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2015年03月18日04:05

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史実を捏造しようとしているのは誰か

■反日映画?捕虜虐待描いたアンジー作品 上映阻止の運動
(朝日新聞デジタル - 03月17日 07:48)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3322808






 最後の映像は、映画に先駆けて、2013年に米CBSが、ローラ・ヒレンブランドの『Unbroken | A True World War II Story of Survival, Resilience, and Redemption(壊されざる者/生還と快復と救済の、真実の第二次世界大戦物語)』をドキュメンタリーにしたものである。
 ルイス・ザンペリーニが日本軍に虐待を受けた史実はそれまでにも何度かドキュメンタリーとして映像化されていて、この最新映像でも、1998年に虐待の張本人であった渡邊睦裕(わたなべ・むつひろ)元軍曹に行った生前最後のインタビューを再録している(33分あたりから)。

> 「ビート(殴ったり)、キッキング(蹴ったり)というのは、白人社会においては、非情な……非情な仕打ちだと。ただ、殴ったり、ビートしたりする、程度のものは、共同生活の中で、やむを得ない場合もあったわけです。(虐待を)ミリタリーオーダー(軍令)でやったというのじゃなくて、やはり、私自身の気持ちから見て、フレンドにはならなかったですね。ザンパリーニ(ママ)さんは有名な人だったんだし、彼が渡邊に殴られたと言うならば、キャンプ(収容所)内でそういう事実があったことは考えられます。私の立場上」

 奥歯に物が挟まったような、隔靴掻痒な言い回しではあるが、自身のサイコパスな行為を告白するのだから、自己弁護的な面が表れるのは自然と言えば自然ではある。
 日本人社会だって、殴ったり蹴ったりはいかんだろう、というのは現代人の感覚である。戦前の日本では軍隊どころか学校だって体罰は当たり前で、道徳教育の一環として是認されていたことは周知の事実だ。現在だって、戦前教育のしっぽを引きずった体罰教師が問題になることがあるが、当人はそれが「指導」として正しいと信じ込んでいるのである。
 その感覚で戦前を回顧するから、いや、日本軍くらい規律正しく紳士的な軍隊はなかった、と信じがたいことを言い切る人間がゴマンといるのである。ビンタやら断食やら苦役やらは、決して虐待などではなく、軟弱な捕虜を鍛えるための親切だった、と本気でそう思い込んでいるのだろう。

 今どきの子供なら、親からも教師からも殴られたことがない、なんてのは普通だろうが、ほんの20年ほど前まではそうでもなかった。子供の頃、体育教師から殴られても「ありがとうございました」と感謝して頭を下げなきゃならなかった辛い過去を記憶している中年の方も少なくないと思う。戦後30年、40年くらい経っても、そういう戦前教育の残滓が消えなかったのだから、ましてや戦前の軍隊が「現代人の感覚で」紳士的であったはずがない。いや、実際にどれだけ当時の軍隊や教師が暴力的だったか、他ならぬ日本人たちの証言がいくらでも残っている。私らの世代だと、水木しげるの戦記物で、日本軍の低劣さは嫌と言うほど見せつけられているのである。
 日本軍の虐待を描いた作品が事実無根だの反日だのと騒いでいる連中は、明らかに「不都合な真実」から目を背けている。あるいは本当に「虐待など微塵もなかった」と妄信しているのだろう。それは殆ど狂気に近い。彼らはみな、過去の妄念に捉われた現代の亡霊である。

 戦時中の日本の悪行を描く作品が出てくると、決まって、アメリカだって、日本に原爆を落として平気でいるじゃないか、戦時中の捕虜虐待や、在米日本人差別の方がよっぽど残酷だったじゃないか、という意見を、いかにもマトモな論であるかのように述べる人たちが現れる。でも、相手が罪を犯してるからって、自分の罪が相殺されるわけじゃないのは、それこそ自明の理ではないか。
 彼らは、バカなヤンキーが「タバコ吸ってるの俺だけじゃねえだろ」とか「万引きくらいみんなやってる」と言い訳しているのと同レベルのことを言っているのだが、なぜかそのことに気づいていない。少しでも自分を省みるだけのアタマがあれば、それが自分がしでかしたことを棚に上げているだけの屁理屈に過ぎないと分かるはずなのだが。
 その言い訳の仕方だと、事実無根どころか、実際にタバコ吸ったり万引きしたりしたことを前提にしているのだから、罪を自分で認めていることになる。「アメリカの方が酷い」と主張するのは「日本もそこまでじゃないけど酷いことをした」と白状したことになるのだが、それが分かんないってのはやっぱりバカなのかな?

 『アンブロークン』に関しては、ドキュメンタリーでも検証されている通り、渡邊睦裕が不承不承ながらも自身の虐待の事実を認めている。ザンペリーニ氏以外の捕虜の証言も多数あって、「事実無根」と反論することはまずもって不可能だ。 
 要するに、言い訳できない事実を突き付けられそうで慌てたやつらが、上映中止のどうのと騒いでいるだけなのである。映画が本当に事実無根であるのなら、実際に上映させて、ここがおかしい、ここは捏造と、いちいち指摘すればよろしい。実際にかつて物議を呼んだ『靖国』にしろ『ザ・コーヴ』にしろ、上映された後では、様々な捏造や虚構が指摘されて、今ではまともに相手にされなくなっているのだ。
 だから『アンブロークン』を反日映画と決めつけたいなら、むしろ上映させた方がいいのである。そんなことをしたら、映画に洗脳されて、戦時中の日本人が悪逆非道の限りを尽くしたと思い込まされてしまうじゃないか、と言うのなら、日本人の判断力、理解力、批判能力を相当、低く見積もっていることになる。『靖国』や『ザ・コーヴ』については、観劇した人たちの反応は圧倒的に「捏造」という批判が多かった。私も騙されはしなかった。
 本当にその映画が捏造だらけなら、観客の大半は「真実」をちゃんと見抜く。コロリと騙されるバカなどそうはいない。なのに、まだ観てもいない映画について、焦るように上映禁止を訴えているのは、その時点で、上映反対派が、映画の内容が事実であると自ら認めているに等しい。

 結局、「映画を見もせずに上映禁止を訴えるのはおかしい。まず一般公開して、内容を見てから、おかしいところがあれば批判すべきだ」という意見が最も当たり前で正しいということになる。
 先述したとおり、上映反対派はいささかイカれているところがあるから、上映劇場に対して何らかの抗議運動を起こす可能性がある。過激なテロ行為に走る危険も決して低くはない。となれば、配給会社が二の足を踏むのも心情としては理解できなくはないのだが、それが即ち「テロに屈する」ということである。『太陽』の上映を訴えた時にも語ったことだが、「表現の自由」は、我々が命を懸けても守らなければならない最重要な人権なのだ。
 単館公開でもいい。小さな劇場なら、警備員を配置することも可能だろう。警察と協力して、観客の身体検査を行った上で観劇という手間を取ってもらっても構わない。その費用を上映料金に上乗せしてもらってもいい。劇場公開がどうしても無理なら、ネットでの有料配信や、DVDの通販という手だってある。公開する手段はあるはずだ。

 上映反対運動は、明らかに戦前回帰の言論弾圧運動であり、同時に脅迫、テロ行為をも匂わせる反社会的行為である。記事にもある通り、これまでも日本軍の虐待を描いた映画はあったが、問題にされたことはなかった。『戦場にかける橋』では斎藤大佐を演じた早川雪洲はアカデミー賞候補になった。『戦場のメリークリスマス』は、受賞こそ逸したもののカンヌ映画祭で世界的な評価を得たし、坂本龍一とビートたけしを国際的なスターにした。日本人が誇りうべき成果をもたらしているのである。
 渡邊軍曹を演じたMIYAVIさんが「売国奴」の謗りを受ける現状はいったい何なのか。そんな戦前の死語を復活させる動きには、20年ほど前なら一斉に批判が浴びせられていたろう。なのに今は「静観」を決め込んでいる人たちの方が大多数だ。しかし、ここまでの異常事態に対して何一つ発言することなく放置していれば、いずれは海外映画だけに限らない、彼らは日本で上映される全ての映画に対して「干渉」する態勢を整えていくだろう。「反戦」をテーマとした作品がすべて「反日的」と見なされ、戦争を扱う映画そのものの製作が困難にさせられる事態にもなりかねない。
 あいつらが鵜の目鷹の目で日本で公開される映画全てに目を光らせるようになったら、私が製作を応援しているあの映画にも横やりを入れてきたりしないかと、そういうことを危惧しているのである。
 史実を捏造して、日本をダメにしようとしてるのは確実に「史実を世界に発信する会」(渡部昇一が顧問ってだけで糞組織だって分かるよな)他の上映反対派の連中なのである。みんな、もう黙って様子を見ている時じゃないんだよ。

 後半を読めない人もいるだろうから、その部分も含めて本記事を全文引用しておきます。

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 人気俳優アンジェリーナ・ジョリーさんが監督した映画「アンブロークン」が、日本公開をめぐり揺れている。米国でヒットし50カ国以上で公開されながら、国内では配給会社すら未定。旧日本軍の捕虜虐待を描いた内容に、ネットなどで「反日映画」とボイコット運動が起きているためだ。戦後70年、1本の映画が、日本の過去への向き合い方を問うている。

 「日本貶(おとし)め映画」「事実無根」「どんどん抗議の声を上げていくべきだ」――。

 フェイスブック上に不穏な言葉が躍る。「アンジェリーナ・ジョリーの反日映画を阻止しよう!」と名付けられたページには1200人以上が参加し、連日、映画批判が投稿される。日本公開に関する最新の報道も、すぐに共有される。

 「アンブロークン」は米国で昨年末から3千館以上で上映。興行収入は1億ドルを超え、「ラスト・サムライ」を上回った。

 一方、虐待場面の長さから「意味のない拷問マラソン」(ニューヨーク・ポスト)「中国で反日感情をあおる可能性も」(ロサンゼルス・タイムズ)といった評もある。

 日本では映画化が報じられた昨夏ごろからネットで批判が始まった。署名サイト「Change.org」ではジョリーさん宛ての上映反対キャンペーンに約1万人が賛同。「日本に来るな」などの書き込みが続いた。米軍の日本兵虐待の事例を逆に紹介し「日本軍は世界一人道的だった」「東京裁判史観を変えない限り、第2のアンジェリーナは現れる」などと内容は歴史認識へも波及。捕虜を虐待する伍長を演じたギタリストMIYAVI(石原貴雅)さんに対しても「売国奴」などと匿名の中傷が繰り返された。原作にある「捕虜が生きたまま食べられた」との根拠が不確かな記述も反発の理由になっているが、映画にその場面はなく、誤解に基づいた批判も多い。

 配給元のユニバーサル・ピクチャーズの作品を国内で上映してきた東宝東和は公開を検討したが、結論は出ていない。同社の八代英彦取締役は「リスクは小さくない。いざという時に矢面に立つのは劇場。簡単に踏み切れない」と話す。同社にも「公開するな」との電話が数本あったという。

 一方、「Change.org」では日本公開を求める東宝東和宛ての署名も1200人集まっている。中国や韓国では既に公開され、日本の動きは欧米など海外メディアも注目。日本の歴史修正主義や「右傾化」と絡めて報じられている。

 海外メディアの取材を何度か受けた「史実を世界に発信する会」(東京)の茂木弘道事務局長は「映画は見ていないが、事実無根の思い込みや決めつけによる作品で、上映の必要はない。この映画こそ日本人性悪説に基づいた人種差別だ」と語る。同会は渡部昇一・上智大名誉教授やNHK経営委員の長谷川三千子さんらが顧問に就く。

 ザンペリーニ氏の強靱(きょうじん)な意志と寛容の精神に感銘を受けて映画化を決めたというジョリーさんは、複数の取材に対し「反日映画ではなく許しの物語だ。映画を見てもらえればわかる」と強調している。

■「騒ぐほどでは」「目背けたいだけ」

 実際に見た人の感想はどうか。ニューヨークに住む映画監督、想田和弘さんは「虐待場面が長い割に伍長の内面や暴力の理由が分からない。異常者のように描かれている。日本人が感情移入するのは難しい」と内容への評価は厳しい。ただ、「この程度で反日と騒いだら、第2次大戦など描けない。ホロコーストを扱った映画がドイツで公開できないとしたら、世界はどう見るか。日本の戦後の取り組み自体に不信感を抱かれかねない動きだ」と上映阻止運動を危ぶむ。

 英インディペンデント紙のデイビッド・マクニール記者も「プロパガンダ性もないのになぜ『反日』なのか理解に苦しむ。見もせずに攻撃している人たちは、単に不都合な真実から目を背けたいだけでは」。元伍長は98年、ザンペリーニ氏の来日を機に米CBSテレビの取材に答え、捕虜への暴力を認めている。

 マクニールさんは、同様に日本軍の捕虜虐待を扱った映画「戦場にかける橋」(57年)や「戦場のメリークリスマス」(83年)を挙げ、「これらの公開が問題になっただろうか。日本の変化は危うい」と話した。

 日本では数年前、中国人監督の「靖国」(07年)や和歌山のイルカ漁を糾弾した「ザ・コーヴ」(09年)の封切りが、右翼や新保守団体などの劇場への抗議活動で中止に追い込まれ、社会問題化した。一方で公開を後押しする動きも広がった。自ら「靖国」の上映会を開いた右翼団体代表の河原博史さんは「見もせずに風評で反日と決めつけるなど論外だ。仮に反日作品だとしても、日本人だけが内容を知らず、反論もできない。上映阻止は卑劣。見た上で論理的に批評すべきだ」と語る。

 ユニバーサル・ピクチャーズ・インターナショナルのダンカン・クラーク社長は、朝日新聞の取材に「アンブロークンを通じていかなる政治的メッセージも広める意思はない。日本での公開は未定だ」と答えた。

 MIYAVIさんは「国境や人種の壁を越えて、ザンペリーニ氏のいち人間としての『赦(ゆる)し』という心の境地に至るまでの過程や、生命の強さ、尊さを、映画を見て下さる全ての方々が一緒に考えるきっかけの一助になれれば本望です」とコメントした。(石川智也)

     ◇

〈映画「アンブロークン」〉 ジョリーさんの監督2作目で、意味は「不屈」。太平洋戦争で旧日本軍の捕虜となった米国の元五輪陸上選手ルイス・ザンペリーニ氏(1917〜2014)の半生を描く。原作は全米ベストセラーのノンフィクション。爆撃機が太平洋に不時着し、47日間の漂流後に捕らえられたザンペリーニ氏は、東京・大森や新潟・直江津の収容所で看守の伍長(後に軍曹)から2年にわたり執拗(しつよう)な虐待を受けた。毎日のように竹刀やベルトのバックルで殴られ、捕虜同士で殴り合いもさせられた。戦後は復讐(ふくしゅう)心に苦しんだが、キリスト教の「許し」の教えに救われ、1998年の長野五輪で80歳の聖火ランナーとしてかつての敵国を訪れる。

    ◇

 MIYAVIさんが朝日新聞に寄せたコメントの全文は、以下の通り。

    ◇

 原作を読ませて頂いたときに、そのストーリーの内容ゆえ(自分自身、役者としての経験が無い事も含め)一旦はお断りさせて頂こうと思っていました。しかし、アンジェリーナ・ジョリー氏にはじめて東京でお会いした時に、彼女から「原作とは切り離して、映画ではルイ・ザンペリーニ氏の『生きるという事に対する姿勢』にフォーカスし、今の時代を生きる全ての人々に、彼が生涯を通じて辿り着いたメッセージを伝えたい」という話を聞き、また彼女のこの作品への熱い想いに直接触れ、当時の人達が持ち得たであろう葛藤や、苦悩もふくめて「自分なりに表現できることがあるのなら」と考え、体当たりで挑戦させて頂きました。

 国境や人種の壁を越えて、彼のいち人間としての「赦(ゆる)し」という心の境地に至るまでの過程や、生命の強さ、尊さを、映画を観て下さる全ての方々が一緒に考えるきっかけの一助になれれば本望です。

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