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2015年06月12日21:52

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金魚

先週の日曜日「ナメコのシール」を買いに、娘と孫の三人で小樽に行く。
小樽の通りを歩いていると寿司屋の前に池が作ってあって金魚が泳いでいる。
色々な種類の金魚が居て、生き物好きな陸は立ち止まってじっと眺めている。
お腹が膨らんだ金魚や、青っぽい色をした金魚も居た。

日本の三大金魚の生産地は奈良県大和郡山市、東京都江戸川区、愛知県弥富市なのだそうだ。
弥富は一昨年の旅でも傍の木曽川、長良揖斐川に架かる長大な橋が強く印象に残っているし、昨年の旅でも台風をやり過ごすために弥富の道の駅で一泊した。

一昨年の旅で名古屋から桑名に向かって走っていると、やたらと金魚の養殖場の看板が立っていて、きっと家康の昔からこの辺りでは金魚の養殖が盛んだったのだろうと考えていたが、弥富で金魚の養殖を始めたのは幕末の1860年頃かららしい。

大和郡山市の金魚商人が熱田宿に向かう道中の弥富で、金魚を休ませる為に池を掘り水を張って泳がせていたら寺小屋の権十郎がこの金魚に興味を持ち、購入して飼育を始めたのが弥富の金魚養殖の始まりなのだそうだ。

そして弥富の金魚養殖のきっかけとなった大和郡山市の金魚は、享保9年(1724年)甲斐の国(山梨県)の柳沢吉里が大和郡山の藩主に国替えしたときに持ち込まれたものだ。

東京江戸川区の金魚養殖は明治になってからだが、江戸の中期にはもっと江戸の中心部で飼育されていたらしい。
中心部の開発が進んで水の良い江戸川区に移動してきたとの事。

延享5年(1748年)に出版された金魚の飼育書である安達喜之『金魚養玩草(きんぎょそだてぐさ)』が飼育熱を生んだといわれている。

庶民はガラスの金魚鉢を軒先に吊して楽しんでいたらしく、歌川国芳の浮世絵にも擬人化された金魚が描かれている。

しかし最近は金魚の養殖池がどんどん無くなって宅地になっているらしい。
金魚養殖が金にならないらしい。

好事家の間で高値で取引される金魚もあれば、くずとして売られてゆく金魚もあり、そういうのが夜店の金魚すくいの金魚となる。

ホームセンターなどで売られている金魚はみんなこういう金魚であり、高値が付く金魚は何年も飼育されているので大きいが、こういうところで売られているものは生まれてすぐに篩い落とされたものであるから若く小さい。



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