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2015年01月25日09:09

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「向き合わなければならない問題」

「向き合わなければならない問題」

私は昭和三十九年生まれだ。戦後生まれである。しかし私は昭和二十年八月十五日に死んでしまったのである。変な言い方だが、そういう精神構造なのだ。

 三島由紀夫自決の五年後、昭和五十年に日本刀による自決をとげた元海軍主計士官村上一郎氏は、三島追悼号で以下のように書いている。

「義肝(*村上と同じく海軍主計士官)は昭和二十年八月十五日に、天皇がお腹を召されることによってのみ、天皇制と天皇家とは永久に栄誉を護持できるのだ、と信じたのであった。(中略)追腹を切る覚悟、いうまでもない。」(昭和四十六年一月 『新潮 臨時増刊 三島由紀夫読本』 村上一郎「荒御魂の鎮めに」より) *業平注

 また、三島由紀夫は「英霊の聲」の中で、以下のように書いてる。

「忠勇なる将兵が、神の下された開戦の詔勅によって死に、さしもの戦いも、神の下された終戦の詔勅によって、一瞬にして静まったわずか半歳あとに、陛下は『実は朕は人間であった』と仰せ出されたのである。われらが神なる天皇のために、身を弾丸となして敵艦に命中させた、そのわずか一年あとに・・・・。」(三島由紀夫「英霊の聲」)

 左翼の吉本隆明は山本七平との対談の中で、「天皇は立憲君主だから戦争責任はない」と言う山本の考え方を批判して以下のように述べている。

 「僕が山本さんに異議申し立てをしたいのは、なぜ現人神と思ったかという、僕の根拠です。それに二・二六事件の将校も(中略)もっと生粋にそうだったと思うんですが、これをバカだというと異議があるんですよね。そうじゃないんですよ。ちゃんとした判断力もあるし、文学青年でもあるし、僕は、工科系の学校にいましたから、科学的認識も持っているつもりだったんですね。それだけど、そのことと天皇は神と思ったほうが命を捨てやすいということとは別です。つまり(中略)なんか絶対的なもの、絶対信仰の対象というもの、それを設定しないとどうしても命と取り替えられないというふうになるわけですね。」(1989年11月 仏教 別冊2 特集 天皇「天皇‐その位置を考え直す 吉本隆明 山本七平」)

 ここでは一般には保守と考えられている山本より、吉本のほうが「天皇主義者」となっている。「天皇の神聖さに対する問題に関して、なんであなた(山本七平)は見逃しているんだ。」ということなのであろう。

我々は、三島、村上、吉本が提起した問題と真摯に向き合ってきたであろうか。私は、我々こそが、この問題と常に対峙していかなければならないと思う。

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