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2015年04月19日03:29

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アメリカで輝いている人!!PART2

【アメリカで輝いている人】
http://www.odekake.us/index/brilliant_people77.htm


下竹  祐三郎 さん (Mr. Yuzaburo Shimotake)
YS Business Solutions, Inc. 社長 / MAJC 会長  
http://www.yelp.com/biz/y-s-business-solutions-inc-arlington-heights

 
アメリカで活躍されている方々にインタビューをし、その人の活躍の場、内容、素顔を通じ
よりアメリカを知っていこうと企画された “Brilliant People” 輝いている人!

第77回目に登場いただくのは
YS Business Solutions, Inc. 社長 / MAJC 会長の  下竹  祐三郎 さんです。

下竹さんは長い間金融ビジネスに従事され、その後人材関連ビジネスへ。現在は人材派遣会社 YS Business Solutions, Inc. を起業され代表取締役 また、MAJC(シカゴ日本人会)の会長を務めるなどご活躍です。

−経歴−

1944年 横浜育ち
1967年 神奈川大学 経済学部卒業 トーヨーカネツ株式会社入社
1976年 ルーズベルト大学 MBA 卒業
1977年 シカゴ東京銀行 貸付課 : VP
1977年 この間日系企業の対米進出ラッシュが有り旧東京銀行グループ挙げて
      日系自動車メーカー、部品メーカー等の1977年 対米進出のサポートを
      すると共に対 米投資資金の提供にも協力する
1996年 東京三菱銀行シカゴ支店 貸付課 : Vice President
2003年 アメリカン・クリスタル社(人材会社)営業部長
2003年 2003年から2005 年に掛けてアメリカン・クリスタル社が米国の大手人材会社
      数社を買収する
2005年 TAC Worldwide 社(人材会社 )営業部長
2006年 YS Business Solutions, Inc. (人材会社 )設立・社長
 


Q
アメリカに来たきっかけは何ですか

A
大学を出て就職をして 5 年程勤めたんですが、これでいいのかなぁと漠然と考えていました。大袈裟に言うと自分の中で人生の戦いがあった(笑) このまま行ってもいいけどチャレンジしてみたいという気持ちが大きくなり会社を飛び出す事にしました。

私は横浜で育っているので進駐軍などアメリカに触れる機会が多かった。勤めていましたから小金を貯めて自費留学でアメリカに来ました。しかし一度勉強から離れて勤めた後に また勉強をするというのは想像以上に大変な事なんです。クーリングピリオドが少しでもあると机に座る事すら苦痛で(笑)

でも飛び出して良かったですね。そこで色々な人との出会いがありました。アメリカ人だけじゃなく、外国人との出会いも嬉しかったですねぇ。日本にいたら出来ない事が出来る喜び。勉強は大変だったけど、それ以上に人と出会えた幸せでしたねぇ。

Q
当時( 1970 年代)シカゴはどんな街でしたか

A
ジョンハンコックセンターは既に建っていましたが、シアーズタワーが 70 %くらい建ちあがっていた頃です。マーカンタイルエクスチェンジはその後出来ましたから、まだループも暗かったですね。

兄がノースウエスタン大学を卒業していたので、シカゴという街は全く未知の世界ではなく 心強かったのですが、当時ベトナム戦争があったので、若い人にとってはアメリカに行くと徴兵されるかと、シカゴはアルカポネの街だから危ないとか驚かされていました。

実際シカゴのダウンタウンは今と違い暗いイメージでした。ミシガン通りではなくステート通りが当時のメインストリートでしたが、夜は真っ暗で店は鉄格子のようなシャッターが閉まっていたのを覚えています。シアーズやモンゴメリーワード、カーソンピアスコットなど当時流行っていた店の殆ど全てがステート通りにありました。今はモンゴメリーワードなど会社自体がなくなってしまったところもあり時代の流れを感じます。

自分は怖い目に遭ったり、嫌な思い出はないのですが、友達は危ない目にあったという話は聞きました。

Q
その頃からシカゴは金融、穀物取引で有名な街だったのですか
A
トランスポーテ−ションがシカゴに集中していた事もあり昔から金融の街と言われていましたし、大きな 屠殺(とさつ) 場もあり家畜や穀物の取引でも有名でした。そこで円の取引もされているという事で日本からも注目され 76-77 年くらいから金融の街としてのイメージが日本でも強く伝えられました。

邦銀もこの頃 15-16 行くらいありました。東京銀行は当時最大のコンチネンタルバンクなど米銀との連動はありましたが、邦銀との連動はなかったですね。日本の銀行再編やバブル崩壊などで採算の取れない銀行は撤退していき、今は東京三菱UFJ さんとみずほさんくらいですね。 シカゴに持っているという面子だけで来ている銀行も沢山ありましたから、出なくても良いところまで出てきていたという時代ですね。

自費留学の後に最初に勤めたのが金融関係

一度学校に入学したからには卒業が目的ですから、勉強は頑張りましたよ。
そんな時 東京銀行の人と出会い、それが縁で東京銀行に入行しました。

昔の銀行の人は堅いイメージがありましたが、東京銀行はリベラルな銀行でした。
金融商品を売りながら、経営に参加していく精神があり、フレンドリーバンクだった。そんな環境で育ったのでとても勉強出来ました。財閥や系列のない中立な銀行なので何処でも取引出来たので、幅広いお付き合いが出来のも良かったですね。

1985 年当時は日本企業の進出ラッシュで中西部全体をキャラバンセールしました。お客様を連れて工場見学に行ったり、金融に関係するものはパッケージで紹介していました。普通の銀行員とは違い、外に出てお客様のお手伝いをしていました。その間に人事の勉強もして今の仕事に繋がったのですね。

シカゴ東京銀行は 1964 年設立  1996 年までリテールもやっていました。個人預金もやっていたので、個人を大切にする。すると企業の口座も取れる。リテールがなかったら、そういう面白さがなかったかもしれません。私は法人担当でしたが、個人と企業が一体となって、人との触れ合いが多かったですね。

その後勤めた人材ビジネスのクリスタルも同じ。同業の中でもカルチャーが違う会社でしたねぇ。例えて言うなら東京銀行はオール 5 の優等生。クリスタルは組織が出来ていなかった分 評価が 5 もあれば 1,2 もある。そういった面白さがありました。

Q
起業されて大変な事はありますか

A
人との出会いが自分でも想像もしなかった世界に誘い、現在は人材ビジネスをやっています。私はずっと金融の世界にいましたが、経理が出来るかといえばそうでもない。経営も同じ。機会を与えてもらったので、そのチャンスを掴んだだけなんです。
ずぶの素人でも前向きにやろうと思えば道は拓ける。起業出来るといった見本ですね(笑)

クリスタル時代には企業買収をしました。そこで知り合ったアメリカ人の会社が基盤となり、エネルギーとなっています。

起業する上で一番大変な事は全て自分でやらなければならない事ですね。だから本当にやりたいと思う人でないと難しいと思いますよ。 起業するとこれで良いというところがない。自分で決める事が多くなります。 自分で率先して何でもやる人じゃないと出来ない。人に任せるタイプやサラリーマン的な発想の人は難しいかもしれませんねぇ

会社を買収してやるのは近道だけど、スクラッチから立ち上げるのはかなりのエネルギーとコネクション、そして時間が必要。しかし、その分自分の道が拓ける。日本の若い人は家庭があったり現在の仕事などの関係でリスクが取れないかもしれないけど、アメリカ人や他のナショナリティの人は結構タイミングを狙っていますよ

銀行にいた時の経験でお金を増やし、人を育て、企業体力を作って成長していく。メカニズムは分かっているつもりですが、実際には物凄く難しいことです。企業には責任がありますから、起業しても継続していくのが難しい。

MAJC の会長でもありますが、 MAJC との出会いは

実は MAJC ( Mid America Japanese Club /シカゴ日本人会)との関わりはそれ程古くはなく、 2003 年のビジネス・ラウンドテーブルに参加したのがきっかけです。その前から存在は知ってはいましたが、メンバーにもなっていませんでした。

MAJC は今年で 17 周年目を迎えます。 1993 年に発起人の方々の 2 年間にわたる準備、計画の結果からこの会は始まり、 1998 年に 40 年近く歴史のあるシカゴ日系人会( Japanese American Association of Chicago )と併合し今日に至っています。当会は全てボランティアで構成された役員と理事の奉仕で運営されています。

また、 2009 年7月には当会が長年の念願でありましたNPO(ノン・プロフィット・オーガニゼーション)の認可証―― U.S. 501(c)-3 non-profit Charitable organization ―― を IRS ( 米国税務局 ) から頂きました。これにより、会へのご寄付は全て非課税対象になりますので、今後更に当会の活動も活性化できるものと期待しています。

Q
MAJC ではどんな活動をされているのですか

A
やっている事は簡単に言えば時間を供出してボランティア活動をしているということです。自分のボランティアの時間を自分の住んでいるコミュニティで役立たせる、貢献出来る。 具体的な活動を挙げると恒例の日本祭り( Japan Festival )を初め、お助けマン( Otasuke-Men )、スコーキー文化祭( Skokie Festival of Culture )、ビジネス・ラウンドテーブルやセミナー、新年会、ラビニア・クラシック音楽鑑賞、ピクニック、ゴルフ、忘年会など会員の親睦会の他、毎月の役員理事会、毎年 4 月に開催される年次総会を含め数々の年間行事を企画しています。

メンバーになって頂くのも良いが、アイディアを出して頂くだけでも良い。非常に良い会だと思いますよ。最終ゴールが自分だけではないですから、皆の為に供出して欲しいですね。お助けマンはそれぞれ得意な専門知識を生かして、例えば電気に強い人、機械に強い人が家の修繕を行う。日本祭りではアートのタレントがある人が鯉のぼりを作ったり、神輿やWEBなども作る。

1人1人の大切なタレントを生かして役立ててもらう。お金にはならないけど喜んでもらえます(笑) そういった地域貢献活動が大切だと思います。

Q
今後 MAJC をどうしていきたいですか

A
ヤングパワーを作りたいと思っています。シニアの方が起こした会ですが、次のジェネレーションにアプローチをかけていかないといけないと思っています。若い世代に何か接点を提供していきたいですね。あそこに行けば誰かがいるといったような憩いの場所。そういう所で世代を越えて駄弁って欲しい(笑)

それと地域・社会貢献ですね。お助けマンの発祥はシニアの方、お年寄りを助ける発想からスタートしていますが、今では誰でもお電話頂ければお助けします(笑) 勿論出来るものと出来ないものがありますから、事前に確認頂かなくてはなりません。

お助けマンは多くの方々から感謝状を頂き、アプリシエートされています。費用は会へのドネーションを頂ければ、実費でやってくれますからコスト的にはかなり安いですよ。商売ではなくボランティア活動なので時間の中でやれる事をやってもらっている。とても良い仕事をしています。

MAJC は役員が 15 人くらいいますが、全員が MAJC の本質、活動を1つ1つ全て理解し、人に伝えて活性化していく。チームワークで組織を成長させていくという意味では会社経営と同じですね。

キャッチフレーズを作って、それを伝えアプローチをしていくのは良いことです。方向性を確かめながら皆で協力しあって進んでいく。私は MAJC の会長をしていますが、経験がある方々が周りにいるので信頼して私は神輿に乗っているようなものです(笑) 自分 1 人の力でやることでも、やれる事でもない。皆の力でやっていける事。皆のアイディア、協力で事業はさらに良くなるのです。

【成功の秘訣】

A
夢が実現しないと成功とは呼べない(笑) 私はまだ夢を実現させていないので成功しているとはいえないから偉そうに言えませんが、長続きさせる方法と言うのなら、夢を持って仕事をするという事だと思います。

何事も無理をすると長続きしない。学生時代は友達もいる、時間もある。社会人になると自分の環境にあったものをしていく。私の場合サービス業だからお客様を大切にする。アプリカント 働く人がどう考え、どうしたいかを良く聞いて、理解して紹介する。また、企業の要望も同様に良く理解し双方が満足出来るような引き合わせをする。金融時代と商品は違うけど、人を大切にする点では同じ。

サラリーマン時代は上司がハッピーじゃないと良い評価がもらえない。企業、働く人がハッピーじゃないと私もハッピーじゃない。人を大切にすることが共通点ですね。

お金も勿論大切なのですが、それだけは続かない。夢をもってそれに向かって進んでいくと仕事も面白いし、夢に近づいていこうとチャレンジにもなります。特に若い人は自分が将来どこにいくか、どうなりたいかといった夢があると良いですね。常に周りの人が何をやっているのか、自分が何になりたいのかを意識する事によって自分を見失わないようになる。

お金持ちになりたいという人がいますが、ではいくら欲しいの? と聞くと具体的な数字は出てこない。宝くじが当たって 60 ミリオンあっても、それで何をしたいかが分からなければ自分を見失ってしまう。そのお金の為に駄目になってしまうことだってある。ゴールがお金だけじゃない。

Q
夢はなんですか

ちょっと遠いからなぁ(笑) 心に秘めて公表するもんじゃないけど、やってみたいと思っている事はありますよ。夢は大き過ぎてなかなか達成出来ないけどそれくらいのほうが良いですよ。

プライベートな時間をどのようにお過ごしですか

趣味でサックスフォン アルトとテナーをやっています。今はアルトに集中しています。

アメリカで生活し子供達が学校に行きだすとバイオリンをやったり、色々な事をやりだして 羨ましいなぁと思っていました。ある時子供達が「お父さんは何がやりたいの?」 と聞いてきたので、サックスフォンがやりたいと言ったら、誕生日の日にプレゼントしてくれたんですよ(笑) 忘れもしない 2004 年の 60 歳の誕生日です。

サックスフォンは音が出るまでに時間もかかるし、難しい楽器です。すぐに上手くなろうとは思わず、根気良く、辛抱強く練習することです。私は慌しい日常の中で1日 30 分でも練習するようにしています。それも大変な事だけど、出来るだけ頑張ってやっています。プロになる訳ではないですが、継続して練習していく事が大切だと思いますし、楽しみでもあります。プレーは教会でやったり、家に招いて演奏したり。

お金もさることながら趣味が1つ2つあると色々な想像が出来て良いですね。音楽を通して人との出会いもあるし。新しい夢も出来る。楽しみを増やしていける。 音楽を人前でプレーするのは勇気がいる。こまめな練習の積み重ね、いくつもの集結した結果を発表するのですからね。

MAJC でもどういう老後を過ごすかというテーマで話し合う事があります。ゴルフも良いのですが、体を壊してしまうと出来なくなる。それ以外の何かを用意しておいたほうが良いという意見もありました。

お勧めスポット

ジャズスポットは良いですよね。 シカゴダウンタウンにある Andy's も良いけど少し北にある Green mill も良いですね。

夏はジャズフェスティバルもあるし、ローカルでもフリーのコンサートが沢山あり、音楽を楽しむ環境が整っている。気軽に楽しめる。そのうち私も演奏出来るように(笑)

それとシカゴは何と言ってもミシガン湖畔が美しい。

本日は、お忙しい中有難うございました。

インタビュー後記

下竹さんには随分以前からお世話になっています。今回改めてお話をお伺させて頂き、人との出会いをとても大切にされている事が良く分かりました。金融も人材ビジネスもサービス業 人を大切にするという点では同じとおっしゃっています。下竹さんにとっては全ての事が人に繋がっていくのだと感じます。

終始柔和な笑顔で今までのご苦労や人との縁、ボランティア活動など色々なお話を聞くことが出来ました。
下竹さんのお人柄がうかがえます。

YS Business Solutions, Inc. (人材会社 )経営の他  MAJC 会長と幅広くご活躍の中 60歳から趣味でサックスフォンをやられたりと人生を 謳歌されている姿が魅力的です。


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