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2015年06月03日18:45

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アニメ史を振り返る7 (最終回) アニメの芸術性

 いよいよ誰得日記も最終回になります。
 題材は『魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語』です。今回はその作品内容や世間一般、オタク社会に与えた影響ではなく、アニメという表現手段がいかに芸術性に溢れた『可能性』を抱いているかという話です。

 あらすじ
 平凡な中学生鹿目まどかはある日、ネコのような謎の生物、キュウべぇに出会い魔法少女にならないかと話しかけられる。魔法少女になりたいと思いつつも、その対価である願いが思いつかないまどか。しかし、学校に転入してきた謎の美少女、暁美ほむらに大反対されてしまう。先輩魔法少女巴マミや友達の美樹さやか共に魔法少女について学んでいくうちに、その誘いに隠されたキュウべぇの本当の目的に気がついていく。
 叛逆の物語はテレビアニメ版(正確にはテレビアニメ版を再構成した劇場版)の続編ですので、これだけ見てもわかりません。


 本作品を語ろうとすれば、その多くを理屈で語ることができます。それほどまでにレベルは高く、整合性もとれていて、しかもある程度考察の余地を残している脚本のお手本のような作品です。
 総監督は奇抜な演出でここ数年特に注目を集める新房昭之、音楽も大人気サウンドプロデューサーである梶浦由記、脚本家にヒットメーカー虚淵玄、キャラクター原案は蒼樹うめ、製作会社は特徴的な作品を多く作り出すシャフト。
 つまり簡単に言えば、実力派を集めた超豪華スタッフだということです。
 その中でも今回語るのは『劇団イヌカレー(※1)』です。


 世界のアニメを見てみると、様々な芸術性を獲得した作品はたくさんあります。それこそ今では普通になりましたが、ピクサーの3DCGも全く新しいアニメの形ですし、ロシアの監督は『春のめざめ』という作品で油絵を動かすようなアニメを作られています。
 またある方に教えてもらったアニメで、ドン・ハーツフェルト作品はまるで子供の書いたような絵ですが、アニメの表現としてはこれ以上の芸術作品はありません。


 このようにアニメというのは単純にセル画に絵を書くだけでなく、絵であれば何でも動かせる芸術表現として無限の可能性を秘めています。

 私が日本アニメ界に不満なのは、セル画に絵を(今はセル画ではありませんが)書くことばかりに意識が集中していて、全く新しい表現があまり見受けられないことです。もちろん商業なのでそれも致し方ないことですし、新しい表現は少しずつ作品で試されていますが、どれも根本的な変化をもたらすものではないように見えます。
 その中で日本で今もっとも最先端を走るアニメ作品は
 風たちぬ
 かぐや姫の物語
 叛逆の物語 の三つです。
 その中でジブリ作品の二つに関しては今回詳しく述べませんが、特にかぐや姫は芸術性という意味で最高峰のアニメの一つだというのは、見た方ならばすぐにお分かりいただけると思います。


 それでは叛逆の物語のお話になります。
 本作がなぜこれほどまでに高い評価を受けるかというと、完璧と称される脚本とその独特なイヌカレー空間と称される演出方法があります。
 この表現を言葉で表すと、グロテスクと奇妙な可愛らしさが混合したような、抽象画でありながら油絵のような絵が動いています。デザインの一つひとつも奇妙で、ゴシックとでもいうのでしょうか。映画ならば『パンズ・ラビリンス』などの世界観に近いですね。
フォト


こういった絵が手書きと合わさると
フォト


 
 今作は非常に可愛らしい蒼樹うめのキャラクターデザインと、そのグロテスクな表現の対比が非常にうまくハマっています。元々『かわいい』と『気持ち悪い、怖い』といったものは相反しません。むしろこの二つは共存し、スイカに塩のようにお互いを引き立て合うのです。
 美少女が着物を着てお人形遊びをしている、などというのは本来『かわいい』ものです。しかしそれがホラーになると一転、その美少女がお人形を抱えながら手鞠歌を歌いながら迫ってきたら非常に恐ろしい描写になります。
 少女がゴスロリ衣装を着ているというのも同じです。不思議の国のアリスなどはかわいらしい女の子だから成り立つお話で、あれが粗暴な男の子だったり大人だったりすると、その不気味さはまた変わってしまうでしょう。


 また梶浦サウンドは幻想的な曲が多く、作品世界をより引き立てます。エヴァも総合芸術として音楽などへの気の使い方は相当なものでしたが、本作は総合芸術としてもレベルが非常に高い。
 もちろんそういった作品ですから、見やすくて誰にでも楽しめる作品ではありません。人によって合う、合わないがあるし、見終わった後も楽しくおしゃべりする作品ではないでしょう。絵柄が子供向けだから親子連れで映画館へ行って、ポカンとして帰るという話もある。
 物語作品にはある程度のストレスがあるが故に名作な作品もたくさんあります。おそらく本作は多くの人が苛立ちを感じないギリギリのラインのストレスがあるのではないでしょうか。


 本作のような挑戦的な作品があるからこそ、その文化はより発展していくと思います。こういった芸術面を重視した作品が増えることを(そして少しでも売れることを)願いながら、この日記を終えようと思います。



(※1 劇団と名乗ってはいますが、アニメーター二人による作家ユニットです。白犬(白石亜由美)と、泥犬(穴井洋輔)の二名によって構成されています)


 以下 感想
 多分似たようなことを百万人ぐらいの人が考えていて、一万人はもっと深いことを言っているんだろうなぁ。残りの九十九万人も発表やら形にしないだけで、多分レベルはそう変わらないのかもしれない。
 それでも書いてしまった以上は、やはり何らかの形にしたいな、と思い始めた日記でした。どんなことでも表現した方がいいというのが持論ですし、最近、物語は自分を含めた誰かに語ってもらうことではじめて存在意義をもつような気がしています。
 そんな大した話ではなかったですが。

 多分、人によっては突っ込みどころ満載かもしれません。私が知らないだけでどこかの掲示板では笑い者になっているかもしれません。それでもいいと思います。
 大事なのは正解不正解ではなく、なぜそう思うのか、その考え方でしょう。
 違うと思うならなぜ違うと思うのか、正しいと考えたならなぜ正しいと考えたか。その多種多様な価値観が、文化や社会の成熟には大事なのではないでしょうか。

 いつか私も何らかの形で、こうして他人に語ってもらえるような作品が生み出していけるように精進していきたいです。

 長々とお付き合いいただきありがとうございました。


 ちなみに語ることの案は他にもあって、そもそもアニメ史を語ると言いながら出崎さんについて触れないのはどうかと思っています。
 他にも『今敏の幻影』『幾原邦彦の愛』『湯浅政明の挑戦』『谷口悟郎の娯楽』『新海誠の美学』『細田守と原恵一』など案はたくさんあります。もしかしたら、今後単発の日記であげていくかもしれません。

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