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2015年06月01日05:48

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【喘息と体罰の少年時代】/第二部 体罰/第三章 日記を書け!/第一節 日記を書け!

【喘息と体罰の少年時代】
第二部 体罰
第三章 日記を書け!
第一節 日記を書け!

 野川先生は、五年生の最初の授業の日に、
「日記帳を配るので、毎日日記を書きなさい」
と言いました。しかし、僕には日記を書く習慣が身に付きませんでした。月に1度程度、野川先生はクラス全員に日記帳を提出させました。しかし、僕の日記帳は真っ白なページばかり。めくれどもめくれども、真っ白なページばかり。
 急に提出を求められると、そのまま提出するしかありませんでした。しかし、多くの場合は、
「明日は日記帳を提出しなさい」
と、クラス全員に号令します。学校から帰って、真っ白な日記帳を広げ、思い出せる日だけ、1行か2行埋めていきます。悪あがきです。時間がありませんから、どんな日だったか思い出せない場合は、どんどん飛ばしてページをめくりました。そして翌日提出しました。
 当時僕は、クラスの名簿で先頭から2番目だったので、野川先生が僕の日記帳を開くのも早い段階だったようです。提出した日の放課後、野川先生に呼び出されて叱られました。
「すみません。日記を書いていない日がありました」
「『書いていない日がありました』どころじゃないだろ? 書いてない日のほうが多いし、書いてある日だって、1行か2行じゃないか」
今思い返しても不思議なのです。「日記を書かないこと」では、野川先生からは、一切の体罰がありませんでした。体罰もそうですが、罰もペナルティもなく、ただ叱られて終わりでした。しかし、何度叱っても日記を書かない僕という存在は、野川先生には、憎らしく映っていたのかも知れませんね。「可愛い児童」には思えなかったのでしょう。僕に対して執拗に行われた「納豆授業の体罰」。そこには、「何度叱っても日記を書かない可愛くない児童」という僕の存在が作用していたのかも知れませんね。
野川先生が提唱した「納豆授業」。野川先生、僕は毎日努力したんですよ。
「手を上げた児童を先生が指名して答えるのではない。自主的に発言しなさい」
野川先生、僕はそのことを理解していたのですよ。でも、いつもだれかに先を越されてしまったのです。僕は「自主的に発言しない」のではなく、「発言出来なかった」のです。野川先生の授業方針を良いものだと思っていたのですが、その通りに行動出来なかったのです。きっと、そんな僕は野川先生の目に「反抗的な児童」というふうに映っていたのかも知れませんね。
ここ数年、SNSで日記を書いています。文字通り日記です。この四年間で、日記を投稿しなかったのはたった2日です。帰宅が遅くなって0時を過ぎてしまった日記と、不適切な表現を含んでいたため、管理者に削除された日記です。今になって野川先生から再三「日記を書け」と叱られた意味が解ってきました。
「そっか、野川先生はこういうことを教えたかったのかもしれないな」
自分の日記を読み返すと、嬉しいことばかりです。野川先生がもう少し上手に日記の大切さを教えてくれたなら、、、、、。文字として記録に残せなかった日々。僕が忘れているだけかも知れませんね。
「体罰ばかりのツライ一年間」だと思っていた小学五年生の日々。
「窒息死しそうな喘息の発作ばかり」だと思っていた小学五年生の日々。
でも、楽しいこともあったのでしょうね。
遠足は、江ノ島と鎌倉でした。
でも、江ノ島で何を見たのか、どこを訪ねたのか思い出せないのです。
鶴岡八幡宮の長い階段を登ったはずなのに、思い出せないのです。
源実朝が殺されたという大銀杏。
そのそばで、クラスの集合写真を撮りました。
だけど、何も思い出せないのです。
野川先生、日記って大切ですね(笑)

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