安倍総理が戦後70周年に当たる今年「総理大臣談話」を発表するそうです。そこで「村山談話」や「河野談話」を引き継ぐそうですが、いったいそれがどんな意味があるのでしょうか?思えば1964年の東京オリンピックが開催される前に、経済白書に「もはや戦後ではない」とはっきり書かれて、晴れて世界中から認められて「平和の祭典オリンピック」を開催したのではなかったのか?それから半世紀もたって、今なお「戦後」と言う「くびき」から抜け出せない日本。かなり重症患者のように思います。
たとえば「祝祭日」と言う書き方を今でも新聞で見かけます。これは戦前の「国民の休日が「1/1:四方拝」「2/11:紀元節」「3/21:春季皇霊祭」「4/29:天長節」「11/3:明治節」の5つの「祝日」と「1/3:元始祭」「4/3:神武天皇祭」「9/23:秋季皇霊祭」「10/17:神嘗祭」「11/27:新嘗祭」「12/25:大正天皇祭」の7つの「大祭日」で成り立っていたからで、戦後の祝日を決めるにあたって何とか独立後に「旧祝祭日の復元を狙って名前だけを変えて祝日を変更しなかった現行祝日」もたくさん残されたまま今日に至っています。
要は、「現行憲法」だけを変えたら、戦後がなくなるのではなく、私たちの心の中から「戦後」は払しょくされない限り、100年経とうが1000年経とうが日本から戦後はなくならないのです。安倍総理だけでなく日本国民が等しく「戦後レジームからの脱却」を望むのなら、「戦後」を日本人の暮らしの中から消し去ることが必要で、事実どこの国の歴史でも、いやおそらくどこの家庭や会社でも、「交通事故記念日」とか「工場焼失記念日」などを設けているところはないでしょう。ところが日本には「終戦記念日」とか「関東大震災記念日」があっても、「独立記念日」とか、「日露戦争戦勝記念日」はないのです。
今や圧倒的多数の国民が「戦争を知らない戦後生まれ」なのに、生まれてもいない戦前のねつ造された歴史を押し付けられて、それをもとに近隣諸国から「謝罪」と「賠償」を求められ続けることに「疑問を持つ」どころか、「何とか新聞」のように「快感を覚える」と言う錯覚が溢れ、その上に「総理大臣談話」をかぶせて、世論を「自虐史観」に傾斜させる国と言うのは、まさに「気狂い沙汰」としか思えません。本来「敗戦国であった中国や韓国」が「戦勝国に便乗して利権を確立したくて、日本に謝罪と賠償を求めているのに、マスコミや政治家がそれを認めて謝罪し賠償したがる構図」の異常さに早く国民は覚醒して、『もはや戦後ではない』『戦後の清算はもう半世紀前に済んだことだ』と明確に区切りをつけるべきで、「戦後70年の総理大臣談話」などを出すべきではありません。
多くの日本人が誤解しているのは、「英霊は戦争の犠牲者」だと思っていること。世界が日本人を称賛しているのは「戦後の復興」だと思っていることです。世界の人たちが日本人を称賛しているのは、国のためや隣人のために自分の命を顧みず危険や苦難に立ち向かう精神であって、すなわち世界の人々の平均値は自分や自国の利益のために他人や他国を貶めて、苦しめる精神しか持ち合わせていないから、日本人の精神構造の高貴さが際立って称賛されるのです。別に「特攻隊」だけに限りません。日本が極めて困難な中で復興して過程では、数多くの殉職者を出しました。「黒部の太陽」でも「青函トンネル」でも多くの殉職者を出しながら、不屈の闘志と後世の役に立つという信念で日本の発展に尽くしました。
つまり、福島第一原発の原子炉建屋の爆発の危険性を知りながら、上空から水をかけたり、震災の倒壊したがれきの中をはいずりまわって救命救出に寝ずに頑張った、御岳山の噴火や無謀な山岳スノボの救出でも、誰もが自分の命と引き換えに尻込みする局面でも雄々しく立ち向かう高貴な日本人の精神が称賛されているのです。ノーベル賞がなぜ日本人に多く与えられるかと言えば、その内容が多くの人により幸せな暮らしを与える発明であって、他国の多くの学者のように難しい専門的な理屈を解き明かしただけの物とは異なります。だから、その発明に至るまでには多くの外国の学者が諦めてしまったような面倒で複雑な研究を繰り返し、命を削って到達したような輝かしい成果が称えられているのです。
戦前は一度も与えられたことのないノーベル賞も今や西欧諸国に伍して高い評価を貰う国になっています。それなのにわが日本はいったいいつまで「戦後、戦後」と言い続けるのでしょうか?もういい加減「卒業」したらいかがですか?それが日本国民にとっていつまでも「漬物の重石」になって、あるいは「腫物の瘡蓋」になって、他国に付け込まれているのに、後生大事に守らなくてもいいではありませんか。「終戦記念日=東京裁判固定化確認の日」であることになぜ日本人は気が付かないのでしょうか?
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