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2015年03月24日08:29

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ベートーベン「荘厳ミサ曲」考(都響定期公演23日サントリーホール)

http://www.tmso.or.jp/j/concert_ticket/detail/detail.php?id=752&year=2015&month=3

この曲、凄いですねえ。伽藍のような構築性、ポリフォニックな音楽として最高のものではないかしら。いわゆる古典派の音楽の行き着くところ。フーガの圧倒的な力強さと輝き、木管楽器の使い方の上手さ(精霊としてのフルート、神々しいトロンボーン、ファゴットやオーボエの哀歌など)などもベートーベンの作曲技法の集大成でしょうし、「クレド」の、また「ベネディクトゥス」の、そして「アニュス・デイ」のアダージョの、祈りの音楽の美しさは、比類ないものです。この音楽を生で聴けるのは嬉しいこと。

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今回の演奏!終わった直後は、正直、ややスマート過ぎる流れと自分の聴きたかったキモとの微妙なズレに、イマイチ、ブラヴォーというわけにはいかなかったが、帰宅して落ち着いたら、やはり、曲の凄さは納得できました。一気呵成の「グローリア」と起伏に富む「クレド」が一番心に滲みました。ここは見事指でOK。合唱は好演でした。

実は、先週から今日に備えてこの曲、CDやユーチューブで、多分3回以上は「通し」で聴いてきたので、自分にとっても「聴きどころ」が出来てしまったことは「よかったのか、悪かったのか」(苦笑)。先週のインバルさんの、あまりにも鮮烈過ぎる演奏(上野のホールの明快な響きも相乗効果)が残像として残っていた(多分?)ことや、予習のしすぎで、この曲に対する新鮮さが薄れたこともあり、前述の感想になったのかもしれませんがく〜(落胆した顔)

ズレは次のとおり(^^;)。自分のイメージでは、管楽器の活躍に期待し、全体に、もう少しソロイックに聴かせてもらいたかったのですが、あまり目立たず、ちょっと肩透かし。「ベネディクトゥス」のヴァイオリンソロ(矢部さん)にしても、美しくはあるけれど、あんなに控え目でなくてもいいのでは。指揮者小泉さんは、多分、オケとの一体感を重視したのでしょうが、私にとっては(爆笑)ここは聴きどころ、もっと大胆に強く弾かせて泣かせて欲しかったなexclamation & question。また、独唱陣、ベルディの「レクイエム」ではないのですから、そんなに目立つ必要もないとは思うけど、自分にとっては「アニュス・デイ」冒頭のバスのソロだけは、もっと切実に訴える力が欲しかったあせあせ(飛び散る汗)。ソロでは、一番の聴きどころなり。河野さん、ちょっとお年を召されたのでは(^^;)。今日は声に伸びがなかった、「ミゼレーレ」に切迫感が聴かれず、ちょっと残念。というわけで、細部につき私のイメージと合わない結果でしたが、あまり予習もせずに、白紙で、この演奏に臨んだら、もっと新鮮で、ちがった感想になっていたかもしれませんねダッシュ(走り出す様)。コンサートに望む姿勢、難しいものです(苦笑)。

最後に、この曲に対する唯一の疑問!この曲、大傑作に違いないし、私は大好きなのだけれど、自分がしっくりこず納得できないのが「アニュス・デイ」の構成。素晴らしいアダージョから、ティンパニィと軍楽隊のようなTpで始まる「中間部」の入りが、なんとも下世話で世俗的に感じる(^^;)。一気に、俗界に引き落とされたようで、ついつい苦笑。当時の啓蒙主義的な気分などの背景もあるのか、それにしても唐突、安直では(大ベートーベンさんに対し、失礼極まりないとは思うけどねうまい!)。ここで戦争を暗示し、また「終結部」も同じような仕掛けから合唱が導かれ「平和」を歌い、最後に向かうのだけれど、ここからの音楽も、展開規模も小さく、大きな感動を引き起こすにはあまりに簡潔すぎる。「グローリア」のような高揚感も、「クレド」のような祈りも味わえない、終わり方。もっと盛り上げるか、逆にしっとりと余韻を残す、消え入るような終結を、ベートーベンはなぜ選択しなかったのか?それまでの音楽が、あまりに素晴らしいので、そう感じるのかしらん。「アニュス・デイ」の「中間部」からの音楽に対する違和感、私だけの感じ方なのかもしれませんが、「謎」として残り、なんとなく釈然としないのですね・・。

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