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2014年12月24日01:40

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【メモ】 クリスマスとキリストと私とあなた

表題のテーマで書き散らすつもりだったのだが、

「甥っ子のジャングルジム兼動画プレイヤー兼椅子になる」

という任務のため、書けていないw


なので、着想を忘れないように、キーワードだけ、メモ。

時間があったら、まとめます。


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クリスマスは、ヨシュア(イエス)という名のキリストの誕生日である。

このヨシュアというのは、何モノであったか。

ただの田舎の大工の倅で、父親もようわからんような、出自で言えば、本当に怪しい、当時の社会においては蔑視されるような、そんなヒト。

そんなヒトが、突然、当時の社会常識に、一部のフォロワーを率いてノーと言って社会に喧嘩を売った。
人間の本来の姿からして、こんな風習はおかしいやろ、と。

安息日でも、病気で困った人を介抱せなアカンやん、とか。
宗教というのは、金持ちの小遣い稼ぎとか体制が人を束縛支配する道具じゃなくて、ヒトの悲しみや苦悩と向き合うためのツールやん、とか。

結果、社会を混乱させたというかどで、30半ばに満たないうちに、磔にされて刑死した。

それが、神の子だという。


その事跡は伝説として、
(馬小屋の瑞兆とか、どう考えても後付の伝説であり、そんな瑞兆があれば30近くなるまで世の中がほうっておくというはずがない)
とにかく、何の変哲もない子が、
いや、そういうヒトであったからこそ、『神の子、キリスト(救世主)』であった。
ということなんだよ。


そして、キリストとしての伝説は、
その秘蹟や奇跡をもってしても、結局は、イエス一人では、人々のすべてを救うことはできなかったことを物語っている。

そう、イエスは、一人だった。
いわゆる、弟子とされたフォロワーたちも、少なくともイエスの生前は、イエスという人間に惹かれて付いていきながらも、そのえらさの本質には理解がなかった。
だから、イエスは、とても孤独な、たった一人のキリストであった。
そして、ユダヤ社会という枠に限定しても、キリスト一人では、現実問題、どうにもならなかった。

奇跡なんて、死者蘇生というとんでもない反則級の大技であってさえも、手の届く範囲のヒトしか救えないのだ。

そう、キリストでさえ、具体的に助けることができるのは、手の届く範囲のヒトに過ぎない。

そのキリストは、
例えばダビデの王統というような、エリートの血筋から生まれたのではなく、
ガリラヤという、あまり地位の高くない地域の、大工というさして高くない地位の倅として生まれた。

キリストは、どのような生まれでもよかった。



そう、キリストは、どのような生まれでもよかった。

キリストは、どのような生まれでもよかったし、
キリストが、どのような地価を持っていても、手の届く範囲のヒトしか救えなかった。



わかるか!?


だから、キリストは、ワタシだ。
だから、キリストは、アナタだ。

ワタシは、あなた方のキリストになろう。
アナタが、誰かのためのキリストになれ。

ワタシが、アナタが、手の届く範囲で、キリストになればいい。

キリストが一人では、世界には足りなかった。

じゃあ、みんなでキリストになろうぜ?

イエスとかいう伝説からすれば、とてもしょぼい、とてもみじめでチンケな、無能で無力かもしれないが、
それでも、質で劣っても、数では勝る!(笑)

名づけて、『キリスト物量作戦』!



この世界には、なさけねぇこと、しのびねぇ哀しみ、そんなことが多すぎる。

そのすべてを救うのは、イエスというチートなスキルを持ったキリストでも無理だった。

だから、凡人並の力しか持たないキリストでいいから、キリストになれ。

手の届く範囲でいいから、とりあえずは。



『与えよ、さすれば、得られん』


アナタ以外の全員が、凡人並の力しか持たないがキリストになれば、ソレは奇跡だが、しかし、それで世界は救われる。

その全員というのは、実は、ワタシでもあり、そしてなにより、アナタなのだ。



アナタは、誰かのためのキリストになれ。



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