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2014年12月30日02:59

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芥川龍之介とSETIを論じて併せてカミーユ・フラマリオンに及ぶ

(前回の日記に嫌というほど手間取ったので、時間かせぎに昔の文章をアップしてみることにした。以下は2008年4月27日に書いた文章。少しだけ現時点から見た注を付けた)


 芥川龍之介の「侏儒の言葉」を読み返してみたら、第一番目が「星」なのに気づいた。


 ヘラクレス星群を発した光は我我の地球へ達するのに三万六千年を要するそうである。が、ヘラクレス星群といえども、永久に輝いていることは出来ない。いつか一度は冷灰のように、美しい光を失ってしまう。のみならず死はどこへ行っても生を孕んでいる。光を失ったヘラクレス星群も無辺の天をさまよう内に、都合の好い機会を得さえすれば、一団の星雲と変化するであろう。そうすればまた新しい星は続々とそこに生まれるのである。
                                (ちくま文庫『芥川龍之介全集 7』152頁)


「ヘラクレス星群」とはM13球状星団のことだ。現在では距離は2万2千光年とされている。
 望遠鏡を通して見た天体は、ふつう天体写真ほど印象的ではない。しかし球状星団は例外で、写真より実物の方がはるかに美しい。芥川が望遠鏡でM13を観たかどうかは知らないが、この天体を例に挙げているのは何か特別な印象があったからと考えてもおかしくない。


 宇宙の大に比べれば、太陽も一点の燐火に過ぎない。況や我我の地球をやである。しかし遠い宇宙の極、銀河のほとりに起こっていることも、実はこの泥団の上に起こっていることと変わりはない。そう云うことを考えると、天上に散在する無数の星にも多少の同情を禁じえない。いや、明滅する星の光は我我と同じ感情を表しているようにも思われるのである。この点でも詩人は何ものよりも先に高々と真理をうたい上げた。
 真砂なす数なき星のその中に吾に向かひて光る星あり(注1)
                                     (『芥川龍之介全集 7』152頁)

 いいことを言うなあと感心していると、結論はこうだ。


 しかし星も我我のように流転を閲するということは――とにかく退屈でないことはあるまい。
                                                (同 153頁)


 まるで落語のさげである。

                       * * *

 スヴァンテ・アレーニウス著『史的に見たる科学的宇宙観の変遷』(寺田寅彦訳)を読むと、芥川は実在した理論のことを書いていたとわかる。

 端緒は19世紀の熱力学だった。エネルギー保存則は、エネルギーが無から生じないこと、したがって熱源は不可避的に冷えていくことを明らかにした。太陽もまた熱源である。熱力学は太陽にも寿命があることを示したのだ。進歩の世紀の真っ只中で、物理学は「世界はいつか死に絶える」と予言して、ヨーロッパ思想の根底に衝撃を与えたのだった。(注2)

 太陽の死の恐怖から逃れるためか、19世紀の天文学者たちは世界の永続性を何とかして証明しようと試みている。最も単純な議論は、たとえ太陽が燃え尽きたとしても、宇宙のどこかでは新たな太陽が誕生し、生命もまた生まれるだろうというものだ。しかしその太陽は人類には手の届かないところにあり、新たな生命も、人類とは何の関係も持ち得ないだろう。だから、もっと直接的に人類の住むこの世界の永続が保証できないかと考える者もいた。アレーニウスは著書の終わりでそうした宇宙論を紹介している。

 その前世紀にカントとラプラスが唱えた星雲説では、太陽系は円盤状の粒子の雲から生成したとされた。19世紀には、渦状星雲はそのような生まれつつある惑星系の姿だと考えられていたのである。粒子の雲が凝集して恒星とその周囲を回る惑星になれば、あとは熱力学の法則に従って冷えていくだけであり、最後には凍りついて死を迎えることになる。しかし、宇宙にはまだ星にならない星雲も存在する。恒星集団がある方向へ向かって運動していることはカプタインの観測が明らかにしていた。星が星雲の中に突入すると、星雲の物質が星の内部に吸収される。その結果、燃え尽きた星は新たなエネルギーを得て、再び甦る――そのような理論が作られた。

 当時、新星は星雲と衝突して灼熱した星と考えられていた(新星のまわりに希薄な星雲があるのがその証拠とされていた。これは新星が放出したガスなのだが、当時の理論では原因と結果が逆になっていたわけだ)。
 また、星雲に侵入した星は、星雲の重力に捉えられてその内部を周回するようになる。そうやって次々に星が星雲に捕獲されると、やがて密集した星同士が衝突し、崩壊して渦状星雲に姿を変える。そこから、また新たな惑星系が誕生する――。

「光を失ったヘラクレス星群も無辺の天をさまよう内に、都合の好い機会を得さえすれば、一団の星雲と変化するであろう。そうすればまた新しい星は続々とそこに生まれるのである」

と書いたとき芥川が考えていたのは、明らかにこの種の学説である。

 『史的に見たる科学的宇宙観の変遷』の翻訳は昭和六年なので、昭和二年に死んだ芥川は読んでいないが、訳者付記(299頁)によると、それ以前に一戸直蔵訳『宇宙開闢論史』がある。芥川がそこから「星」の題材を得たかどうかはわからない。しかしアレーニウスの「大正期における日本天文学会への影響はきわめて大きく、当時の天文書には、その衝突説や星雲論、宇宙塵論が必ず紹介されているといってよい」(大塚常樹「賢治の宇宙論」、『宮沢賢治』第4号73頁)という。だから芥川がアレーニウスから刺激を受けた可能性は十分ある。

 こうした知識を作家がいつ何から得たかを知るのは容易なことではない。どの時代にどんな学説があったのかは科学史を紐解けばわかる。しかし大衆や作家などの非専門家がそれを知っていたか、どう理解していたかは、全く別な問題だ。そのような研究――観念史――は、科学史よりもなお新しい分野であり、日本ではまだ普及していない(というより、科学史と区別がついていないように見える)。しかし宮沢賢治研究のかなり大きな部分は近代日本についての観念史ともいえる。
 宮沢賢治は日本文学の中ではあくまで例外と見られているようだが、日本の近代文学が全体として同時代の科学と無関係とは考えられない。確かに関係はきわめて希薄に見えるが、それをいうなら欧米の文学だって、あからさまに科学の影響は見えない。とにかく夏目漱石の門下生には物理学者がいるではないか。(注3)

 たとえば、「侏儒の言葉」と同じ全集7巻39頁には「自動偶人」という言葉がある。これはロボットのことだ。芥川龍之介はいったいロボットという概念をどこで知って、それをどう考えていたのだろう。――興味がわいてこないだろうか。(注4)

                       * * *

「侏儒の言葉」はアナトール・フランスの『エピクロスの園』(1895年)から、多大の影響を受けているという。岩波文庫版『エピクロスの園』の解説(221頁)によると「侏儒の言葉」には『エピクロスの園』の断章から引き写したものが8つある。「星」はそのひとつで、しかも『エピクロスの園』の巻頭に置かれている断章である。

『エピクロスの園』は1919年(大正8年)に最初の翻訳が出ている。「侏儒の言葉」は1923年から25年まで「文藝春秋」に連載された。ただし『エピクロスの園』の「星」と「侏儒の言葉」の「星」の内容は一致しない。岩波文庫版の章題は1974年に「検索の便をおもんばかって訳者が仮につけたもの」である(3頁)。しかし、芥川が「侏儒の言葉」の最初の話題に『エピクロスの園』の冒頭と同じ天文学を選んだのは、アナトール・フランスにオマージュを捧げる意図があったのではないだろうか。
 そこで『エピクロスの園』巻頭の「星」を見てみる。――なるほど。


 ……火星は地球の動物や植物に比すべき諸種の生物が、十中の八、九、棲息できるところであろう。棲息できるところである以上は、そうした生物がきっと棲んでいるにちがいない。火星では今この瞬間にも、同朋相食んでいると考えて間違いない。
……しかし生命は温度が非常に高かったり低かったりする異なった環境においても、想像も及ばない形のもとに、産み出されるかも知れない。それどころか、生命はわれわれの大気圏の中の、われわれのすぐ傍で、エーテル性の形のもとに産み出されるかも知れない。かくてわれわれは天使たちに取り囲まれているのかもしれないが、われわれはその天使たちを認めることは決してできないであろう。
                                    (岩波文庫『エピクロスの園』18頁)


 「侏儒の言葉」には、これとそっくり同じ内容を含む、「火星」という断章がある。


 火星の住人の有無を問うことは我我の五感に感ずることの出来る住民の有無を問うことである。しかし生命は必ずしも我我の五感に感ずることのできる条件を具えるとは限っていない。もし火星の住民も我我の五感を超越した存在を保っているとすれば、彼等の一群は今夜もまた篠懸を黄ばませる秋風と共に銀座へ来ているかも知れないのである。
                                       (『芥川龍之介全集 7』194頁)


 明らかに上の引用の引き写しとわかる。しかし、「火星」は「侏儒の言葉」の冒頭でなく、途中に置かれている。芥川には剽窃の自覚があったのかもしれない。本の冒頭の話題が同じだったら、気がつく読者が必ずいたはずだ。しかし、あまりに影響が深かったため、自分の発想とアナトール・フランスの発想が区別できなかった可能性もある。だが、もしそうだとすれば、芥川龍之介は地球外生命について多少とも真面目に考えていたことになる……
 芥川龍之介は、本当は「火星人」のことをどう考えていたのだろう。
 国文学者はこういう問題の存在に気づいているだろうか。

                       * * *

 芥川の発想の起源を、アナトール・フランスからさらに遡るとカミーユ・フラマリオンに行きつく。

『エピクロスの園』に収められた文章は、1886年から1894年にかけて書かれた。その少し前、1882年頃から、火星の運河の報道が広まり始めている。
 この問題についてはマイケル・J・クロウ『地球外生命論争1750−1900 カントからロウエルまでの世界の複数性をめぐる思想大全』(1986)が最良の資料になる。
 クロウによると、ジョバンニ・スキャパレリが火星の運河を観測したのは1877年の大接近においてだが、他の天文学者は同じものを観測せず、疑う意見が多かった。その後1882年の火星接近の後で、天文学者にも運河を支持する発言が増え始め、新聞・雑誌に記事が載るようになる。1885年には「火星の運河は現実に存在し、不動の現象である」(クロウ819頁)と書かれた本が出ている。しかし運河の実在をめぐる論争はその後20年にわたって続く。
 アナトール・フランスが、運河をめぐる論争の高まりを意識していた可能性は高い。フランス人の間で火星の運河が話題になっていた証拠に、1886年にモーパッサンが「火星人」という短篇を書いている (ハルキ文庫『モーパッサン傑作選』)
 そして専門家でない普通のフランス人が火星についての最新情報を得るとしたら、最もありうるのがフラマリオンの著作からである。

 天文学者カミーユ・フラマリオンの名は今日ほとんど忘れ去られているが、19世紀後半には高名だった。当時、天文学の啓蒙書で人気を博した著述家は何人もいるが、フラマリオンはその中で最大の読者を得ていたと思われる。パリ天文台助手だった1862年に20歳で最初の著作『生命の存在可能な世界の複数性』を発表し、1925年に没するまで70冊以上の本を出している。彼の関心は一貫して、宇宙における生命の可能性の追求だった。いわば19世紀のカール・セーガンである。

 あまり知られていないが、火星の運河は人工的に作られたと最初に主張したのはフラマリオンらしい。1892年に発表した『火星』の中で、彼は「運河は、地質学的力によって生み出された表面上の裂け目、もしくは大陸の表面に広く水を供給するため、古い川を居住者が改修したものかもしれない」と推測し、「われわれより優れた種族が火星に実際に居住している可能性は、非常に大きい」(クロウ830頁)と結論している。

 フラマリオンは神学校を卒業後、働きながら書いた論文をパリ天文台長ルヴェリエに見出され、助手として働くことになった。けれども彼はルヴェリエとはそりが合わなかったらしい。ルヴェリエはイギリスのアダムズとならんで、天王星の摂動から海王星の存在を予言した人物である。1846年の海王星発見は天体力学の英雄伝説として語り継がれている。しかし19世紀ヨーロッパ天文学に、それとは全く異なる流れ、地球外生命の探求があったことはほとんど知られていない。

 フラマリオンはルヴェリエが業績を上げた天体力学などの数理天文学を「あまりに狭量であり、趣味に合わない」(クロウ663頁)と考えていた。彼の関心は当時始まったばかりの天体物理学を用いて、惑星や星の性質を解明することに向けられた。その究極の目標が、惑星に生命が存在すると証明することだったのである。しかも、それはフラマリオンだけの関心ではなかった。マイケル・クロウによると「18、19世紀の天文学者たちのおよそ4分の3が、そして最も卓越した知識人のほぼ半分が」地球外生命について論じているという。(902頁)
 つまり19世紀ヨーロッパの文人が地球外生命に関心を持つのは″普通のこと″だったのである。

 このことは日本では全くと言っていいほど知られていない。進化論が西欧近代思想や文学に与えた影響を研究した本なら、丹治愛『神を殺した男 ダーウィンと世紀末思想』がある。ところが19世紀西欧文学史や作家論で、天文学や地球外生命に着目したものを見たことがあるだろうか? せいぜい思いつくのはウェルズの『宇宙戦争』(1898年)くらいだろう。そんなのはSF史の問題で、文学とは関係ないと思うのが普通の態度だ。では、18世紀と19世紀ヨーロッパの地球外生命論を扱ったクロウの本にどんな人名があるか?

 索引によると、イエイツ、ヴォルテール、エマースン、エンゲルス、カーライル、キプリング、ゲーテ、コールリッジ、トマス・ジェファースン、シェリー、ショーペンハウアー、シラー、ハリエット・ビーチャー・ストウ、ソロー、テニスン、マーウ・トゥエイン、ドストエフスキー、ナポレオン、ハイネ、バイロン、パスカル、バルザック、トマス・ハーディ、デヴィッド・ヒューム、フォイエルバッハ、ブラウニング、ベンジャミン・フランクリン、ウィリアム・ブレイク、ヘーゲル、ベートーヴェン、ホイットマン、ポープ、ミルトン、モンテーニュ、ヴィクトル・ユーゴー、ライプニッツ、リヴィングストン、ジャン・ジャック・ルソー、セオドア・ローズヴェルト、ジョン・ロック、ワーズワース……である。

 以上、故意に天文学と関係なさそうな名をピックアップした。自分も三人追加できる。既に挙げたモーパッサンとアナトール・フランス、そしてフローベールの『ブヴァールとペキュシュ』だ。
 この錚々たる名前のどれか一つでも「宇宙人」と結びつけて考えたことのある日本人が、どれだけいるだろう。

 ヨーロッパのことはいい。自分が知りたいのは、近代日本はどうなのかということだ。日本の近代化がヨーロッパの影響下で成立した以上、19世紀ヨーロッパの天文学への関心が近代日本文化に何らかの形で波及したとしても不思議はないだろう。その最もあからさまな例を芥川龍之介に見たわけだ。だが一般社会への影響はどうだったろうか。

 アレーニウスについては既に書いたとおりだが、フラマリオンの翻訳も戦前にかなり出ている。『此世は如何にして終わるか』(改造社1923年訳)、『星空遍歴』(文明協会1929年訳)、『死とその神秘』、『未知の世界へ』(共にアルス1929年訳)を確認している。それどころか、1910年(明治43年)にハレー彗星が現われた時、彗星の尾に青酸ガスが含まれていると唱えて地球滅亡騒動のきっかけを作ったのもフラマリオンなのである(つくづく人騒がせな人だ)。 だからフラマリオンは日本近代史に確かに影響を与えている。問題は影響がどの程度なのかだ。

『地球外生命論争1750−1900』は簡単に要約できるような本ではないが、西欧近代の地球外生命論がキリスト教との関係の中で形成されていったことは読んでわかった。進化論もそうだが、ヨーロッパでは新しい思想が定着する過程で常にキリスト教との間で葛藤が生じる。その過程で思想が変容を強いられると同時に、まるで作用反作用の法則のように旧来のキリスト教文化も変容を余儀なくされてきた。
 ところが日本では進化論は何の抵抗もなく受容された。逆に言えば、進化論は日本文化に何らの影響も及ぼさなかったことになるのかもしれない。
 しかし天文学の場合はどうだろうか。西欧科学から受けた刺激を最も直裁に表現した文学者は宮沢賢治だと言っていいだろう。だが他の作家の場合はどうなのか。たとえば芥川龍之介の天文学知識は宮沢賢治のそれとどの程度似通っていたろうか。それとも大きく違っていただろうか。そういう研究が必要なのではないだろうか。

 え? お呼びでない?(以下植木等)(注5)


(注1)正岡子規作
(注2)この問題について書いた本にJerome H. BuckleyのThe Triumph of Time: A Study of the Victorian Concepts of Time, History, Progress, and Decadence(1966)がある(読んだことはない)。SFファンなら気づくだろうが、ジェイムズ・ブリッシュの『時の凱歌』と同じタイトルである。邦訳はまだ無い。
(注3)この問題については小山慶太『漱石の見た物理学』『漱石とあたたかな科学』などがある。まだ読んでない。
(注4)その後、井上晴樹『日本ロボット創世記』という研究があると知った。しかしその時は既に入手困難になっていた。未だに持っていない。
(注5)これを書いた頃は国文学をよく知らなかったので、国文学者に冤罪を着せてしまったかもしれないと今では思う。たとえば、小池滋『「坊っちゃん」はなぜ市電の技術者になったか―日本文学の中の鉄道をめぐる8つの謎』のような本が当時既に出版されていたことをその後に知った。(これも読んでない……って、をいをい)
 しかし文学と科学の関係が一般読者の関心事となっていないことに変わりはない。これは日本文化の重大な欠陥だとかなり真剣に思っている。

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