同意されると攻撃しにくい。
質問されるとボロを出さずに答えにくい。
ということが、グズでノロマでボケボケの私にもようやくわかってきました。
考えずに生きることはべつに構わないのです。でも考えているフリをして賢しげに意見を言うのはダメなのです。かならず自分に跳ね返ってくるのだから。
言葉による攻撃をすることもべつに構わないのです。でも自分が同じ攻撃を浴びせられてもいいよ、という人だけしか手を出すべきではありません。
未熟者とつきあっていると有限リソースである人生の時間がムダですよね。
だからネットにこそ、人を遠ざけるフィルタがほしいとつねづね思います。
できればケンカすることもなく、自分がのちのちうざったい思いをさせられることもなく、(いらない)人を遠ざけたい。だからあちらから勝手に去ってくれることがベストです。
でも理解者とか出来た人格の人は遠ざけたくない。
だから「同意」と「質問」って有効かなあ、と思う次第なのですよ。
モノを考える人ならば、「同意」も「質問」もありがたくこそあれ、なにも嫌に感じませんよね。むしろしゃべっていいですよサインと受け取るはず。「よく言ってくれました。こういうことなんですよ」と会話が続くものです。少なくとも私は非常に助かります。なかなか滅多にこの2つを上手に使う相手に巡り合わないんですけれど、私が狭い範囲でしか生きていないせいだと思います。すみません。マイミクがめったに増えないのも私が悪いのです。
未熟者は同調圧力でしか相手を説得できず、人格攻撃でしか相手を攻撃できないと相場が決まっています。
前者は質問されると答えられない。「なぜでしょうか?」「だってだってだってみんながみんながみんなが言っているんだもん!」という展開になる。
後者は同意されると続かない。攻撃の動機が不純だと、相手を挑発して怒らせないと始められないようなのです。
荒らしという種族もいますね。
でも荒らしはじつにつまらないサンプルにしかなりません。意見を述べて攻撃する人というのはそれなりに論理があって世の中のセオリーに見せかけて(あるいは心の底から社会のセオリーを踏襲していると信じこんで)行動しているので、たまには意思疎通に成功することもあり、気づいて謝罪する傑物がいたりしますけど。荒らしはなにも建設する意志がない。バカはテンプレどおりに行動して、テンプレどおりに恥をさらすのだという、掃いて捨てるほどあるサンプルのひとつとして記録するくらいしかない。
たぶんネットを離れた現実世界では荒らしへの対策というのはあまり必要ないんでしょうね。面を突き合わせていれば荒らし行為ってやりにくいでしょうし。
そうなるとやっぱり「同意」と「質問」が有効かなあとあらためて思います。
上司だの教師だのにも使っていいと思います。
たまに無能なくせに自分の小さなプライドが傷ついたことだけには敏感な小物が怒り出したりしますけど。
でも早くに決裂する関係というのは、あとになって起こるそれよりもずっとマシなもの。波風立てるのを嫌わないで、ぜひぜひ、どしどしやりましょう。小物は、そのときは怒ってしまって手がつけられない状態になっても、少し時間を置くと態度が変わってきます。そう、「こいつは軽々しく扱えないぞ」と「同意」と「質問」をしてきた相手に一目置くようになるのです。さもありなん。
この手段、弱点がひとつだけあります。
まず自分が先に「同意」と「質問」に耐えられる人間じゃないと使えないという点です。
同意されたらスムーズに意見交換が進むし、質問されたら答えることで理解が進むという、当たり前の状態を作りたいものですね。
敬意を払う相手にも。敬遠したい相手にも。海の物とも山の物ともつかぬ相手にも。
「同意」と「質問」はじつにいい働きをするように思うのです。お勧めなのです。
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