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2015年02月08日13:57

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山内得立先生の最晩年に龍谷大学で行われた�狎湘津�学講義��

わたしが大谷大学短期大学部仏教科に在籍していた頃、山内得立先生がまだご存命で、龍谷大学で�狎湘津�学�瓩箸い�講義をされていたことがあった。その話を、わたしのクラブ先輩の友人で、龍谷大学大学院文学研究科哲学分野専攻修士課程に在籍していた人から聞いたことがある。その人もその講義を聴講していたと聞く。山内先生も長らく龍谷大学哲学の講義をされていたようである。

山内得立先生は、西田幾多郎先生の高弟の一人で、久松真一、植田嘉蔵とともに、初代�犁�都学派三羽烏�瓩噺討个譴討い拭�山内先生は自分が西田先生の後任にしてもらえるだろうと思っておられたようであるが、西田先生は、自分の後任には東北帝国大学から田辺元を就かせ、山内先生にはドイツ留学とともに、東京商科大学(現在の一橋大学)を宛がわれたらしい。

しかし数年後には山内先生も�狹�学史講座�瓩北瓩辰討海蕕譴董�古代ギリシア哲学の講義をされたようだ。その講義内容が『ギリシアの哲学』(弘文堂)としてまとめられたという。戦後、高山岩男、高坂正顕、西谷啓治が戦争責任を追及された後は、京都帝国大学文学部哲学科を一人で担われ、�犖興馥媛鮹羶喚瓩粒愽�を築かれていった。

わたしは、一度だけ山内得立先生の話を聞いたことがある。「第一回 久松真一を偲ぶ会」で久松先生の思い出を話されていた。その内容はあまり覚えていないが、ただ一つ、「久松くんは自分は絶対に死なないと言っていたのに、死んでしまった。そのことを久松くんは、どのように考えているのか、わたしは聞きたい」と言われた言葉だけが脳裏に残っている。

山内得立先生とわたしの恩師・原野栄二先生は親しくさせていて、原野先生は年に何回か山内先生のご自宅を訪ねられたりしていた。だからわたしも山内先生の話はよく原野先生から聞いたことがある。たとえば、野田又夫氏を京都大学に残すか、澤瀉久敬氏を京都大学に残すかで、山内先生は野田又夫氏を残したが、原野先生は澤瀉氏を残すべきだったと、山内先生に話すと、「そうだったかな」と山内先生が言われたという。

また京都大学文学部哲学科で有名な話であるが、山内得立先生と辻村公一先生の�牾亮広瓩任△襦5�都大学では卒業論文の評価がB評定ならば、その時点で大学院進学は不可能になる。
論文審査の主査である山内先生の評価は�爍足瓩任△辰拭�しかし副査であった西谷啓治先生の評価は�燿鬮疉床舛如�何とか西谷先生の働きかけで辻村先生の評価は�爍銑瓩箸覆蝓�辻村先生は大学院に進学することができたという。山内先生がなぜ辻村先生を嫌がったのか、その理由はよくわからない。ただ、敗戦後、高山岩男先生の大学追放に強く反対されたという話は聞いたことがある。山内先生は京都大学哲学科から�狎湘津�学的�瓩癖薫狼い鬚覆�そうとされた。反対に辻村先生は�狎湘津�学的�瓩癖薫狼い鮖弔修Δ箸気譴拭�その様なことが確執の原因になったのではないかと、わたしは推察するのである。

わたし自身、西谷先生の法事で、西谷先生のご自宅に伺ったとき、辻村先生がおられて、少しお酒に酔われたのか、「ぼくは田辺先生の弟子ではなかければ山内先生のてしでもない。ぼくは西谷先生の弟子なんだ。山内先生なんか、怖くもなんともない。西谷先生に比べたら、何でもなかった」と話されているのを聞いたことがある。わたしはその言葉に山内先生と辻村先生の�牾亮広瓩鮖廚そ个靴董↓爐笋呂蠅△辰燭鵑性瓩隼廚辰燭海箸�ある。

山内先生は、京都大学文学部哲学科に残っていた�狎湘津�学的�瓩癖薫狼い魄豼櫃靴茲Δ箸気譴燭茲Δ任△襦�だからあえて、�犖興餽崙畢瓩鯏按譴気譴拭��狷帆賄�な哲学的思索より原書に忠実で正確な読解を�瓩箸いΔ海箸如�京都大学大学院は、いつしか哲学的思索力より語学力を重視するようになっていった。しかしながら山内先生が京都大学を退官されると、西谷先生の時代となり、また�狎湘津�学的�瓩癖薫狼い�少し復活していったとも聞く。

山内先生は、西田哲学には一貫して批判的な立場を取られた。山内先生はこんなことを言われている。「西田幾多郎先生は最初、自分の哲学は弁証法ではないと言っていたのに、後になって自分の哲学は弁証法だ」と言われるようになった」と。つまり西田哲学における�猜枉數´瓩箸いΔ海箸呂琉嫐�がわかっている。しかしそのことを西田先生は何ら説明していないと指摘されている。このことは、西田哲学を研究していくうえで重要な指摘のように思われるのである。

また山内先生の著作『ロゴスとレンマ』(岩波書店 1974刊行)は一時、古本屋でもなく、あっても二万円以上の高値が付いていた。いつだったか、ゼミの先生である訓覇曄雄先生に頼まれて山内先生の『ロゴスとレンマ』を探したことがある。そして京都河原町通りにあった「赤尾照文堂」という古本屋で一万八千円で見つけて、すぐに訓覇先生に連絡したが、「高すぎる」と言われたことがある。しばらくしてこの『ロゴスとレンマ』は岩波書店から復刊されたのである。今は大体、三千円程度で購入できるが、一時は高値が付いていたのである。

さて、山内先生はその最晩年、龍谷大学で�狎湘津�学�瓩亡悗靴討匹里茲Δ聞峙舛鮃圓錣譴燭里�。わたしはその講義に出ていた人から「講義ノート」のコピーをもらったはずであるのに、そのコピーを失ってしまった。もう25年も昔の話である。しかし山内先生が�狎湘津�学�瓩砲弔い討匹里茲Δ聞峙舛鬚気譟�何を話されたのか、今一番知りたいことであるが、どうすることもできないのである。


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