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2015年03月09日20:21

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日記とは言えないが。

振り返って見れば、60年も生存してしまったので、その間数え切れない喪失に直面してきた。
しかし、こんな経験は恐らく初めてだろう。

去る2月27日(金)のこと。

30年来お世話になっている、近所の本屋さんに、いつもどおり1ヶ月分取り置いてもらっている雑誌を受取りに行った。おばちゃんも、変わりなく「これとこれで良かったんやね」と。「はい、では¥◎◎◎◎ですね」とお勘定してもらおうとした時、不意に「あ、そうそう」とA4の紙を。そこには「4月をもって閉店」の文字が。しばらく言葉を失っていたが、ようやく事態が呑み込めた私は、とりあえず「永らくお世話になりました。これからはゆっくりしてくださいね」と言うのがやっとだった。
ご夫婦ともに70代。いつかはこの日が来るだろうと思ってはいたが、それが今日とは。ここ数年、おじちゃんは認知症の兆しが、おばちゃんもいくつもの病気と付き合いながら、先代から約70年、地元の本屋さんでありつづけてくださった。
ただ、京都人とは思えない極めて気さくなおばちゃんは、笑顔で「お店閉めても、ここにはいてるから、遊びにおいで」と言ってくださったうえ「4月の初めにお馴染みさんだけと、ご飯食べるから,Hさんも来てや」と誘っていただいた。ありがたくお受けして、お店を後にした。
まだ30歳少し手前ころ、この界隈に越してきて徒歩圏内に見つけた「一番ご近所の本屋さん」だった。

あれこれ回想が脳内を駆け巡るうちに、部屋近くまで戻った。翌日に競馬を控えている事を思い出し、コンビニに立ち寄った。そして… ラックに並ぶスポーツ新聞各紙の見出しが目に突き刺さった。「後藤騎手自殺」
あたふたと会計を済ませて帰宅した。記事自体はあくまで事実関係を掲載しただけのものだった。
深刻な事故・負傷に何度も見舞われ、何度もはね返して復活して見せてくれた彼が、なぜ。答えがかえってくるはずもないが、その「なぜ」が何度も何度も私の中で響き続けた。
規格品的優等生の多い、騎手学校出身者の中で、彼は際立ったファイターだった。西では飄々とした、でも熱い勝負師・佐藤哲君。東ではむき出しの闘志でレースに挑む後藤君。彼等に代表される個性の突出した騎手がいなかったら、競馬はドラマ性の薄い平板な、ただのギャンブルになっていただろう。
後藤君の自殺については、早くも下衆なメディアどもがあれやこれやと、興味を煽り立てる記事を載せ始めている。いつものことだ。
後藤君とは、このようなやり切れない別れ方を。佐藤君は、早すぎるという印象を残したままの引退。
でも、きっと新しい勝負の感興を、若い世代や海外勢、地方競馬からの殴り込み組たちが盛り上げてくれるだろう。後藤君の競馬に注いだ情熱にば、それに期待することが追悼になると信じるしかないだろう。佐藤君も既に、独自の語り口を持つ解説者のポジションを得つつあるのだし。

第3波は、持ち帰った雑誌の中にあった。
20年以上の愛読バイク雑誌『別冊モーターサイクリスト』(以下MC)。いつものようにページを繰っていると、見慣れぬレイアウトの告知。中味は「4月号で休刊」というものだった。この世界では休刊=廃刊なので、これで定期購読のバイク雑誌は『ライダースクラブ』だけになってしまった。この2誌はカラーが明確に異なるものの、30代後半〜のバイク乗りの欲求に応えうる、数少ない雑誌の中の2つだった。
私の先代バイク・SUZUKI RG500Γ も、MCでの評価の高さが購入の大きな引き金だった。数年前に月刊から隔月刊になった時に「危ないのかな」と感じた事が現実となってしまった。
国内バイク市場は、ピーク時の30%程度にまで落ち込み、いきおい広告収入も激減したことがMC廃刊の主原因だったようだ。4輪車もそうだが、若年層のバイク離れも著しい。普通に走らせるだけでも、スポーツ・マインドの必要なバイクは、即ち「危険性の高い移動手段」と位置づけられてしまっているのかも知れない。
MCの消滅が、趣味性の高いバイク界そのものの衰微の象徴にならないよう、祈るような心持ちだ。

同じ日に、3度もの喪失を突きつけられた記憶が無い。
あの日、頭が整理不能の状態だったせいか、あっという間に1週間以上が過ぎてしまった。今、ようやくこの事態を自覚的に捉えることができ始めている。
こうして文字にしてみようと思ったのも、その顕われなのだろう。
確かに、書き進めていくうちに、3つの衝撃がこれから私の内部の、どのあたりに納まって行くのかが見えてきたようにも感じられる。

2015年2月27日は忘れられない日になった。
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