性同一性障害というものがありますね。
論理的には、ブサイクが「俺をイケメン扱いしろ!」と言っていること、
あるいは「私はこんな底流家庭の子じゃない!」と言っていることと
切り分けができないので、
個人的な同情はあるものの、社会的には無視しています。
しかし、自分の人格と肉体が一致していない!という悩みは必ず存在しますので、
これを人格同一性障害と勝手に呼んでいます。
オンラインゲームなどで、作られたキャラクターを操作するとき、
自分の本来の心が「あるべきと思っている姿」に近い姿を選ぶことができます。
マッチョマンにもできますし、可愛い女の子であり続けることもできます。
おっさんが幼女の姿をしていると思うと気持ち悪い部分はあるのですが、
この状態ってもしかすると、知的生命体があるべき形なのかもしれません。
肉体という制限を脱却して、本来したいと思っていたことを実現できる姿だからです。
また、子供が大人を困らせる質問のひとつ、
「この世にはブサイクとイケメンが存在するのはなぜなのか?」
という問題にも一定の解を与えてくれます。
単に、不合理な偶然の産物だということです。
病気を持ちブサイクに生まれた時点で、
勝ちでも負けでもないにせよ、ただ残念でしたというだけのこと。
オンラインゲームでの人間模様を見る限り、
美男美女だらけであってもまったく支障はなく、
十分な個性と多様性が確保され、
さらに、それでもなお、モテナイやつはモテナイことがわかるからです。
人格の魅力は、容姿が均一でも変わらないということです。
人の心が自由であるべきとするなら、
その肉体すら本来はどうでも良いのかもしれません。
心は常に肉体に悩まされていて、
例えば偏頭痛持ちが穏やかな性格であり続けることは難しく、
アトピー患者は集中力がなく怠慢な傾向を示します。
そういう問題を剥ぎ取ることは、心にとっていいことなのか
よくないことなのかは、容易には判断できないと思います。
コスプレやゲームキャラへのなりきりなどは、性同一性障害の苦しみの解消や、
現実で抑圧されていることを解放する手段として有効だと考えています。
当然、そういうものを必要とせず、甘いマスクで金持ちで、
ゲームのようにこの世を無双する人もいますし、
そうでなくとも甘んじて不合理を受け止めて生きる人もいます。
しかし、例えば私はmixiで素顔と本名を隠し、好き放題発言していますよね。
イイネ!をたくさんもらえれば嬉しいものですが、
現実世界では誰も家に訪れず、誰も話を聞いてくれない独居老人かもしれません。
そんな私がmixiをすることは、コスプレよりも健全なのでしょうか。
私はそうは思いません。
人の心が自由を求めるということは、ごく自然なことですし、
その手段としての形の違いにしか過ぎないからです。
他人の欲望とは気持ちの悪いものです。
が、同じものが自分の中にもあることを意識しなければ、
人に優しくなれないかもしれませんね。
■"コスプレがあるから生きられる"!? NHKのコスプレ特集が"重すぎる"と話題に
(おたぽる - 04月23日 08:11)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=178&from=diary&id=3385166
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