「いじめ」はなぜ起きるのでしょうか?学校で同じ年の児童が学んでいても、どうしても「勉強が良くできる子」と「出来のよくない子」がいて、「運動の良くできる子」がいて、「下手な子」がいる。「お金持ちの子」がいて、「貧乏な家庭の子」がいる。ひょうきんな「人気者」がいて、「口下手な子」がいる。「かわいい系の子」がいて「ブス系の子」がいる。この「後者」の子供の方は、自分も何とか頑張って「前者」の仲間に入れてもらいたいと思うけれども、「成れない」「仲間に入れてもらえない」「上から目線でバカにされる」「親から負けるなと言われる」と切羽詰まって、「暴力をふるう」「破壊活動に出る」「嘘をつく」「威嚇をする」などの「仕返し」をする。それが「イジメ」です。
ですから、「イジメ」る方も、「イジメは良くないこと」であることは十分知っていますが、すべての面で「後者」から抜け出せなければ、非常手段として「反撃に出る」しかありません。ほとんどの場合、上記のパターンですが、時には「弱い者いじめ」をするケースもあります。何らかの「心的障害事件」に出くわして、「むかついた」「イライラを発散させたかった」「誰でも良かった」と言うようなケースで、「弱者をいじめても反撃される危険性が少ない」と言うずるい判断で「前者」が「後者」をイジメます。
今、韓国や中国が日本に対して「イジメ」を仕掛けているのは、上段の「強者に勝ち目がないので、弱者がいじめを仕掛けている」ものです。今回のフランスにおけるテロでも同様に、「いくらモスリムがクリスチャンの土俵で頑張っても永遠に太刀打ちできない」と言うあきらめにも似た感情がテロを呼び起こすことになります。日本人も安易に「先進国の日本に後進国の中国人や朝鮮人を安い労働力として移民を受け入れて働かせて、日本人は高い生活水準を保つ」なんて能天気な夢を描いて「外国人参政権付与」などと言う驕った考え方をしている人たちがいますが、永遠に底辺から抜け出せない移民は暴力で対抗するしか対抗手段を持たないのです。
日本人が戦後見失った考え方に「尚武の精神」があります。「尚武」とは「武を尊ぶ」と言う意味です。ご存知のように江戸時代までの日本には「士農工商」と言う身分階級が存在しました。でも、その「サムライの刀」は世に言う「切り捨て御免」と言う論法がまかり通ったのではなく、忠臣蔵にもあるように「筋が通らない世の中を糺すためにギリギリの我慢の限界を超えた時に抜く」もので、ヤクザが振りかざした「長ドス」とは全く別の物であったのであって、社会を平穏に保つために「サムライ階級」が高い「心身の鍛錬」を経て、尚且つシキタリや家柄を背負って、国民を守る役割を果たしていたわけです。
ご存知の方も多いと思いますが、この考え方は明治以降も保たれていました。明治から昭和20年までは、「皇族」「華族(公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵)」「士族」「平民」と言う身分が、たとえば卒業証書にも氏名の上に書き込まれていました。俗にいう家柄です。こうして明治政府は「富国強兵」を国策として、「平民であっても、軍隊に入って国を守るサムライに成れる」として、金鵄勲章をはじめとする「名誉」を与える制度を作り、「一門の誉れ」「家族の誉れ」「母校の誉れ」「地域の誉れ」「職場の誉れ」として崇める政策を取りました。乃木将軍には「乃木神社」「児玉将軍」には「児玉神社」までできました。こうして「武道で鍛えられた精神」は「人々の邪心を払い、国のため人のために尽くす武士道」として昇華され、「大和魂」の根幹をなす位置にありました。
今の時代には「武士道」=「暴力の肯定」のような錯覚が蔓延して、「言論の自由」=「暴力の否定」の対極におかれていますが、それは間違っています。戦前の日本にも言論の自由はあり、テロのような破壊活動も起き、与謝野晶子のように堂々と「ああ、弟よ 君を泣く 君死に給うことなかれ」などと言う歌もできたのであって、首相暗殺や軍事クーデターなどが起きたため、治安維持のためにいろんな「規制」や「法律が厳しくなった」ことはあっても、そこには「国を守るため」と言う基本の考え方にはブレはありませんでした。
戦後70年経って、今何が必要かと言えば、国民一人一人の心の中に「尚武の精神」ではないかと思います。今の社会はあたかも「僕は安全運転しているから、タイヤチェーンもエアーバッグもいらない」「僕はまじめに勉強しているから、いじめられても平気」と言っているように思います。
昔の軍歌の一節をご紹介して終わりにします。
♪男度胸はハガネの味よ 伊達にゃ着けない 腰の剣
抜けば最後だ 命を懸けて 指も差させぬ この守り♪
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