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2015年06月30日00:37

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6月30日の日記

今日の出来事:1333年−元弘の乱:鎌倉の戦い「新田義貞 対 鎌倉幕府」、1894年−ロンドンのタワーブリッジが使用開始、1898年−日本で大隈重信が第8代内閣総理大臣に就任し、第1次大隈内閣(隈板内閣)が発足、日本初の政党内閣誕生、1905年−アルベルト・アインシュタインが特殊相対性理論の最初の論文「運動物体の電気力学について」をドイツの物理雑誌「アナーレン・デア・フィジーク」に提出、1934年−長いナイフの夜事件(レーム事件)、ヒトラーが突撃隊幹部などの政敵を粛清、1936年−マーガレット・ミッチェルの小説「風と共に去りぬ」が発刊

今日は、元弘の乱:鎌倉の戦い「新田義貞 対 鎌倉幕府」です。新田義貞は鎌倉幕府打倒の兵を挙げました。鎌倉幕府は迎撃の兵を向けましたが、「小手指原の戦い」、「久米川の戦い」、そして「分倍河原の戦い」で敗北しました。鎌倉幕府軍は鎌倉に籠もり、七つの切り通しを固めました。「分倍河原の戦い」の後、援軍も加えて大軍に膨れ上がった新田軍は、鎌倉に押し寄せました。新田軍は軍勢を3つに分けました。巨福呂坂、極楽寺坂、化粧坂の三方から攻撃を開始しました。左翼・巨福呂坂方面には堀口貞満、大島守之らを差し向け、右翼・極楽寺坂方面には大館宗氏、江田行義らを、中央・化粧坂方面には新田義貞と弟・脇屋義助が主力を率いて攻撃しました。新田軍は兵力が優勢であったものの、天然の要塞となっていた鎌倉の切通しの守りは固く、混戦が続きました。
小袋坂(巨福呂坂) の戦い:巨福呂坂は、北条一門で執権の赤橋守時が率いる幕府軍が、守りを固めました。赤橋守時は妹・登子が足利尊氏の妻であった事から、北条高時に疑われるのを恥じて、死を覚悟してこの戦いに望みました。新田方の武将は堀口貞満、大島守之でした。赤橋守時は巨福呂坂から出撃し、65回もの突撃を繰り返す激戦を繰り広げ、化粧坂攻撃の新田義貞軍の背後の洲崎まで迫りました。しかし、激戦のため赤橋守時の軍勢は、洲崎に到達した時点で兵力の大多数を失っており、赤橋守時や侍大将・南条高直ら90余名が洲崎で自刃しました。新田軍は攻撃を続け、山ノ内まで攻め込みましたが、幕府軍の守りが固いため巨福呂坂の突破はできませんでした。
極楽寺坂の戦い:極楽寺坂では大仏貞直が陣を張っていました。しかし、幕府軍の守りは固く、大館宗氏が率いる新田軍の一部が稲村ヶ崎の波打ち際より、鎌倉への突入に成功しました。しかし、後続の兵がなく、大館宗氏の軍は幕府軍の包囲攻撃にあいました。これにより、大館宗氏ら11人が戦死、生き残った者は南方の霊山に立て籠りました。
化粧坂の戦い:新田義貞、脇屋義助の主力が率いる化粧坂は、幕府軍の金沢貞将の守りが固く、新田義貞軍は苦戦しました。新田義貞はこの方面での戦いを弟・脇屋義助に任せ、自身は侍大将・大館宗氏が戦死した極楽寺へと転戦しました。
こうして、鎌倉幕府の最終回・東勝寺合戦へとなるのです。

次に、ロンドンのタワーブリッジが使用開始です。タワーブリッジは、イギリスのロンドン市内を流れるテムズ川に架かる跳開橋です。イーストエンド・オブ・ロンドンの商業発展のため、ロンドン橋の下流に新たな橋が求められました。しかし、ロンドン橋とロンドン塔の間にプール・オブ・ロンドンが存在し、入港の障害となる事を避けるため、固定された橋の建設はできませんでした。この問題を解決するため、跳開構造の「はね橋」となりました。デザインの公募を行い、都市建築家であるホーレス・ジョーンズの設計が採用されました。

最後に、「長いナイフの夜事件」です。ナチ党が行った粛清事件です。エルンスト・レームら突撃隊 (SA) 幹部、グレゴール・シュトラッサーらナチス左派などナチ党内の反主流派、クルト・フォン・シュライヒャーなど党外の反ナチ派が粛清されました。ヒトラーの公式発表によると77人が死亡した事になっていますが、116名の死亡者の氏名が明らかになっています。亡命ドイツ人の発表では1000人以上と言われています。この事件以後、ヒトラーの主導権が確立されました。突撃隊上級指導者であったヴィクトール・ルッツェがレームの後任としてSA最高幕僚長に就任し、突撃隊とヒトラーを前にして、ヒトラーに完全な忠誠を誓う演説を行いました。また突撃隊の傘下にあった親衛隊は独立した組織となり、以後党の重要な組織として拡大を続ける事になります。欧米各国は、一斉にヒトラーの行為を非難しました。しかし、ソ連のみが事件に対し肯定的な発言をしました。スターリンは、事件の直後にクレムリンで行われた政治局会議でこの事件に触れ、「政敵を排除した事により、ヒトラーの権力と彼の体制は強固なものとなった」と、欧米各国とは正反対の発言をしました。スターリンはかねてから反対勢力の排除を目論んでいましたが、反撃にあうことを恐れて躊躇していました。この事件は、スターリンに反対勢力を徹底的に根絶する決意を固めさせました。この後、スターリンの有力な後継者かつライバルと目されていたセルゲイ・キーロフが暗殺されます。このキーロフ暗殺を契機に、スターリンはソ連全土で大粛清を展開していく事になります。

今日の誕生日:アーネスト・サトウ、ラッシャー木村、田中雅之(クリスタルキング)、塀内夏子、マイク・タイソン、甲賀瑞穂、ラルフ・シューマッハ、矢部太郎(カラテカ)、中尾明慶、夏帆、菊地あやか(元AKB48、元渡り廊下走り隊7)、月野うさぎ、ちびうさ

今日の記念日:ハーフタイムデー、トランジスタの日、アインシュタイン記念日、集団疎開の日

今日の「今日訓」:本日は、1年も残す所あと半分となる日で「ハーフタイムデー」、1905年、アインシュタインが「相対性理論」の論文を提出した事から「アインシュタインの日」、1944年、東条英機内閣が集団疎開の促進要綱を閣議決定した事で「集団疎開の日」、1948年、ウィリアム・ショックレー、ジョン・バーディーン、ウォルター・ブラッテンが発明した「トランジスタ」が初めて公開された事で「トランジスタの日」となりました。
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