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2015年01月13日20:15

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(雑) メメットに

事件直後の報道では「表現の自由への攻撃は許されない」といった感じのコメントがフランス内外の政治家や市民から発せられたし、日本の報道でも繰り返されたと記憶しているが、そのせいか表現の自由とテロリズムが同じ土俵で語られていたことが多かった。しかしそれは間違っていると思う。

テロリズムはいかなるものが対象だとしても許されない。それが報道機関を狙ったものでも一般市民を狙った無差別テロだとしても忌避すべきということに変わりはない。表現の自由とテロリズムは別個に考えるべき問題なのだ。中には「表現の自由を認めない=テロリズム支持」と断定するような意見まで見られて、なんだかなあ、と感じた。


そのことをふまえて「表現の自由」について考えてみると、果たして彼らの言うような大切なモノなのか疑問が浮かぶ。

まずは彼らが尊重すべきだとする「表現の自由」が存在するのかが疑問。

パリのデモに、ナチス旗を掲げ武装親衛隊の制服着用で「表現の自由を尊重しろ」と参加することは可能なのか。ミュージシャンが十字架を燃やしたPVを作ると放送禁止になってしまうのは何故か。あるいは直接的に歌詞の一部が放送ではノイズで伏せられてしまうことは表現の自由を尊重しているのか。

まだ例はあるけど、このような状況で表現の自由は守られるべき、と言われても自分達の都合のよいものしか認めない自由などは自由ではない。


仮に上記の例が許されるような「表現の自由」が存在したとしても、それをどこまでも許容すべきだとも思えない。

例えばヘイト・スピーチは表現の自由で守られるべき存在なのだろうか? そういえば銃撃事件以前、表現の自由の観点からヘイト・スピーチを規制すべきではない、という意見に対して、欧米では差別的な表現は許されないのだ、という話があった。どうも今回の事件、あるいはそれ以前からフランスの諷刺とされているものを見ると差別的なものが多い気がするのだが。

僕は「ヘイトスピーチを安易に規制すべきではない」と判断するけど、何から何まで自由でいいとも思っていない。「○○人の男は殺せ、女は犯せ」「●●は国に帰れ」といった、ある意味、わかりやすいヘイト・スピーチだと判断されるものは規制すべきだと思う。ただし「○●は泥棒国家だ」といった表現の場合、それが事実に則した事象の場合、それがヘイト・スピーチにあたるのかどうか微妙になる。そのような問題を解決せずに、くそみそ一緒に「ヘイト・スピーチは禁ずる」という動きには賛同できないのだ。

それと同様に、表現の自由は守られるべきだとは思うが、どこまでも守られるべきだ、という意見にも賛同できないのだ。確かに多くの犠牲者がでた痛ましい事件だし、感情的になるのもわかるけど、表現の自由というものを盲目的に主張するだけでなく、その意味することが何か、フランスの人にももう少し考えてほしいと思う。

そして何よりも「イスラム教徒=テロリスト」ではないことをわかってほしい。わかっていないからテロリストではなくイスラム教を揶揄するのだろうから。



銃撃事件の仏週刊紙、今週号1面に預言者の風刺画掲載へ
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=52&from=diary&id=3222863

[パリ 12日 ロイター] - パリの本社で銃撃事件が発生した風刺週刊紙「シャルリエブド」は、14日発売号の1面で、「私はシャルリ」のメッセージを手に涙を流すイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を掲載すると明らかにした。

事件後初となる今週号は「全て許される」との見出しを掲げており、発行部数は通常の6万部を大きく上回り、最大300万部に達する可能性がある。
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