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2015年06月02日05:19

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【喘息と体罰の少年時代】/第三部 成人喘息/第三章 結婚・離婚・再婚/第二節 岡本町での独り暮らし/オーストラリア旅行(前編)

岡本町での独り暮らしでは、オーストラリア旅行も思い出に残っています。
平成元年八月、母と二人で、オーストラリアのパースに旅行しました。
僕の家庭に「妹の新興宗教」という厄介な問題を持ち込んだ母。
僕が離婚する原因を作った母。
悲しい少年時代を過ごした僕が、やっと幸せを掴みかけていたのに、それを破壊した憎き母。
その母と二人で、宇都宮駅近くのホテルで、フランス料理のフルコースを食べたのは、昭和六十三年十二月でした。和美との離婚から一年半が経過した頃でした。
本当は、母を憎んでいるはずなのに、、、、、。
僕が掴みかけた幸せを破壊した母を憎んでいるはずなのに、、、、、。
「賽の河原で小石を積む幼子」の気持ちは、こういうものなのでしょうか?
やはり寂しかったのでしょうね。前節でも書きましたが、妻と娘がいなくなった空虚感は尋常ではありませんでした。その空虚感を埋めるために、そばに居てくれる人が必要でした。それが、急務でした。
「母が僕を助けてくれる」
きっと、心の何処かでそう思って居たのでしょうね。
フランス料理を食べながら、僕の「オーストラリア旅行計画」を笑顔で聴いてくれた母。
どういう偶然か、半年前に母は英会話教室に通い始めていました。

オーストラリアの西の大都市パース。成田空港からカンタス航空の飛行機に乗って、十一時間でした。飛行機はカンタス航空でしたが、乗務員は、カンタス航空と日本航空の合同チームでした。エコノミークラスの狭い座席。母は、機内食を食べ終わって消灯してしばらくすると、持病の狭心症の発作を起こしました。常備していた薬も効果が無いようです。僕は、客席最後尾で休憩していた日本航空のキャビンアテンダントさんに
「医師は乗っていますか?」
と尋ねました。そのキャビンアテンダントさん、乗客の中に医師がいないことを既に把握していた様子でした。
「いいえ、搭乗していません。どうなさいましたか?」
「実は、母が持病の狭心症の発作を起こしました。常備薬が効かないようなのです」


−−−−−続く http://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=37979390&id=1942766701

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