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2015年05月02日17:53

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後編が残念?

1日は 「寄生獣 完結編」を観に行きました。



「寄生獣 完結編」、

「前編」はとってもよく出来ていると思ったけど
「完結編」は…う〜ん…(笑)。
なんと言うか、
このお話のクライマックスは田宮良子の死亡シークエンスにあるので
その後をいかに見せるか?がキーになると思うんだけど、
浅野忠信はカッコいいけど
後藤との対決に血沸き肉躍る…ってほど盛り上がらないし
結末の浦上との件りもテーマ的には重要なんだけど
ミギーが退場しちゃってるから これも今一つ映画的でないし…で、
橋本愛のラブシーンの衝撃だけが間を持たせてる感じなのは
なんかやっぱり残念だったかなー。
ただね
そのクライマックスの深津絵里の田宮良子はよかった!
「そんなにいじめるな。」に込められた田宮良子の思考は
彼女の芝居によってきちんと観客に届いたんじゃないか…?
ん〜…ということは、この映画は
深津絵里と橋本愛の女優魂に支えられてるってことかも。



後編が残念だったのは『ソロモンの偽証 後篇・裁判』も同じで、
これも原作がそうだから仕方がないのかもしれないが
謎解きの面白さというより
中学生の現在がどのような落としどころに導かれるか…?を期待していたら
“これかそれか”に追い込まれて身動きがとれない思春期の生き辛さは
転落死した柏木卓也がはっきりしたキャラを示せず
“わからなさ”や“得体の知れなさ”にすら届かないものだから、
謎解きにすっきり納得…という感じではないのでした。
藤野涼子が主人公であることから
彼女の聡明さの側に正しさがあるならばこういう結末は致し方ない…
とは思うものの、
中学生だから“真摯に事に当たる”姿勢と
中学生だから“生きていられない”脆弱さが同時に描かれてこそ
物語は精彩を得ると思うのです。
てっきりそこが描かれると思っていたけれど、この「後篇」は
“生きていられない”中学生の状況や内奥を紐解くものではないのでした。
『桐島、部活やめるってよ』みたいな
高校生が校内ヒエラルキーを生きる息苦しさをヒリヒリと感じる…
そんな感慨を期待していたんですけど…ね。
女優 藤野涼子の発見! ということで
彼女を見ているだけで 大変面白かったのですけど。



「セッション」の面白さは
思惟太はスポ根の面白さだと思っています。
菊池成孔はスポ根としても3流みたいに言ってましたが(笑)。
そもそも音楽の教養も知識もない思惟太は
ここに描かれるジャズの世界が正しいのかどうかなど判らないわけで、
菊池成孔の文句も
ああ、専門家が見るとやっぱりそうなのね…と思うけれども、
いや、それは措いても
この映画面白いじゃん!と思っちゃうんですよねー(笑)。
だって
ジャズの本当の姿を知るために映画観てるわけじゃないんで。
過剰とかけれんも含めて
ジャズドラマー男子のスポ根ものとして
ものすごくよく出来ている!と思うんですよね。
スポ根だから
速けりゃ結構みたいな奏法が選ばれてるんだろうし
フレッチャーはどう考えたって異常でしょ?
カーネギーホールのプロのコンサートで復讐する?(笑)
いずれも映画を面白くする仕掛けじゃないのかなぁ…?
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