今、安倍総理が「憲法改正」「憲法は日本人の手で」と仰っていますが、その前に日本人が「主権在民信仰」に陥っていて、その「信仰」のもとでは「憲法改正」は意味を成さないことを意識すべきです。世界中探しても「主権在民」などと言う寝とぼけたコンセプトで国家の統治が行われている国などありません。アメリカ、ロシア、フランスなどには「大統領」、イギリスやスペインには国王、中華人民共和国には国家主席に主権があります。だってそうでしょう。何処の会社に「社長」のいない会社がありますか?どこの学校に校長がいない学校がありますか?その組織で何かあったら「責任者出てこい!」って言われますよね。ところが、日本には責任者がおりません。だから仕方なく「国民の象徴である天皇陛下が外国からの大使の信任状を渡す」ようなことを主権者である国民に代わってしているのです。
米ドルには歴代大統領の中からワシントンやリンカーンの肖像画が描かれ、イギリスの紙幣にはエリザベス女王、中国では毛沢東と言った国の主権者やその大元が描かれています。日本人の主権者は福沢諭吉か夏目漱石か?外国人が見たら奇妙に見えるでしょう。もともと西欧の統治概念と日本の統治概念が全然異なっており、西欧のそれは上に君臨するものが、国民を意のままにするという「主従関係」にあります。そのベーシックな概念が「聖書」であったり「コーラン」であったりして、それに反するようないかなる法律も制度も認めないという立場です。ですから大統領と言えども、就任式では聖書に手を置いて「誓いの言葉」を述べるのです。
ところが、日本はしいて同じ論理で考えれば「逆三角形」で、上に国民がおり、下で天皇陛下が国民を支える(国民のために祈ったり、行啓する)関係にあり、日本人が誤解しているのは「神道」は西欧と同じような「宗教」だと思い込んでいますが、神道には「聖書」や「コーラン」のような「教義、経典」はなく、「祝詞」は定型の物ではなく、その都度お祈りの内容を書きかえるもので、クリスチャンやモスリムのように「一神教」で「ほかの存在を許さない」のではなく、「八百万の神」の存在を認めていたわけで、ですから典型的な例が長崎に原爆が落とされたときに、浦上天主堂も破壊されたわけで、国民は何かの「教条」を上から強制されて行動していたわけではありません。ですから、元来日本は戦前のみならず、2675年の歴史そのものが「民主主義」であったことに気が付くべきです。
日本人の行動様式は「国の成り立ちが、”天孫降臨”で始まり、天上の神の子が地上に降りてきた。その「神の子孫」が国民なのだ」と言うことになっていて、だから「不正」や「悪事」を憎み、「神に背かない生き方をする=恥の文化」が成立したのです。「卑怯な行為をさげすみ、正々堂々と生きる」ことを「神に誓って行動する」国民が生まれ、その行動基準は国民一人ひとりの心の中にあり、その成功を精神的な支柱として支え続けてこられたのが天皇陛下であられたということなのです。
大東亜戦争の敗戦によって、「主権在民」を押し付けられて(反対に天皇主権が悪かったような意識を持たされて)日本人の団結心を挫きましたが、その結果統治権者の明確なアメリカや中国のおもちゃにされる国になりました。何しろ、日本が主権者を他国と同じように決めようとすると、すぐ国内からは「独裁体制反対」と声が上がり、近隣諸国からは「右傾化」「帝国主義への先祖がえり」と非難され、日本人をビビらせます。もっと日本人はこのあたりのことにきちんと目覚め、「ウルサイ!お前らと同じ統治権者を決めて、普通の国になることで、お前らと対等に付き合おうとしているのに、干渉するな!文句があるなら、お前のところも主権在民にして、国家主席や大統領を廃止しろ!」と言い返すべきです。
「主権在民」は国民に錯覚を持たせて、「国のために尽くす=悪」「個人主義の拡大=善」の構図を作り、戦前の「みんなでよい国を作ろう」と言う考え方で、国民が力を合わせ、国家予算を『国の発展』のために使ってきたものが、今では『国家公務員OBの天下り利権』『国の発展ために役に立たない在日や社会保障』に多くを費やし、そのために借金を増やして、その利子補てんのためにさらに税金を使うという国に成り下がっています。これが「主権在民」の成れの果ての姿です。
日本が朝鮮や台湾、満州に莫大な投資をして、インフラを整備し、教育を確立し、金融や殖産興業に力を入れ、戦後も「日本株式会社」と呼ばれる「護送船団方式」で重点投資してきたからこそ、大きく発展できたのであって、その間「子ども手当」もなければ、「保育所」も少なかったけれども、多くの子供が生まれ、元気に育って行ったのです。「社会保障」などは(積み増しや拡大が起きて)増やすことはできても、削ることは極めて困難です。その結果本当に必要な「国策事業」への投資が出来ず、他国の後塵を拝する時代になるのです。主権者がいないで、総理大臣がコロコロ変わる。すると外国からの信認が薄れ、ほったらかされて孤立する。国家としてきちんと主張を貫くことが出来ない。
韓国に対して「日韓基本条約で多額の補償金を支払って、すべて解決済み」と言う議論がありますが、朴正熙大統領が「慰安婦の補償に使わず漢江の軌跡に使ったのがけしからん」みたいな論調ですが、「漢江の軌跡」に使ったからこそ今日の韓国の発展があるわけで、国家の主権者として優先順位をつければ「漢江の軌跡」を優先したことは正しい判断なのです。後は韓国の中で慰安婦にどう納得させる政策をとるかだけの問題です。
国家主権の議論を優先すべきではないでしょうか?
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