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2015年06月05日20:10

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#風に吹かれて

     

   どれだけ 道を歩いたら 

   一人前の男と 認められるのか

   いくつの海を飛びこえたら 白いハトは

   浜辺で 安らぐことができるのか

   幾たび 弾丸の雨がふったなら

   武器は 永遠に禁止されるのか



   その答えは 友よ 風に吹かれている

   答えは 風に吹かれている



   幾年月 山は在りつづけるのか

   海に  洗い流されてしまう前に

   幾年月 ある種の人々は 存在しつづけるのか

   自由を 許されるまでに

   幾たび 人は顔をそむけ

   見ないふりを しつづけられるのか



   その答えは 友よ 風に吹かれている

   答えは 風に吹かれている



   何度 見上げたら 青い空は見えるのか

   いくつの 耳をつけたら 為政者は

   民衆の叫びが 聞こえるのか

   何人 死んだらわかるのか

   あまりに多く 死にすぎたと


   その答えは 友よ 風に吹かれている

   答えは 風に吹かれている



生立ち(ライナーノーツより抜粋)
ユダヤの中流階級に育った「ロバート・ジンママン」少年は
革ジャンルックで身を包み、モーターサイクルを飛ばすスピード狂でもあった
ピアノを叩きながら絶叫する「リトル・リチャード」に憧れ
ハイスクール仲間とバンドを組み、スクールパーティでは人気者となっていた

しかし名もなき田舎町の少年バンドに、メジャーになるチャンスが訪れることはなかった
少年はハイスクール卒業後ミネソタ州立大へ進学、ガールフレンドと共に
コーヒーハウスへ出入りするようになる
「ウディ・ガスリー」に影響を受け自らギターを手にハーモニカをぶら下げて
歌うスタイルを確立した

大学を中退し、コーヒーハウスのステージで歌う ジンママン少年は
名前を「ボブ・ディラン」と変えていた


解説(wikiより抜粋)
「いくつの耳をつければ、他人の泣き声が聞こえるようになるのか」「どれだけ死人を見れば、死に過ぎだと気づくのか」というプロテスト・ソング風の問いかけと「山が海に流されなくなってしまうのに、どのくらい時間がかかるのか」という抽象的な問いかけが交互に繰り返されたあと「答えは風に吹かれている」というリフレインで締めくくられる。この曖昧さが自由な解釈を可能にしており、従来のフォークファンばかりでなく、既成の社会構造に不満を持つ人々に広く受け入れられることになった。

経緯(wikiより抜粋)
1962年4月、グリニッジ・ヴィレッジのコーヒーハウス「ガスライト」の向かいにあった「コモンズ」で友人たちと長時間黒人の公民権運動について討論したはてに生まれ、座って数分で書き上げたと言われている。「古い霊歌に言葉を当てはめ込んだ。多分カーター・ファミリーのレコードか何かで覚えたものだと思う。これがフォーク・ミュージックのいつものやり方だ。すでに与えられているものを使うんだ」とディラン本人は述べている。できあがった日の晩、友人のギル・ターナーがMCとして出演していた「ガーディス・フォーク・シティ」に激しい勢いで駆け込み、ターナーに新しい歌を聴いてくれないかと言って歌ってきかせる。ターナーは「すごい。こんな歌を聞いたのは生まれて初めてだ!最高にすばらしい!」と言い、楽屋でコードをディランから教えてもらい、そのままステージにかけあがってそれを歌った。客達は熱狂し、ディランはカウンターの横に立ち、微笑んだ。
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