1787日目
強風の一日です・・・ニューホライズン(New Horizon)の「冥王星(Pluto)」の写真ですか・・・飛んで、跳んで・・・トンデモナイ・・・翻訳?をしてみるか・・・兎に角漢字知識が無いことにはドウしょうもないが・・・
「豚」と「猪」は同種、同類の動物だが漢字が異なる。「豚=肉+豕」と「猪=犭+者」・「豬=豕+者」である。この違いは「家畜=月(肉)」と「野生=犭(獣)」を部首としているので明白である・・・「者(もの・シャ)」だが色々な説がある。が、既に「楷書文字」とされ完成した「者」の分解は「十一ノ日(曰)」で、部首に「丶(灯火・チュウ)=てん(点)」が付く字もある・・・「甲骨文字研究のブログ記事」でみた説明だがボク的には「者」が「漆塗りの器」とは思えないし、「付着」とも思えないのだが・・・
ーーーーー
代名詞の「者」
「者」は説文では
曰く「者」は
代名詞で
古文中「者」の主要な用法は
動詞、形容詞の・・・?
詞・句の
後におかれ、
人、事物、時間、所、原因等等を
重ねて述べる時に
代わって表すのに用いられ、
単独では用いない・・・
↓
・・・「名詞+者」の「者」は「名詞の後」に置かれる場合は、主語となる場合に限られて、「結構助詞」としての用法ではなく「語気助詞」として「名詞+は(者)」の用法・・・
・・・また、「者」が疑問、反語の助字として使われる
↓
「者」の漢字構成の部首、
↓
漢字の中で、
全て付着に関係・・・?
漢字の中で、
全て「者(シャ)」の音を持ち、
全て「付着」に関係している・・・?
↓↑
この「付着」の意味が不明だが、「着=羊+ノ+目」ならまさにそうであるのだが、「者=漆(うるし・シツ)」ではないだろう・・・
「猪(いのしし・チョ)、煮(にる・シャ・煮沸)、署(かきつけ・ショ・署名・部署・署長)、奢(おごる・シャ・奢侈・華奢・驕奢・豪奢)、著(かく・チョ・著作・著名)、箸(はし・チョ)」・・・?
↓
・・・「者」は「〜は・・・である」か、「〜は・・・だろうか」か、「〜は・・・なのか」・・・で、部首の「者(もの)」は一般的に「人間=サムワン(Someone・Somebody)=エニワン(Anyone・Anybody)」の何らかの状態、様子を意味している・・・
ーーーーー
豚(ぶた・トン・家畜の猪=いのしし)で、
遁(隠れる鬼門、気門遁甲)で、
頓(とみに・ひたすら
頓首・頓服・頓知・頓死・頓教・整頓)で、
屯(群集・たむろ)で、
噸(屯=噸=瓲)で、
惇(あつし・誠実)で、
敦(篤い・重々しく手厚い
敦煌・敦厚・敦朴・倫敦)で、
沌(渾沌・混沌)で、
榻=墩=「陶磁器製円筒形の中国風腰掛け」で、
團(団・軍団)で、
貪(むさぼる・貪欲)で、
ton-tonnage (トン数)で、
英国では「a long ton (約1016kg)」で、
古フランス語の「tonne」が語源で、「樽」らしい
「樽=多留=足る」・・・
「樽」=木(十八)+尊(酋寸)・・・「猶太」・・・
とんで、とんで、トンでも・・・イスタンブール(Constantinople, 君府・君士但丁・君士但丁堡・君士但丁諾格爾・孔子礴・孔子且・君士丁)・・・
「ユダ(Judas)=猶太」・・・「イエス(移鼠・Jesus)・キリスト(基督・Christ)」の十二使徒の一人・・・イスカリオテ(椅子仮理緒出・移鼠科理緒出)のユダ(猶太)・・・
イエス・使徒一行の会計(会稽)係・・・祭司長らに銀貨30枚でイエスを売り、のち、悔悟して自殺・・・「油田(ユダ)」は生きていた・・・「キリスト」は「スパースター」ではなかった・・・
アブラハム→イシュマエル&イサク→ヤコブ(別名イスラエル)
→12人の息子・ユダに与えられた「土地名がユダヤ」・・・「ユダと妻の1)タマル」・・・「2)タマル」は「ダビデの娘、アブサロム(アブシャロム)の同母妹」・・・「アブサロム(アブシャロム)」はダビデの六人の息子の三番目の息子・・・母はゲシュルの王「タルマイ」の娘「マアカ(ダビデの三番目の 妻)」・・・「タマル」は「異母兄弟アムノン」に犯された・・・復讐の始まりだが・・・「アブサロム(アブシャロム)」は、異母兄「アムノン」を妹の仇とし殺した・・・その後ダビデと対立し、殺される・・・
「タマル(太丸→太陽→瑪瑙・珊瑚)?」と「マアカ(真赤)?」・・・
ーーーーー
旧約聖書
サムエル記
撒母耳 記(下)
第23章
23:1
これは
ダビデ・・・・拿備(尾・美・鼻・毘)出
備州(中国・備前・備中・備後)
尾州(尾張・名古屋)
美洲(美作)
岩州(三陸・東北)
毘沙門天
(越後・信州)
の
最後・・・・・最期・歳語・宰語・祭語・賽語
差異語・載語
の
言葉(ことば・ゲンヨウ)
である。
エッサイ・・・重通差異
の子
ダビデ
の
託宣(タクセン)、・・・多句選・他句撰
すなわち
高(たか・コウ)く・・・高階氏の一族
↓ 源氏の棟梁、
八幡太郎義家の家人
高階惟章が、
源義家の三男
源義国とともに
下野国に住した
以来、高氏と称して、
義国の子孫
足利氏の執事となる
足利高氏→尊氏
上杉謙信→吉良上野介
高句麗・高麗
渤海王高歓の苗裔
始祖
高寿覚は明の福建の人
慶長年間に薩摩へ来
島津家久に仕える
その後福建に帰るが
子の
高但有は薩摩へ再来
島津光久に仕え、
始め
渤海(ふかみ・ボッカイ)を
称してのち
深見(ふかみ・シンケン)に
改称
↓ 渤海(ふかみ・ボッカイ)
挙げられた人、
ヤコブ・・・・・彌鼓舞・埜瘤・鰥昆布・彌混布(譜)
鰥寡孤独
鰥夫、寡婦、孤児、孤老・身寄りのない人
「鰥夫(やもめ)」は妻のいない男
「鰥寡・矜寡」は夫のいない女
「鰥寡孤独(カンカコドク)」
律令制国家の救済対象の家族構成
「孟子・梁恵王篇下」にも記録
平安初期の法律解説書である
「令義解・注釈」に記録
やもめ=寡・寡婦・孀・鰥・鰥夫
やもめずまい=寡住い・鰥住い
の
神に
油を注がれた人、
イスラエル
の
良き
歌びと・・・・・歌人・家人・華人・佳人→化(歌)訊
の
託宣(タクセン)。
23:2
「主(あるじ・ぬし・おも・シュ)の
霊(たましい・レイ・霊魂)・・・例今
令恨
は
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)に
よって・・・・因って
選って
拠って
寄って
依って
縁って
撚って
語る、
その言葉は
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
舌(した・ゼツ)・・・是通
の
上(うえ・かみ・のぼる・ジョウ)
にある。
23:3
イスラエルの神は語られた、
イスラエルの
岩(いわ・ガン)
は
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)に
言われた、
『人を正しく治める者、
神を恐れて、
治める者は、
23:4
朝の
光のように、
雲の
ない
朝に、
輝きでる
太陽(タイヨウ)・・・態様・体様・大要
他意用
対用
のように、
地(チ・ジ)・・・・・知・字
に
若草(わかくさ・ジャクソウ)・・・弱層・寂層
若し句差・尺総・尺相
を
芽(め・ガ)ばえさせる
雨(あめ・とも・ウ)のように
人(ひと・ジン・ニン)
に
臨(のぞ・リン)む』。
23:5
まこと(誠・允・真・信・慎・実・亮・)
真言・真事
磨糊塗・・・・馬言・萬言→万葉語
に、
わが家はそのように、
神(かみ・シン)・・・加味・紙・守
と
共
に
あるでは・・・・・・・有留出葉・阿留出羽
ないか。
それは、
神が、
よろず・・・・・・・・萬(万)
備(そな・たくわえ・ビ)わって
確(たし・カク)かな
とこしえ(永久・常詞重・賭拠史重)
の
契約(ケイヤク)
を
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)と
結(むす・ケツ)ばれたからだ。
どうして
彼は
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
救(すくい・キュウ)
と
願(ねが・ガン)い
を、
皆(みな・カイ)
なしとげられぬことがあろうか。
23:6
しかし、
よこしまな(邪・横嶋・横島→応答・王等・桜桃)
人は、
いばら(意葉等・茨・荊・棘)・・・異葉等
↓ 井原(西鶴)
歳書く
才覚
↓ 李派等
のようで、
手をもって
取ることが
できないゆえ、
みな
共(とも・キョウ)に
捨(す・シャ)て・・・四捨五入→詞写語入
↓ 取捨→主捨
↓ 取者
↓ ↓↑
十返舎一九→十編写位置句
ジュペンシャイック
(十偏舎、十偏斎、重田一九斎)
「東海道中膝栗毛」著作
町同心の
次男
↓ 天明三年(1783年・19歳)
江戸で
小田切土佐守に仕え,
大坂に赴任
同地で職を辞し
材木屋の婿となるが離縁され
再び江戸へ帰った
↓ 寛政六年(1794年・30歳)
江戸
通油町(中央区日本橋大伝馬町)
の
版元
蔦屋重三郎方に
寄食
用紙の加工や挿絵描きなどを
手伝った
↓ 寛政元年(1789年・25歳)
近松与七の名前で、
浄瑠璃
「木下蔭狭間合戦
(このしたかげはざまがつせん)」
を合作
↓ 寛政七年(1795年)
黄表紙
「心学時計草」ほか2部を出版
毎年20部前後の新作を書き続け
挿絵を描き、版下も書いた
独学で、
黄表紙、洒落本、人情本、
読本、合巻、狂歌集
教科書的な文例集
筆耕・版下書き・挿絵描きなど、
自作以外の出版も手伝い
寛政〜文化期に
「行列奴図」
遣唐使
吉備真備を描いた
「吉備大臣図」などの
肉筆浮世絵がある
↓ ↓
駿河国府中(駿府・静岡市葵区)で
町奉行
同心の子として生まれた
葵区両替町一丁目に、
石碑がある
↓ ↓
本名
重田貞一(しげた さだかつ)
幼名
市九
通称
与七、幾五郎
号
酔翁、十返舎
天保二年(1831年)8月7日
67歳死没
辞世の句
「此世を-ば-どりや
お-いと-ま-に
せん-香と
↓ とも-に-つひ-に-は
↓ 灰-左様-なら」
られるであろう。
23:7
これに
触(ふ・ショク)れようと
する(スル)・・・・・掏る→盗む
刷る
磨る
搨る・擂る
摺る
擦る
人
は
鉄(くろがね・テツ)
や、
槍(やり・ソウ・鎗)・・・遣り=遣い=つかい
の
柄(え・ヘイ)
を
もって
武装(ブソウ)する、
彼らは
悉く(ことごとく・シツ・尽・儘)・・・言語解く
糊塗語解
事後解く
火(ヒ・カ)で
焼(や・ショウ・焼失)かれる
であろう」。
23:8
ダビデ
の
勇士たちの
名
は
次のとおりである。
タクモン・・・・・・他句文
びと
ヨセブ・・・・・・・与施部
・
バッセベテ・・・・・葉通施俳(部・邊)出
渡部・渡邉(崋山)
は
かの
三人のうちの
長であったが、
彼は
いちじ(一時)・・・・一字
に
八百人
に向かって、
槍(やり・ソウ・鎗)・・・遣り=遣い=つかい
を
ふるい(奮い・奮起)、・・・・振る意(異)
古意
降る意(医)
それを
殺した。
23:9
彼の
次は
アホア・・・・・阿保亜・亜補阿
びと
ドド・・・・・・度々・呶々・百々
の子
エレアザル・・・得例亜座留・重例漁る
絵例吾指(挫・坐)留
獲例字留
ザル=笊・猿→申・然る・去る
沙流・猨
であって、
三勇士(サンユウシ)・・・纂有詞(史・詩)
の
ひとりである。
彼は、
戦(たたか・セン)おうとして・・・多々歌・撰
そこに
集(あつ・シュウ・ジュウ)まった
ペリシテ・・・・経理詞(史・詩)出
ペリーして→彼理詞出
マッシュー・カルブレイス・ペリー
びとに
向かって
戦い
を
いどみ(挑み・挑戦)、・・・・・兆選・腸線
朝鮮
イスラエルの人々が
退いた時、
ダビデ
と
共にいたが、
23:10
立って
ペリシテ
びと
を
撃ち、
ついに
手が疲れ、
手
が
剣(つるぎ・ケン)・・・通留欺(疑・義・偽・議)
に
着(つ・きて・チャク)いて
離(はな・リ)れ
ないほどになった。
その日、
主(あるじ・ぬし・おも・シュ)は
大いなる
勝利(ショウリ)を
与(あた・ヨ)えられた。
民(たみ・ミン)
は
彼の
あとに
帰ってきて、
ただ(唯)・・・・・他拿・多拿・太拿
多妥(妥協多)
殺された者を
剥(は)ぎ・・・・・萩→松下村塾
葉木・接ぎ・矧ぎ
取る
ばかり・・・・・・・葉歌理・場化理
馬仮理
諮り・謀り・測り・計り
であった。
23:11
彼
の
次は
ハラル・・・・・・・葉等留
びと
アゲ・・・・・・・・亜解
の子
シャンマ・・・・・・写務間
であった。
ある時、
ペリシテ
びとは
レヒ・・・・・・・・例比
に
集まった。
そこに
一面(イチメン)・・・位地目務
に
レンズ豆・・・・・・・連事当(問・答)
を
作った
地所(ジショ)・・・・辞書・字書・自書
が
あった。
民(たみ・ミン)は
ペリシテびとの
前から
逃(に・トウ・逃亡)げたが、
23:12
彼は
その
地所
の
中に立って、
これを
防ぎ、
ペリシテ
びとを
殺した。
そして
主(あるじ・ぬし・おも・シュ)は
大いなる
救を
与えられた。
23:13
三十人
の
長たちのうちの
三人は
下って
行って
刈入れのころに、
アドラム・・・・・吾土等務
の
ほら(洞)穴・・・補等亜名
法螺阿名
に
いる
ダビデのもとにきた。
時に
ペリシテ
びと
の
一隊は
レパイム・・・・・例葉異務
霊媒務・零賠務
の
谷(たに・ヤ・コク)・・・他似・多似・汰似
に
陣(ジン)を・・・・・・・字務・事務・自武
取っていた。
23:14
その時
ダビデは
要害(ヨウガイ)
におり、
ペリシテ
びと
の
先陣は
ベツレヘム
にあったが、
23:15
ダビデは、
せつ
に望んで、
「だれか
ベツレヘム
の
門
の
かたわら
に
ある
井戸
の
水
を
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)に
飲ませてくれると
よいのだが」
と言った。
23:16
そこで
その
三人の勇士たちは
ペリシテ
びと
の
陣を
突き通って、
ベツレヘム
の
門
の
かたわらにある
井戸の水を
汲み取って、
ダビデのもとに
携えてきた。
しかし
ダビデはそれを飲もうとはせず、
主(あるじ・ぬし・おも・シュ)の
前に
それを
注いで、
23:17
言った、
「主(あるじ・ぬし・おも・シュ)よ、
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
断じて飲むことをいたしません。
いのち
を
かけて
行った
人々の血を、
どうして
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
飲むことができましょう」。
こうして
彼はそれを
飲もうとはしなかった。
三勇士
は
これらのことを行った。
23:18
ゼルヤ・・・・是留埜
の子
ヨアブ・・・・与阿武(亜武)
の
兄弟
アビシャイ・・・阿備写意
阿鼻謝意
は
三十人の長であった。
彼は
三百人に
向かって、
槍(やり・ソウ・鎗)・・・遣り=遣い=つかい
を
ふるい、
それを
殺した。
そして、
彼
は
三人と共に名を得た。
23:19
彼は
三十人のうち
最も
尊ばれた者で、
彼らの
長となった。
しかし、
かの
三人には
及ばなかった。
23:20
エホヤダ・・・・重補埜拿
の子
ベナヤ・・・・・邊名埜
は
カブジエル・・・仮部字重留
出身の
勇士であって、
多くの
てがら(手柄)
を
立てた。
彼は
モアブ(摸阿武)
の
アリエル(有理重留)
の
ふたりの子
を
撃ち殺した。
彼は
また
雪(ゆき・濯ぐ・セツ)
の
日(ひ・ク)に・・・日
下(くだ・サカ)・・下
っていって、
穴(あな・ケツ)
の
中で
しし(獅子・猪・嗣子)・・・志士・詩誌
を
撃ち殺した。
23:21
彼は
また
姿(すがた・シ)
の
うるわしい
エジプト
びとを
撃ち殺した。
その
エジプトびとは
手に
槍(やり・ソウ・鎗)・・・遣り=遣い=つかい
を
持っていたが、
ベナヤ・・・部名埜・邊名也
は
つえ(杖)・・・・・・ジョウ
を
とって
その所に下っていき、
エジプトびとの
手から
槍(やり・ソウ・鎗)・・・遣り=遣い=つかい
を
もぎとって、・・・・模擬採って
その
槍(やり・ソウ・鎗)・・・遣り=遣い=つかい
を
もって殺した。
23:22
エホヤダ・・・・重補埜拿
の子
ベナヤ・・・・・
は
これらの事をして
三勇士と
共に名を得た。
23:23
彼は
三十人のうちに
有名であったが、
かの
三人には
及ばなかった。
ダビデは彼を
侍衛
の
長
とした。
23:24
三十人のうちにあったのは、
ヨアブ
の兄弟
アサヘル。・・・・阿佐経留
ベツレヘム・・・・別例経務
出身の
ドド・・・・・・・度々・呶々・百々
の子
エルハナン。・・・選留葉名務
23:25
ハロデ・・・・・・葉賂出
出身の
シャンマ。・・・・写務間
ハロデ
出身の
エリカ。・・・・・重理加
23:26
パルテ・・・・・・葉留出
びと
ヘレヅ。・・・・・経例通
テコア・・・・・・梃子亜
出身の
イッケシ・・・・・逸懸詞
の子
イラ。・・・・・・意等
23:27
アナトテ・・・・・亜名渡出
穴戸出
出身の
アビエゼル。・・・阿備重是留
ホシャ・・・・・・補写
びと
メブンナイ。・・・目文名意
23:28
アホア・・・・・・亜補阿
びと
ザルモン。・・・・猿文
ネトパ・・・・・・音賭葉
出身の
マハライ。・・・・万葉等意
23:29
ネトパ・・・・・・音渡葉
出身の
バアナ・・・・・・葉阿名
の子
ヘレブ。・・・・・経例部
ベニヤミン・・・・俳似埜視務
びとの
ギベア・・・・・・義邊阿
から出た
リバイ・・・・・・理葉意
の子
イッタイ。・・・・一体・一対・一帯・一隊
一袋
23:30
ピラトン・・・・・比等渡務
の
ベナヤ。・・・・・俳名埜
ガアシ・・・・・・臥阿詞・臥足
の
谷
出身
の
ヒダイ。・・・・・比対・比他意
23:31
アルバテ・・・・・阿留葉出
びと
アビアルボン。・・亜備阿留模務
バホリム・・・・・葉補理務
出身の
アズマウテ。・・・東有出
23:32
シャルボン・・・・写留本
出身の
エリヤバ。・・・・重理埜葉
ヤセン・・・・・・埜撰
の子たち。
ヨナタン。・・・・与名譚
23:33
ハラル・・・・・・葉等留
びと
シャンマ。・・・・写務万
ハラル
びと
シャラル
の子
アヒアム。・・・・阿比吾務(編)
23:34
マアカ・・・・・・真赤・馬亜化
出身の
アハスバイ・・・・阿葉諏葉意
の子
エリペレテ。・・・重理経例出
ギロ・・・・・・・義賂・疑露・欺露
出身の
アヒトペル・・・・阿比渡部(俳)留
の子
エリアム。・・・・重理阿務
23:35
カルメル・・・・・化留女留
出身の
ヘヅロ。
アルバ
びと
パアライ。
23:36
ゾバ
出身の
ナタン
の子
イガル。
ガド
びと
バニ。
23:37
アンモン
びと
ゼレク。
ゼルヤ
の子
ヨアブ
の
武器を執る者、
ベエロテ
出身の
ナハライ。
23:38
イテル
びと
イラ。
イテル
びと
ガレブ。
23:39
ヘテ
びと
ウリヤ。・・・・有理埜
売屋・売家・瓜屋・瓜也
合わせて
三十七人である。
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