mixiユーザー(id:1474342)

2015年05月09日15:04

238 view

正史にオマージュ 第91回



12 三組目の殺人(承前)



 弟子待(でしまつ)は、お手上げとばかりに、椅子の背に身体を投げ出した。私は立ち上がると、窓を開け、閉めてあった雨戸を開いた。闇の中を雨は降り続いていた。ただ、風が弱まっているようで、降りこまない。
「雨、降り続いてるんでしょう」
「そうだよ」
「お昼すぎに、止みそうになったよね」
「そうだね。ぼくが家に帰りついたころは、かなり小降りになってた」
「もし、雨が止んだら、すぐに村を出られるかな」
 ふと思いついて訊ねた。
「すぐには、どうだろう。途中の道がどうなってるか分からないからね。たぶん、下への道を確認するために、誰かが下りることにはなるだろうけど……あっ、渡邊さんも病院に行きたいはずだなあ」
「無線は?」
「日に一回は下と話してるよ。向こうは天気がいいらしいから、腹立たしいけど……もっと腹立たしいこともあるしね」
 弟子待の口調には、以前聞いた病院や警察に対する愚痴を、連想させるものがあった。
「ねえ、初音さん、そのノート一晩貸してくれないかな」
 弟子待が起き上がりながら言った。
「さっきも言ったけど、事件のことを最初から考え直すには、恰好の材料だと思うんだ。ワニブチさんや雙松(ふたまつ)の姿が見えないって言ってたころは、まさか、こんなことになるなんて思ってないから、けっこう記憶があやふやなんだ」
「いいけど、私も書くのに必死で、途中で読み返してないんだ」
「それはいいよ。初音さんの記憶違いを、ぼくが訂正できるかもしれないし……」
 私には反対する理由はない。むしろ、誰かに読んでもらいたい気持ちがある。
「じゃあ、もうちょっと待って、いまのあなたとの会話まで、書いちゃうから」
 私はそう言ってノートを開いた。弟子待は一足先に通夜の席に戻った。私は、それから、通夜に顔を出すまでの一時間ちょっと、ノートの仕上げにかかった。

0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する