mixiユーザー(id:23901632)

2015年01月23日08:20

337 view

台湾 台北の思い出

只今0℃の上海
さぶおます

金曜日ですなあ
昨日あたりからなんだか 急に
バタバタとしてまいりやした

明日 土曜も 
出勤 見積もり作成 荷物出し
間隙を縫い バンド練習
日曜は 検品会社に詰め
夜も来客もあり
来週は 南通 安徽 出張
来客アテンドと

怒涛の 旧正月前の 忙しさ

ネコの手も 借りたい


なんて 思ってたら

フォト



カミさんの大学生の
娘が 冬休みで帰省し
連れてきましたがな ネコ

夏休み来たときは
子猫だったのに
すっかり 逞しくなって


さてさて
本格的に
シリーズ化???  思い出シリーズ

懲りずに 第三弾 いきますえーー


韓国に 年に2度
出張してた

少し前、1990年代中盤〜
2003年頃までは

年に1度は
台湾に出張をしてました

台北ですな

空港に降り立った時の
あの 湿気を帯びた生温かな感覚が
あー 南に来たんだなあと
感じさせてくれたものです


訪台当時お世話になっていた仕入先が 
そこそこに大きな 貿易会社で
その会社の
社長さんは当時 どうだろう50代後半?
長身に金縁メガネで 
いつもスーツをびしっと着込み

親日家で
徳川家康の 分厚い翻訳本が
綺麗に整理された ガラス張りの社長室の
高級感のある 木造りの
本棚に並んでたりして

おいらたちが
訪れると

「日本の景気は? 経済状況は? どうですか」 と

通訳する社員の方を介し
ソファーに座るなり
まず聞かれるような、 絵にかいたような
真面目でダンディな社長さんでした

で、その会社の
おいらたちの担当は
現地採用の日本人の社員と、台湾人のチーフの
若手コンビで、
2人とも、凄く優秀で
笑顔を絶やさない ナイスガイ
ドラマに出てくる若手商社マン みたいな 感じ


台湾人のチーフの方は
お父様が やはり大きな会社の
社長さんで、アメリカにも
留学をした経験を持ち、
イングリッシュネームを カルビンといい

少し 太目だったから
おいらは いつも カルビ カルビと呼んでいて

彼が
おいらにも イングリッシュネームを
名乗れというので

マイケルをもじり
マイコー で どうだと言うと

それからは、おいらのことを
マイコー マイコーと 呼んでいた


あの時は 咄嗟に そうしたけど
イ を ン にせずに
よかったと 後で 思ったもんです



で、

ある時
社長も交え 晩御飯の会食の際


おいら 疑問に思うと
ついつい 酔った勢いで
言葉にしてしまう 悪い酒癖があり

社長が トイレで席を外された時に

若手コンビに 小声で

「ねえねえ  社長さんて これだよね・・」 と





ズラをかぶるジェスチャーを  すると


台湾人チーフ カルビ、そして日本人の彼は
2人で すぐさま目を合わせ
1秒だけ吹き出し すぐ 真顔に戻り


このおっさん なんということを・・・
のように 目を丸くし


日本人の彼の方が これ以上大きくしたら
地声だろう・・くらいの ヒソヒソ声で



「モリシゲさん ゼスチャーは駄目ですって」 と


チーフの方も 「マイコー」と おいらを呼び
人差し指を立て唇の前で 2度ほど横に振り 
アメリカ仕込みよろしく ウインクしながら
舌打ちを 2回し

「シーーーッ」  と



懐かしいですなあ・・

そのチーフも
今では 独立して
社長さんを されていて


おいらが
転職した時も
すぐに 電話をくれて
通訳を介し
新しい職場だといろいろ大変だろうけど
困ったことがあれば なんでも言ってくれと
あの時は ほんと嬉しかったもんです


もう 今は 直接のビジネスはないし
台湾に 仕事で行くことも
なくなってしまったけども


また 機会を見つけ


台湾には・・・





行き台湾






3 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する