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2015年01月07日00:06

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「舞姫 テレプシコーラ」を読みました

山岸 凉子著     メディアファクトリーコミック



友人にお借りして年末年始にマラソン(一気読みの造語です、私の)しました。一気に読ませるチカラのある作品。絵は非常に古いタイプのマンガ家さんですし、何というか2次元的な表現をされる方ではありますし、他の作品を読んだことが無いのですが恐らく絵柄としては早い時期に完成されているために、古さを感じさせるのではありますが、そのストーリィテリングにこそ、演出とテーマにこそ真骨頂がある作品でした、深いです。



埼玉に暮らす篠原六花は小学5年の次女で、1歳上の姉(年齢は2歳違うが早生まれで学年では1歳違い)と共に母親が経営する小さなバレエ教室に通っています。姉の努力を間近に見る事で、その先見性もさることながら自分の身体的な欠陥とまでは言えない股関節の問題から、バレエへの関心が薄れつつあるのですが・・・というのが冒頭です。



いわゆる日本におけるバレエの状況を、とても分かり易く知る事が出来ます。女性の方々には割合近い、友人がやっていたとか、見たことがあるとかあるとは思いますが、おそらく熊川哲也の存在が(しかもローザンヌで金賞ではなく、ロイヤルのプリンシパルになってから、さらに報道される事で)あったから少しは男性にも認知されてきたとは思いますが、それまでは知らない人の方が圧倒的であった頃から比べての、現在(2000年代の日本)の状況を知る意味でも、とても分かり易いと感じました。



当たり前ですが、子供の頃にプロを目指す、と決めた(私は個人的に異常に早いと思うが、世界的に見ればバレエの世界では通常の事ではあるようです 注・私調べ )一家がどのようにしてバレエ中心の生活を送っているのか?を間近に観察できるという意味でも貴重な作品。父、母という両親、その両方の祖父母にまで経済的にも体力的にも負担を強いる事になりますし、母親がバレエ団に所属していたとなるとかなりシビアに見ているとしても、夢を見たくなるものです。



いわゆるコンクール、バレエ教室の本部と支部の関係、上手い子とそうでない子の比較、教育としての面白さ、子供の成長のきっかけ、ネガティブ思考と努力思考、教え方の違いと受け手の意識、様々なものを上手く扱って、そこに1人の天才(シルビィ・ギエム級、百年に一人の天才)を絡めつつ、成長物語としてとても面白いと感じました。



バレエでなくとも、成長することの難しさと面白さと、そのきっかけの些細な部分を丁寧に扱っている作品です。



私の中でのマイナス点は、立体的な画力について、全幕ものを一つも追えていない点事、の2つに不満がありましたが、それでも、補って余りある構成であり、演出であり、伏線回収のさじ加減が絶妙さと、新鮮な驚き(ディアギレフじゃないけど「私を驚かせてくれ!」です)が振り切れた作品だと思います。



バレエに詳しくなくとも面白がれる、そんな作品です、が、特にバレエに触れた事のあるに、興味のある方に、教育者的な立場の人に、オススメ致します。



ただ、本当はバレエってコンクールで順位を競うものでは元々無いんですよね。あくまで芸術性の追求であるべきで、ダンサーの個性を楽しむものであり、振付士とダンサーの煌めきを感じるべきなんだと思ってます。でもその辺含めて今の日本におけるバレエの現状だとも思います・・・



アテンション・プリーズ!
ここからネタバレあり、の感想です。とりあえず、どう考えてもネタバレしてしまうと新鮮な驚きが半減してしまいますし、この物語(特に1部)のキレを味わえないのは勿体ないので、是非事前情報は何も入れないで読破していただきたいです。















































面白い、と感じた最初は1巻の主人公六花が音楽を聴き、その音符が見え、そこから情景が立ち上がってくる場面です。ここを見て、私はコリオグラファーの話しになる!と思ったのですが、予感が的中しても、その振付の新鮮さを十分に楽しめました。その発想の柔らかさが、実は環境(素晴らしい踊り手で手本でもある姉の存在と、音楽性の良さ)から徐々に育っていく様のシークエンスが素晴らしく、見事でした。



バレエを主題にして、ダンサーではなくコリオグラファー振付士にフォーカスした作品って多分初めてなんではないか?と思います。



ちょっとした一言の発言者(教える側)と受け取る側(教わる側)の、本当に僅かな違いから、誤解や違った言葉の置き換えに響く描写は本当に素晴らしい。伏線回収の見事さが、それもリアルな回収の仕方で、全部が明かされるわけでもなく、心にしこりの残る感じ、その加減が絶妙で素晴らしい。特に姉をいじめていた人物の特定が出来ない事、友人への態度の差(六花と父親の違いも!)素晴らしいと感じました。



どの場面だったか、タクシーの中から仰ぎ見る朝日を浴びながらの「もっと」という決心を抱く描写の秀逸さはとても心に残る切り取り方だと思いました。こういう瞬間に、人は覚悟をするんだ、と私も思いますし経験があります。



またキャラクターが秀逸で、姉千花は良い意味でも悪い意味でも努力家で秘密主義的な負けず嫌いな面が強く、他人に寄り掛かろうという事を徹底的に避ける傾向が強く、『姉』という立場を強く意識しているために『良い子』を演じてしまいますし、また『演じている』という自己認識さえ薄い感じがあります。いじめ、という件についても自分のみで切り抜けるというか苦しみ抜くわけです。



そしてだからこそ六花という主人公がのびのび(ある意味において)育つことが出来たのです。この意識の強さがなく、前に出るチカラも無く、身体的に有利な点も無いにも関わらず、音を視覚に置き換える事が出来る非凡さは、恐らくバレエの世界ではあっという間に潰されてしまうか、発現さえしなかったと思います。特にバレエの世界ですと、有名なモーリス・ベジャールが言う「ダンサーには2つの気質が求められる。一つはボクサーのように身体を鍛え上げられる事、もうひとつは修道士のように祈れる事だ。」と言っていますが、この祈れるというのが難しいと思うのです、まさに宗教的にバレエの世界へ埋没する事を意味しますし、それは現実的世界のある種のルールを身につけられない、という事に直結します。振付士、という特殊で非凡さが求められる職業は、今世界的にも渇望されていて、なお、個性のある振付士に出会えていないと思うのです。



金子という自らもバレエ団に身を置きながらも、何処か醒めてしまったダンサーが教えるという意味で六花について心情的に寄り添わざる得ないのも、納得出来きますし、教師という意味での五嶋との差を感じさせてくれて良いです。プロのダンサーに、それも国外を経験しているダンサーにとっては五嶋の正しさは、当然と言えば当然なんですが、それだけでは六花は絶対に育たなかったわけで、そここそ、この物語の、教師という意味での秀逸さだと思うのです。プロになるために、五嶋のような教師が必要なのだとしても、特に海外では普通であったとしても、振付士という存在の特異さを考えると、子供を育てるという事を考えると、金子の存在は大きいと思うのです。



天才・空美の生い立ち、顔立ち、家族背景がまたコントラストを生んでいて、それだけでなく伯母美智子の存在、どれもありそうでなさそうではあるのですが、だからこそ篠原一家との対比が分かりやすくて良かったです。今の日本に居てもおかしくない(実際、上野水香というプロポーションとテクニックを同居させる存在があります、それでも解釈やノーブルという意味ではまだまだなのかも知れないのですが・・・)と思わせるに十分です。



でも、こういう子がいれば、必ず世に出てくるとも思うのです。



千花の最終的というか刹那的決断を、私は残酷とは思えないですし、あり得ると思います。何度も手術を受け、リハビリを乗り越えられるのはごくごく少数だと思います。



ローラン・プティ、ジョージ・バランシン、モーリス・ベジャール、ジョン・クランコ、ピナ・バウシュ、ケネス・マクミラン、ジョン・ノイマイヤー、フレデリック・アシュトン、オーギュスト・ブルノンビル、マリウス・プティパ、フォーキンにニジンスキーに、そしてヌレエフくらいしか私は観た事ありませんが、そのどれも、特にバランシン、プティ、ベジャールは独特の、彼らでしかあり得ない個性を感じさせます。ここに日本人が入ってくる日はそう遠く無いのでは?と感じさせる作品でした。



バレエという、美とは何か?を常に問いかけてくる芸術を扱った作品として、現代日本の現状を記した作品として残る漫画だと思います。六花の振付けは斬新で新鮮で、個性を感じさせてくれました。それだけでも特筆すべき作品だと思います。作者山岸さんの柔らかな発想と、バレエへの愛を感じさせる作品でした。
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