科学哲学 トピックのテーマ「科学の宗教」についてのコメントをメモ(記録)と致します。
私のコメントは第13項目に記述しました。
柱書:
2011年04月14日 03:10
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退会したユーザー
サイエントロジーという名の“宗教”があるようですが、これは“科学”らしいです。
コメント(13件)
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[1]
2011年04月14日 03:12
. サイエントロジー(Scientology)は、L・ロン・ハバードが創始した新宗教である。アメリカに本拠地を置いている。
使用されている用語など、見たところは伝統的な宗教よりも自己啓発セミナーに似ている。実際、サイエントロジーで実践されているダイアネティックスがその最初期の形態だった頃、「これは科学である」と彼らは主張していた。
この活動が自らを宗教と主張するようになったのは、サイエントロジー教会の設立以降である。
「サイエントロジー」、「ダイアネティックス」、「L.ロン ハバード」、「ハバード」という表現はいずれも日本における登録商標である。
ウィキペディアより参照・抜粋
[2]
2011年10月10日 16:15
. 無自覚につかっている「科学」ってなんですか?
というところから、このコミュに入らせていただいたので、
科学がなんなのか分からなければ、「これは科学だ」といっても
「これはなんだか分からないものだ」
と言っているのと同じになってしまいます。
実はこっそり科学の定義を詰めてみたのですがw
[3]
2012年05月11日 18:34
.
Qちゃん 「科学的であること」とは「便利であること」と理解しています。
グレゴリウスのまとめた「天動説」でも、膨大かつ複雑な計算の手間を惜しまなければ、太陽系の主要な惑星の運行を説明できるのだと聞きました。
じゃあなぜ、今は、ほとんど全ての天文学者が「地動説」を推しているかというと、「地動説のほうが計算が圧倒的に簡単だから。」だそうです。
やっぱり面倒臭いのよりは、単純なほうが良いよねぇ。
[4]
2013年02月14日 12:58
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おずおず >>[3] Qちゃんさん
天動説でもすべての天体の「位置関係(時間的移動の幾何学も含めて)」を記述することはできますが、万有引力の法則とは思い切り食い違います。質量の小さな地球の周りを太陽が回ることはあり得ない(両天体の重心の周りを回るのですから)。
ですから天動説はやっぱり、科学じゃないのです。
[5]
2013年02月14日 15:24
. >>[4] おずおずさん
今天動説を唱えれば疑似科学ですが、万有引力の法則が発見される前の段階で、その時点で観測できることが無矛盾に説明できれば「科学だった」ということでしょう。もっとも、そんな昔は科学と宗教が今のように分離してないですが。
[6]
2013年02月17日 08:33
.
おずおず 科学的である、ということのボクなりの定義、
観察と実験で世界観を構築していく認識の営み。
不足や矛盾、間違い等ありましたら教えてください。
[7]
2013年02月18日 11:20
. まず理論が先行することもあります。
[8]
2013年02月18日 16:41
.
おずおず 理論、あるいは仮説、は、それだけではお話であり、科学とは言えない、という捉え方です。
検証されてはじめて科学になる、と。
理論物理学なんかは理論の構築の出発点はあくまでも、観察や実験の結果であると思います。
その結果を元に仮説を立てる。でもそれはあくまでもお話であり、観察や実験の裏付けがなければ仮設でしかない、と。
[9]
2013年02月18日 19:04
. 科学は検証されたものも含めて仮説です。
[10]
2013年02月18日 19:41
.
おずおず >>[9] ひがしかぜさん
そうですね。相対性理論だって相当な証拠がみつかっていますけれど、まだ仮説でしたね。
そもそもニュートン力学が、ありとあらゆる証拠を集めていながら、相対性理論の前に倒れましたね。
にもかかわらず、ニュートン力学を今の状況から判断して疑似科学だなんてバチ当たりな(科学的でない表現ですけど)決めつけをする人はまずいない。
さてボクの定義は反論されました、というよりあっけなく粉砕されてしまいました。
誰かこの反論を乗り越える科学の定義、出していただけませんか?
[11]
2013年02月19日 22:52
. >>[10] おずおずさん
近似であったり、いずれ反証されるかもしれない、ということは前提として、その時点で観測・実験や他の正しいとみなされている理論と矛盾はなくかつ反証可能性もあるものは科学と言えると思います。
(この場合、他の理論と共倒れになる可能性はあるし、他の理論だけが倒れる可能性もある)
ニュートン力学も相対性理論も科学でしょう、近似というだけで適用範囲を間違えなければ矛盾はなくかつ有用なので。近似はダメだとなると、科学は存在できないことになると思います。
[12]
2015年02月14日 15:38
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サイエンスミロク 龍樹の空思想(仏教)は最先端物理学と一致します。
2000年以上前に、こんなに科学的な宗教があったのです。
青目釈「中論」にその論理が纏められています。
下記、ホームページのエッセイ(仏教タイムス)をご覧下さい。
「空」が物理学的に表現されています。
http://ww4.enjoy.ne.jp/~okano11/
.
[13]
2015年02月16日 09:04
.
モリオバッハ
聖職者の大半の方々は、科学と宗教を誤認混同(勘違い)されておりますよ。
益してや普通(素人)の方々は、なおさらですね。
科学は物質次元界での事象(事件)なのです。
宗教は精神(魂)次元界での事象(事件)なのです。
次元界を区別して精査・考察していくと理解(納得)がし易いと想いますね。
科学は物質次元界の現象学と捉えておりますよ。
特許法第2条に自然法則が規定されておりますよ。
自然法則に沿った技術思想(アイディア)をベースに、新規性・進歩性・当業者は容易に考えられないとの特許法第29条をクリヤーすれば登録になるのです。
自然法則に沿わない技術思想は特許(登録)になりません。
科学はこの自然法則に合致した技術思想の探究・追究なのです。
宗教は精神(魂)次元界の現象学と捉えておりますね。
宗教は、人間同士間(自分自身と自分自身以外の他人)の葛藤劇でなく、あくまでも自分自身の心の世界、所謂、精神(魂)次元界の葛藤劇なのです。
持って生まれた清い心<善>、大人になるにつれて我儘(わがまま)<悪>が増幅し、<善>と<悪>との葛藤劇が宗教の本質を表現しているのですよ。
集合論的に診れば、重複しているところもあるので、誤認混同を起こしている原因だと思っているのですよ。
世界の諸々の出来事(事件)を観察・分析・解析・精査・考察していくに、それらを見極める力量・裁量が肝心なのですね。
どうぞ、研鑽を積み重ね、事実確認を積み重ね、真実を見極め、真理への探究に勤しんで下さい。
皆様とご一緒に、探究の旅を楽しみたいものですね!!
[14]
2015年02月16日 21:28
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サイエンスミロク 様からのコメント
>>[13] モリオバッハさん
私は、龍樹の「空」が最先端物理学の知見と一致すると述べています。
龍樹の仏教と最先端物理学は、もちろん、違うでしよう。
なお、科学といっても、なかなか定義は困難です。人文科学とも言います。
これは特許法では扱われないでしよう。
宗教と科学を対比させても、下記の場合はそれぞれ関係が異なります。
キリスト教と科学。
日本仏教と科学。
龍樹の空思想と科学。
まず、龍樹の空思想を理解してからでないと、「龍樹の空思想と科学」
を論じることはできません。
龍樹の空思想は非常に科学的です。
このことは龍樹の「中論」を読まない、理解してない人には分からない
でしよう。
[15]
2015年02月17日 10:43
.
モリオバッハ
>>[14] サイエンスミロクさん
おはようございます。
貴重なコメントを頂戴し有難うございました。
「中論」で述べらている、
空・陽炎は、「成分をたどり、素粒子・エネルギーに行き着く」現代物理学と一致する。ともかく、我々は不可思議な世界に住んでいる。
との記載、
自然界&人間界も真理は同一でありますから、一致していなければ可笑しいのですよ。
私も原子物理学を学生時代一寸ばかり勉強しましたので、大自然界の構造スタイルは理解できております。
原子核の中身の中性子・陽子等々の超ミクロの世界から天文学的な超マクロの世界まで、小学生時のクラブ活動「理科部」での天文・気象観測から大学生時の電子顕微鏡観察に至るまで、色々と観察体験を積んで参りました。
実際、大自然界の構造スタイルは視覚(目)では検証できませんでしたが、先生・教授等々の説明からイメージ化が出来ましたね。
原子核を一つとっても、原子核の周りを電子が楕円軌道で周回しており、螺旋構造で構成されていることも大学生時に知徳しましたよ。
全て、この世界は、バランス(平衡)&ハーモナイズ(調和)で保たれていることも知徳できました。
高校生(1963年〜1965年)時は、立正大学付属高校であったため、法華経を3年間必須科目としてお坊さんの先生から教えて戴きましたよ。
また、高校生時に近所にあった東駒形教会(プロテスタント)に通い出し、KKS(高校生のための聖書研究会)に参加し、先生・伝道師・牧師さん達と喧々囂々でディスカッションして参りました。
神話で登場する人物や神(々)、歴史学的な物質次元界での事件のように扱われ、自然法則に則しないところは「奇跡」と言われてしまい、理系人間には可笑し過ぎて理解・納得できませんでしたね。
「奇跡」を「想定外」と言っているような逃げ口上は、物理屋・技術屋・特許屋としては許容できません。
「想定外」も想定しなければ、一流のプロとは言えないと皆様にアピールしてきたのです。
想定外を達成するには、莫大なコストがかかるから、経済的にみ合う妥協点を見極め、性能&価格のバランス&ハーモナイズを考え、採用に至るのが工学なのです。
学校ではお釈迦様、教会ではキリストのスタンスを学び、そのスタンスを自分自身のライフスタイルに活用し、様々なボランティア活動を高校生時代から始め、サラリーマン時代、還暦定年退職後も、「歓喜の人生」を謳歌して参りましたよ。
学校や教会、寺院等々での学習、修行、実践を通し、理系人間としての科学観&宗教観を見極めてきたのです。
最後に辿り着いたのが神秘主義です。
神秘主義を介して、世界中の神話を解釈すると奇跡との表現は理不尽なく理解納得できることも知徳しております。
「中論」はまだ勉強していないので適切なコメントが出来ませんが、真理は同一であることも認識していますので、最終的には同じ結果・結論に至ると想われます。
そうでなければ、真理は同一であることに矛盾が生じてしまいますからね。
ご一緒に、真理への探究の旅を共に味わい、更に深めて、楽しんで、「歓喜の人生」を共に歩みたいものですね!!
毎日毎日が「発見(気づき)」と「感謝(有難い)」の日々なのです。
[16]
2015年02月17日 17:00
.
サイエンスミロク 様からのコメント
>>[15] モリオバッハさん
素粒子の性質は、「粒子と波」の両方の性質を持つ、このことを
どのように考えられますか。
「真理は同一であること」は、成立しないと思います。
キリスト教では、神が真理ではないのですか?
龍樹は、神を認めません。また、真理という言葉を用いません。
*「中論」、または、その解説書を一読下さい。
[17]
2015年02月18日 09:16
.
モリオバッハ
>>[16] サイエンスミロクさん
おはようございます。
コメント有難うございました。
全ては「波動」の世界ですよ。
私は、この波動の世界を活用して、ホビーのクラシック音楽&オーディオに利用しております。
また、波動の世界を健康維持管理にも役に立てておりますよ。
波動の世界、健康的なライフスタイル(生活習慣)を続けるためには欠かせませんね。
1977年夏季(7月・8月)、欧羅巴(ヨーロッパ)の各地で体験してきたライブコンサートの雰囲気・臨場感を再現・再生するために、波動の作用・効果を利用しているのです。
今までに、素粒子から天体に至るまで、波動の世界を味わい楽しんできましたよ。
真理が同一である領域まで達していないようですね。(失礼な言い方、御免なさい!!)
観方、捉え方が相違するだけで、着地点は同じであることが認識されるまで、追究してくださいね。
違う・違うと言っている間は、真理がまだまだ見えてきている状態ではありません。
これは説明して解るものでなく、自分自身の経験則に基づいて気が付く世界なのです。
キリスト教では、ハルマゲドン、復活に該当し、
仏教では、悟り、解脱と言われ、
イスラム教では、ジハード・聖戦に該当することなのです。
これは、物質次元界で行うと、テロ行為になってしまうこともご存知でしょう。
精神次元界で行うべきアクションを物質次元界で行ってしまっている現実、誤認混同を起こしている姿なのですね。
あくまでも、自分自身の心の世界、精神(魂)次元界で行うべきアクションなのです。
色々な世の事象(事件)を多面的な、多角的な、全方位的な観方、観点・視点で精査していかないと事実⇒真実⇒真理が見えてきません。
また、変換・転換できる能力を身につけないと、全てが真理が同一であることが認識できませんよ。
宗教での神話解釈、大半の聖職者は、物質次元界で起きた事件と想っているところに誤認混同を来たしているので、世の中の悲劇・不幸が続いているのです。
神話は、精神次元界のお話を我々凡人に解り易く、物質次元界に置換して、記述されているのです。
世の中の出来事(ニュース)は、表側がテレビ&新聞等々で報道され、裏側は隠されております。
如何に、ニユースの裏側を見ることができるか、読み取れるか、その絡繰りを見破る、見極める裁量(パワー)が肝心なのです。
ニュースの裏側、見えておりますか。
アベノミクス、ユダヤ・フリーメイソンの戦略通りに動いていると推察できれば、理不尽なところありませんよね。
このようなお話も、私が長年開催し、行ってきた音楽鑑賞会「バッハの音楽に親しむ会」の例会やバッハのマタイ受難曲のセミナー等々で、気づいて貰うためのヒントを伝授してきましたよ。
私もまだまだ、真理の探究への入口にきたところであり、奥は深すぎて、一生涯探究を続けても、一部しか見えてこないと想っておりますよ。
一部の「木」が寄せ集まって「森」を見ることができ、「木」と「森」の相互関係がみえてくると楽しいでしょうね。
宗教の真理が少し見えてくると、クラシック音楽の真理も見え出し、善と悪の葛藤劇を演じていrことが認識できて参ります。
全ては楕円軌道で螺旋構造、楕円は中心が2つあり、善と悪、男と女、上と下、と言うように2極化された世界観、相互の葛藤劇のような空間が楽しめるのですね。
1の世界、2の世界、3の世界、4の世界、・・・・・・・・・・Xの世界観を見極めることへの楽しみがあり、真理への探究の旅の過程を楽しむことが生き甲斐の一つにもなっているのです。
大自然は大き過ぎて、チッポケナな人間には、全ての自然化(素粒子から天体まで)を見通せないし、「自分自身は何もわかっていないし、わからないことを認識できている」と大学時代、哲学の教授に言ったら、それは、同じことをソクラテスがすでに2500年前に喋っているよ。と応答してくれましたね。
今日のところはこの辺で失礼致します。
[18]
2015年02月19日 00:56
.
サイエンスミロク 様からのコメント
>>[17] モリオバッハさん
「 キリスト教では、ハルマゲドン、復活に該当し、
仏教では、悟り、解脱と言われ、
イスラム教では、ジハード・聖戦に該当することなのです。」
これらが、同じ真理であるということを説明して戴けませんか?
上記は真理ではありませんよ。例えば、悟りの中味が「真理」
かも分かりませんが、悟りと真理は同義ではありません。
おそらく、真理は悟りの対象です。
もし、あなたが、次のことを真理として分かれば凄いと
思いますが。分かりますか?
神はなぜ(why)存在するのか?
この世界はなぜ(why)存在するのか?
人間はなぜ(why)存在するのか?
さて、この世界が全て波動であるとするなら、
「波動」とは何ですか。
音は空気の振動です、空気(気体)の振動です。
気体とは粒子の集まりでしよう。
したがって、音という波動は、粒子の波でしよう。
「波動」だけの世界は存在しないと思いますが?
[19]
2015年02月19日 09:21
.
モリオバッハ
>>[18] サイエンスミロクさん
おはようございます。
大変貴重なコメントを戴き有難うございました。
数々のご質問に対する回答、一冊の本が書けるくらいのテーマですね。
先人は、「大自然界(宇宙全体)」を「神」と捉え、「神」と命名したと想っていますよ。
人間で言えば、「神」は胎盤のようなイメージですよ。
胎児は人間であり、出産時、狭いトンネルから出てくるようなイメージですね。
さてさて、ご質問の件、上記のイーメジが理解できれば、自ずから回答を見出せることでしょう。
「波動」についての観方は、貴殿の仰る通りですよ。
総称として、「波動」と言っている訳です。
上記第17項目にも記述したように、
違う・違うと言っている間は、真理がまだまだ見えてきている状態ではありません。
これは説明して解るものでなく、自分自身の経験則に基づいて気が付く世界なのです。
禅問答と同じように、正解はなく、ヒントが得られたならば、自分自身で気付く世界観なのですから。
ヒントが得られる状況下にない人が大半であり、私もまだまだ真理への探究の入口にやっと辿り着いた境地なのです。
真理は奥深く、探究・追究心が終わり着くことはありません。
幸いにも、妻がこれらのことを奥深く探究してきたので、ヒントを出して貰っている状況なのです。
神秘主義は、秘密主義なので、一部でも公開・公示すると妻に怒られてしまうのですよ。
従って、ずばり回答をすることが出来なく、躊躇っているのです。
恐縮に存じます。
[20]
2015年02月19日 09:59
.
サイエンスミロク 様からのコメント
>>[19] モリオバッハさん
貴方の言い方は、何か詐欺師に似ているように思います。
「神秘主義は、秘密主義なので、一部でも公開・公示すると
妻に怒られてしまうのですよ。」
と言われるのであれば、貴方の投稿は止めるべきではないですか?
[21]
2015年02月19日 14:07
.
サイエンスミロク 様からのコメント
>>[19] モリオバッハさん
>先人は、「大自然界(宇宙全体)」を「神」と捉え、「神」と
命名したと想っていますよ。
キリスト教では、「神」が「大自然界(宇宙全体)」を創造した
と言うのではないですか。
>「波動」についての観方は、貴殿の仰る通りですよ。
総称として、「波動」と言っている訳です。
それでは、「波動」の意味・定義になりません。
*貴方の言っていることは、単なる「戯言」に過ぎません。
有害だと思います。
イイネ!
返信
.
[22]
2015年02月20日 09:53
.
モリオバッハ
>>[21] サイエンスミロクさん
おはようございます。
ご指摘、ご批判を頂戴し、有難うございました。
詐欺師のように想われてしまい、私の至らなさに尽きます。
宗教等々の他のコミュニティーでも、同じように想われてしまい、このようなテーマをこのような場で申し上げるには限界を感じております。
「バッハの音楽に親しむ会」のセミナーにおいても、20〜30分のディスカッションでは、意図が伝わらず、60〜90分、或いは日を改めて、再度ディスカッションを続けてやっと伝わる有様でした。
伝われば嬉しいのですが、特に聖職者達は固定観念が強すぎて伝わらないこともしばしばでした。
言い訳はそのくらいにして、貴殿のご期待には沿えないと想われますが、考え方を記述いたします。
神秘主義は秘密なので公開禁止が原則でありますが、世界の悲劇・不幸が絶え間なく、宗教の考え方や修行・実践・研鑽方法が非科学的なところが多分にあり、誤認混同(勘違い)されているところを見直しされ、観方・観点のスタンスをチェンジすると、より一層真の宗教観・宗教感が深まることを伝えてきたのです。
宗教も科学も人間がつくった考え方であり、思想なのです。
人間が登場する数百億年前から自然界(宇宙)はあり、確かに、キリスト教では、「神」が「大自然界(宇宙全体)」を創造したとアピールしていますね。
何でも神がつくったと言ってしまえば、科学はつまらない学問になってしまうことは言うまでもありませんよね。
例えば、原子核の周囲を電子が楕円軌道で回って動いている。誰が電子を動かしているのだ。それは神様です。との応答で終わってしまえば、科学にならないわけです。
科学と宗教の接点、集合論的に考えると、両者が包含されている和の部分もあるでしょうが、あえて両者を分けて、分析・解析していくと理解しやすいことを神秘主義の一部を妻から教えて貰って、理系人間でも納得できるようになったのです。
私は、宗教は精神次元界の事象(事件)であり、科学は物質次元界の事象(事件)であると区切りをつければ、神話で奇跡と言われているところも理解できるのです。
まあ、神話と科学(自然法則)、このようなディスカッション、高校生(1963〜1965年)時、KKS(高校生のための聖書研究会)で討論していましたが、どこまでディスカションしても同調できないで、反発していましたね。
当然、牧師や伝道師、長老、信者の方々から異端児扱いとみなされ、奇人変人に思われていましたが、皆様、慈愛の精神で、半世紀余り、温かく受け入れてくれていましたよ。
貴殿のご指摘のように、投稿は止めるべき、単なる「戯言」に過ぎません、有害だと思います。
とのことで、貴殿に大変不愉快な思いをさせ、真に申し訳ありませんでした。
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