朝日新聞の元記者植村隆氏が文芸春秋社を相手取り損害賠償訴訟を起こすという。植村氏は「記事や論文などの指摘で社会的評価と信用を傷つけられ、ネット上の人格否定攻撃や家族への脅迫、勤務先大学への解雇要請などを招いた。こうした人権侵害から救済し保護するために司法手続きを通して「捏造記者」というレッテルを取り除くしかない」と言う主張のようだが、問題は「記事や論文が正しかったのか?」「指摘の方が正しかったのか?」であって、「記事はでたらめでも、指摘によって生じた被害」にばかり焦点を当てられるのはおかしくはないのか?
とかく日本人は「情緒的(時には感情的)判断」が大きく働いて「結果ばかりを見て結論を決めたがるけれど、その原因を軽視してほしくない」と思います。今回の植村氏の「言論の自由」は明らかに事実と反する意見の報道であり、指摘の対象となった平成3年8月、元韓国人慰安婦の証言として書かれた植村氏の記事で「女子挺身(ていしん)隊の名で戦場に連行され」とした記述については、朝日新聞が第三者委員会の指摘を受け、その事実はなかったとして、おわび、訂正している。
その後の植村氏の記事で、この元慰安婦がキーセン学校に通っていた経歴を知りながら触れなかったことについても、第三者委は「書かなかったことにより、事案の全体像を正確に伝えなかった可能性はある」としているものであり、植村氏はフェアーにこの批判に対して、「言論の自由」に基づき反論すべきです。その論戦に勝って初めて文芸春秋社を告訴できるにであって、一方的に勝手なことを言って朝日新聞社はもとより大勢の日本国民に迷惑をかけていながら、非難をされて迷惑を受けたから告訴するというのは、どこまでも勝手な言い分なんだとしか受け止められません。
僕が今日言いたいことは、これは単に植村元記者と文芸春秋の裁判ととらえるのではなく、このような「言論の自由」は読者にとってはなはだ迷惑であり、国家の名誉を傷付ける行為であるから、明確にこのような「言論の自由」を制限すべきではないかと言うことです。つまり、「言論の自由」に対して「はっきりしたルールを設定して、今回のようなデタラメな記事を書くと罰せられる」ことにしておけば、二度と植村元記者のような記事は生まれないし、多くの政治家が巻き込まれて、奇妙な談話を発表したり、外交上の問題になったりしなくて済むからです。
昔、僕の二人の部下が白バイを蹴って「公務執行妨害」で捕まり、身受けに奔走してその部下に恨まれるという嫌な記憶がよみがえりました。その事件は駅の近くの踏切脇の歩道で起きました。二人は仕事が終わって軽く一杯飲んで駅に向かおうとしたら、歩道に白バイが置いてあったため、ごった返す通行人が車道にはみ出して車と接触し危険な状態であったから移動させようとした。なぜ白バイがそこにおいてあったかと言うと、車が接触事故を起こして争いになっていた現場近くだからだといいます。
警察の言い分によれば、(恐れ多くも)「警察の車両を蹴ることはけしからん。器物損壊はなくても、公務無執行妨害だ」と言います。二人の言い分は「蹴ってはいない。目撃者もいる。邪魔だから除けようとして二人で押した」と言います。二人が言うには「濡れ衣を着せられてまで釈放されることは望まない。勝手に身受けして余計なことをした」と言うのです。
元はと言えば警察が現場の「本来置くべきでない不適切な場所に白バイを置いたこと」が原因です。ところが論争になっているのは「白バイを蹴ったか否か」に置き換わり、指紋を取られ、腰縄をつけられ、一晩留置所に拘置され、勝手な「調書」を書かれて指紋を押され、耐えがたい屈辱を受け、釈放後も「公務執行妨害の犯人」として見られ、本人たちにとっては甚だ不満な結果になったというわけです。
つまり、二人の部下は「警察が通行人のことを考えずに、迷惑なところに白バイを置くことをやめさせるべき」と言うことが念頭にあり、「それを除けることが犯罪だとは認めない」と言う立場であって、その結果「白バイを除けようとした」ことが「人の物を勝手に触ったから、犯罪だとは言われたくない」と主張するのです。しかし、警察は「課長ごときが来ても身柄は渡せない。社長か重役が来るべきだ」と強硬です。
この時、最も困ったことは身柄を引き取るまでは、警察は二人の部下と接触させてくれないので、警察の言い分を信じるしかなく、釈放されて初めて部下の言い分を聞いて警察の対応の酷さを知ったわけで、今回の植村元記者の記事がそれに当たります。自分がお金を払って購読している新聞が間違った情報を発信しているとは思いませんから、「日本は悪いことをしたんだ」と読者は思い込む。その結果「村山談話」や「河野談話」が出ても仕方がないと思い込む。そうして「アジア女性基金」を設立して総理大臣の「おわび状」と共に贈ることになったのであって、自分の記事がそんな途方もない影響を及ぼしたことについていささかの反省もなく、それに疑問を呈した文芸春秋を訴えるという行為は断罪されてしかるべきではないかと思います。
僕の考え方は間違っているでしょうか?
ログインしてコメントを確認・投稿する