当ても無く銀座など散歩して、歩き疲れたとする。
飯時には中途半端だし、かと言って、酒を飲む気分じゃないときだってある。
となると、どうしたって、選択肢は喫茶店ということになる。
資生堂パーラーはブルジョアに過ぎるし、かと言って、スターバックスでもなく、
タリーズやマクドナルドでもない。
風月堂も悪くは無いが、やはり、みゆき館が好みである。
学生時代、多摩モノレールに乗っていった立川の駅ビルにみゆき館が入っていて、
当時の交際女子とふらり立ち寄ったのが初めて。
20年近く前の、きらり木漏れ日のような思い出。
そこで銀座にも店舗があることを知り、忘れたころに茶などを喫しに行くことに。
白とそしてわずかに赤をを基調とした店内はそれなりに瀟洒だが、決して広いといえず、
ゆったりと座れる椅子でも無いのに、不思議と窮屈さを感じない。
おしゃべりしている人々の声も、なぜか、それほど気にならない。
要するに、まあ、居心地がいいのである。
茶やコーヒーだけならいくらでも家で飲めるはずなのだが、それでは足りない。
結局求めているのは、飲み物だけではない、街であり空気であり人の声であり、
何だか得体の知れない空間の経験なのだと分かる。
こういうのを、贅沢と感じるべきか、人間性の回復と見るべきか。
もし後者ならば、回復すべき人間性とは何だろう。
などと小理屈考えているうちに珈琲を飲み終える。
回復したのは人間性何ていう高尚そうなものではなく、中年の疲労か。
こうして、当ても無い散歩に戻ることになるとある日常なんである。
ではまた。
ログインしてコメントを確認・投稿する