最近ほとんど聞かれなくなった表現ですが、昔よく使われた「曳かれ者の小唄」と言う言葉があります。「負け惜しみ」と似たような意味でしょうか、岡っ引きに捕まった罪人が「俺は犯人じゃない。巻き込まれただけだ」とか「あの時はああするしかなかった。しなかったらもっと大変なことになっていた」と言うような言い訳をすることなのですが、僕を含めてこの頃そのような場面が多すぎるような気がします。
そのもっとも典型的なものが「日本が今日『自虐史観』に陥っているのはGHQの所為だ!」というものです。そんな泣き言をいうのなら、独立後63年も経っているのですから、本気で「建て直し」に取り組んでいたら、もっと早く「立ち直れた」のではないかと思います。それを「金科玉条」のように押し頂いて、いまだに「GHQのトラウマ」にかかって、鬱屈した感情に支配されているから、中韓にそこを突かれてねつ造の「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」に振り回されているのだと思います。悪いのはGHQではなく、それを糺そうとしなかった「日本人」なのだと自覚すべきです。なぜなら、GHQの所為にしたところで「永遠にアメリカがGHQの誤りを正してくれることはない」からです。
もっと言えば、戦後の日本は今のようにドップリ「自虐史観」に漬かってはいませんでした。新幹線を引き東京オリンピックを開催し、大阪万博を成功させたころまでは、敗戦もGHQの占領時代も吹き飛ばして「新しい日本を建設するのだ」と言う息吹が充満していました。ところが日本が高度成長を遂げ、「日本列島改造論」などで豊かになろうとした時代から、『ガイアツ』を利用して私腹を肥やす「動機不純な指導者」が現れて、アメリカにシナリオを持ち込み、「対日要求」を出させたり、それでも足りずに「思いやり予算」などと言う「へりくだり」を推し進めて、国民に「自虐史観」を浸透させました。
一方、「戦争放棄した日本」で名を上げるには「平和運動のリーダー」がもてはやされました。日教組や宗教団体、さらには市民運動家などが「弱者の味方」を装い、被差別地域や在日外国人をネタに支持者を集め、学生などを扇動して勢力を拡大し、「戦前の日本が悪いのだから、中国や韓国の横暴は仕方がない」と別の「中韓のガイアツ」を受け入れて、マスコミなどに影響力を拡大し、ついには「民主党」の名のもとに「中韓連携」で政治の実権を奪うことになりました。
この間一貫して流れていた日本人の「姿勢」の根幹には、「曳かれ者の小唄」があったのです。ですから、戦後の日本で見られる特徴はたとえば『平等』の概念でも、日本人の考える「平等」は「結果の平等」であり、そのために「社会保障の充実」「所得の再分配」などの議論が中心ですが、それを教えたアメリカの「平等」は「機会の平等」であって、「誰でもアメリカンドリームをつかむチャンスがある」としているだけで、「国民健康保険」さえもありません。警察も不十分だから、自分でピストルを構えて身を守らなければなりません。
「安倍総理が靖国神社に参拝したら、中韓の反発は必至でしょう」とニュースで言います。なぜ日本の総理が靖国に行くのに、中韓の反発を恐れなければならないのか?そこには中国韓国と言う「お役人」に引っ張られていく「罪人=日本人」の「曳かれ者の小唄」として、「お上に逆らったら、後はどうなるかわかってるだろうな」と言う「お役人」の威嚇におびえた「罪人=日本人」の「軍国主義じゃない。先祖の霊を慰めるだけだ」と言う言い訳が聞こえてくるだけで、「中国も韓国も立派な『軍国主義』で軍備拡張をしているじゃないか!軍人精神を尊んで何が悪い!」とビシッと言い返せないのが、今の日本人の状況ではないかと思います。
「文句があったら中国も韓国も『平和憲法』にして「9条」を書き込み、軍隊を自衛隊に変更してから文句を言え!」と言い返すべきです。ところが、FBでも書かれていることは「曳かれ者の小唄」ばかりです。今日拝見した「一色正春さんのお話」など3年も経ってホトボリが冷めてから正論を言われますが、いまさら言われても社会を変えることはできません。気に入ったのはNHKさんの返答が「日本が悪いのだから、中国の横暴もやむなし」と言っているという実態が分かったということでしょうか。
※今日から1週間旅に出ますので、しばらくお休みします。皆様楽しい一週間を!
http://ironna.jp/article/956
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