この前の水曜日は、モーグルか映画かの選択肢ではあったが、全国的に天候が悪く今回モーグルは断念
というわけで、“ジュピター”を観に行くことにした。
この日は丁度1日。
毎月1日は映画の日という事もあり、更に子供たちは春休み、休みに合わせてドラえもんの映画が上映されており、映画館の中はごった返しの状態である
しかし、当のジュピターとえいば、いつも通りの観客の入りであった
マトリックスの監督の作品という売り文句でのこの作品。
この時点で微妙感が漂う。。。
“アメリカン・スナイパー”にしても、クリント・イーストウッド監督作品と謳い宣伝されている。
これは、ある意味イーストウッド監督の手腕を高く買っているという事でもあり、どれを見ても結構面白く、イーストウッド監督の作品はいいですよとも取れる。
だが、もともとマトリックスのアンディ&ラナ・ウォシャウスキー姉弟も作品をたくさん世に出しているわけでもなく、また、その作品に関しても大ヒット作品には恵まれていない
この“ジュピター”を観て思ったのは、マトリックス同様、この監督の世界観が大きく出ている作品であると感じた。
マトリックスもそうだが、映像美は素晴らしいものがあるのと同時に、この独特の世界観が自分たちの想像の先を行き過ぎていて、多少ついていけない部分があるのではないかと考えてしまった。多分、先を行き過ぎていてリアリティに欠ける部分があっての事かもしれない
それを象徴してか、映像はすごいが評価は低い作品でもある
映画のストーリーは、
宇宙最大の王朝に支配されている地球。家政婦として働くジュピターは、何者かに襲われたことをきっかけに、自身がその王朝の王族であることを知る。王朝ではバレム、タイタス、カリークというアブラサクス家の3兄妹が権力争いを繰り広げており、それぞれが自身の目的のためジュピターを狙っていた。。。
マトリックスも遠い非現実の世界の中にも、リアリティがあった。
それが、面白さにつながっていた。
マトリックスは、ストーリー的におかしな部分があったが、それでも引き込まれ今でもたまに観る事がある
コレクションにまでしたいといった映画ではなかったが、あの映像とストーリーを思い付くところは、やっぱり普通の監督にはない感覚の持ち主であると思えて仕方がない
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