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2015年04月08日07:41

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演奏会形式「ワルキューレ」(N響他 7日 東京文化会館)

http://www.tokyo-harusai.com/program/page_2407.html

とても立派な演奏だったと思います。歌手、概ね揃っていたし、ヤノフスキ指揮N響もパワフルであり弦も美しかった、好演です。スクリーンの映像、音楽の邪魔にはならずに、これはこれでありか、と、思いました(但し、フィナーレ、全山が燃え盛っているように見えるのには、なにか大規模な山火事が起こったみたいで、思わず苦笑しましたが)。

ワルトラウト・マイヤーの存在感はどの登場場面でも傑出です。第三幕、ジークリンデが必死に生き延びようとする決意の叫び等、実に素晴らしかった。この歌手を聴いただけでも納得の演奏会ではあります指でOK。また、ジークムントを歌ったロバート・ディーン・スミスがニュアンスに富んだ歌唱で、私は好感です。第二幕、神々をなじる彼の情感溢れる場面は訴えるものがあり、ここから幕の終わりまでの音楽は緊張感も素晴らしく、私は、この日、一番印象に残り心を動かされましたわーい(嬉しい顔)!第三幕、ヴォータンの告別が「泣かせる場面」(たいていの場合、私は、ここでウルウル)なのですが、なぜが、この日は涙が滲まずあせあせ(飛び散る汗)。なぜだったのかなあ。エギルス・シリンス、立派な声ですが、ちょっと陰影に乏しかったからなのか、私のアンテナが鈍かったのか!この場面で泣けないと、私にとって、「ワルキューレ」の感動は、正直半減です。ちょっと残念ダッシュ(走り出す様)

演奏会形式での演奏、生々しいオーケストラと明快な歌はとてもいいのですが、さあ、私みたいに、特にワーグナー・フリークでないものにとっては、今日のような立派な演奏をもってしても、やはり、いま一つ満足度は高くない、というのが、正直な感想です。聴きながら、どうしても今まで体験した舞台(生舞台・映像)が思い浮かんできます。舞台だったらなあ、と何度思ったことか。第二幕など、舞台でみたら、歌手の動きも加わり、もっとダイナミックで聴き応えがありますし、第三幕は言わずもがな。

旧知の曲を聴く場合、どんな曲であれ、私にとっては、今までに気づかなかった、ないし、今まで感じ得なかった「何か」を新たに得たいのですが、この日、新たに得たもの、正直、特に思いつきません(^^;)。いい演奏だったと思うけど。この曲、あまりにも聴き慣れているからなのか、ワーグナーに対する、あるいは、この曲に対する思いが、自分はやや薄いからなのかしら??珍奇な演出のワーグナーは、それこそ観たくもないけれど、やはりオペラは舞台だな、とあらためて思った次第(^^;)。ひねくれた感想で、すみません。

なお、字幕に一言。ブリュンヒルデを「ものにする」という表現、が頻繁に表示されるけれど、いかがなものか!「ものにする」という表現は、強制的に犯すみたいで、あまりにも俗すぎ。「娶(めと)る」ないし「妻にする」という言葉使いの方が似合いますね。細かいことが気になるのは、私の「悪いくせ」(^^;)。

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