが異常事態に感じないのだ。冷静に考えたら、『禽獣の門』なんて、自分の旦那が青年にレイプされてるところを、奥さんが真横で見てるんだよ?すげえ異常事態だよな。これが、異常に感じない。感じるのは、とても美しい地獄絵図のような情景だ。それって、あの雅文調で、レトリックバリバリな文体で、物語を紡ぐからで、それが麻薬となるので、異常事態に感じないんだろう。

私は、普段が雅文調の文体を好んで読むから、こちらの方が好きなのだが、逆に、漱石や太宰が好きな人からしたら「うわっ!読みにくい!てか、しつけえ!」って思うんだろうな・・と思います。

小説によって、文体を変えてしまう人もいますが、それでも、その人の文章の癖のようなものはあってね。自分の好きなフレーズや言い回し、区切り方、息遣いみたいなのがあるんだよ。それを感じるのが本を・・特に小説を読んでる時の醍醐味よな・・と思います。

今回、又吉氏も、「独自の文体がある」って、芥川賞の選考委員から評価されていたと思う。

そんな部分に焦点を当てて、読書するのも楽しいですよ・・と思いつつ、今読んでるのが漱石なモノで、「あぁ、三島が恋しい。中井が恋しい。あの、くどくどしい、雅文調の文章が恋しい〜。」と思う私なのでした。

夏は暑いからね。クーラーが効いた室内で、本を読むのも一興だね。
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