なぜでしょうか、殺すことがまるで悪いことであるかのように言われる風潮がありませんか?
あまり好ましくないなあと感じます。
殺すことを学校教育が負担すべきかどうかだけは議論の余地がありますよね。
現代では魚を食べない子もいるのでしょうか? しらす干しだとか焼き魚だとか、姿形をとどめたまま食べる経験は誰にだって家庭で与えられているんじゃないかなあ。
できるだけヒトから遠い生き物で慣れるのがいいですよね。
殺している、食べている、ということが悪いことじゃないという実感も持ってほしいと思います。
私個人は幸運なことにニワトリなら、子供のころに家で殺して食べる体験をすることができました。自分では殺していないですけれど、飼っていたのを食べました。
>「食べるべきか食べざるべきか」という議論に解決の出口を見出すのは難しいが、どんな肉を食べるばあいでも、その命に対するリスペクトを忘れないというのが最低限の心構えではないだろうか。
記事は論点がずれていませんか?
解決していますよ。「食べるべき」と。古来より一度も覆ったことがありません。
なんでもかんでも「問題が難しい」と考えたフリをするとそれっぽく見えると思う人なんでしょうか。こういう記者はべつのお仕事が向いているのではないのかなあ。
リスペクトという言葉も意味不明です。
私個人の願いを以下に。
私たちはすごくたくさん殺しています。食べています。だから殺すことは日常です。その一方で「ヒトを殺すことは絶対にいけない」というルールを共有しています。同族を殺さないというのはどの生き物でも基本持っているルールですけれど。それを矛盾であると感じることもあると思います。
ぜひアウフヘーベンの機会にしてほしいなと思います。
殺される動物側に基準を合わせてしまうような間違いが減りますように。ダメですよね、「生き物を殺さない」とか「殺すけれど○○はよくて□□はダメ」とか主張するのは間違いです。
ただ、ヒトという枠を離れて純粋に思考だけならたまにはいいかもしれません。自分もヒトであるということをいっとき棚上げできるのって知性を持つ私たちのいいところですよね。
残酷な事実を知らないと危険だと私は思うのです。
私のようなバカはつい考えてしまいそうになるのです。「どうせ動物も殺しているんだから人間ももっと手軽に死刑にしていいじゃん」とか。稚拙ですよね。殺した経験が足りないとつい言葉が過激になったりもするのだと思います。
ネットでも軽々しく「死ね」とか言う人がいます。できればいなくなってほしいなと思います。学ぶことによって。
家畜・家禽を殺したことが何度かある人が「死ね」と言っていたらあまりに恐ろしいですよね。そういう人だっていないわけではないでしょうけれど。
でも大半は、殺したことがないから、知らないから平気で言えるだけなんだと思います。あまりに軽く「死ね」とか「殺す」とか「死刑」とか。
血抜きされているニワトリのようにヒトを扱うこと、私にはとうていできそうにありません。たぶんほとんどの人がそうだと思います。殺して食べることを体験していれば。
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ブタを育てて食肉に・・・日本の「生命を見つめる教育」 中国ネット民の心境は=中国版ツイッター
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=97&from=diary&id=3185203
中国版ツイッター・微博(ウェイボー)で600万人のフォロワーを抱えるユーザーが9日、日本で児童に「生命を見つめる教育」が行われたことを紹介したところ、多くのネットユーザーが注目した。
このユーザーが紹介したのは、児童に家畜のブタ2頭を150日にわたって飼育させたのち、その出荷に立ち会わせ、さらに食肉として処理された姿を見せるというドキュメンタリー映像だ。児童がブタに名前を付けて可愛がり、別れの際には涙を流したと伝えた。
9日にツイートが発表されてから、すでに2万件を超えるコメントが寄せられている。「これで子ども時代は終わった」、「きっと最後はみんな喜んで食べるんだろうな」、「動物に名前を付けたあとで食べるというのはどうかと思う」といったコメントが多くの支持を集めた。
あるユーザーは、幼少期にブタの処理場近くに住んでおり、処理されるブタの声を聞いていたという自身の経験と重ね合わせ、「その肉を食べ、その栄養をしっかり吸収して、良い生活を送ることが、その命をちゃんと受け継ぐ方法なのだと思った」と述べた。
多くのユーザーが、このような教育の意味やその是非に焦点を当てて意見や感想を述べるなかで、あるユーザーはやや変わった視点から感想を述べている。それは「これがもしイヌだったら、番組スタッフは吊し上げられるだろう。イヌとブタでは、その生命は始終不平等なのだ」というのだ。このコメントには、約5000人が賛同を示している。
「生と死」をめぐる子どもへの教育というのは、さまざまな要素が含まれるために非常にデリケートだ。教え方を誤れば、幼い心を傷つけたり、悪い方向に導いたりするリスクをはらんでいる。そのタイミングも重要だ。
日本を含めた世界各地には、さまざまな動物の肉を食する習慣がある。一部の動物については、資源や種の保存という点で、あるいは文化的観念の違いから論争になるケースもある。「食べるべきか食べざるべきか」という議論に解決の出口を見出すのは難しいが、どんな肉を食べるばあいでも、その命に対するリスペクトを忘れないというのが最低限の心構えではないだろうか。(編集担当:近間由保)(イメージ写真提供:123RF)
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(超耳)
よく見たら、
> 日本を含めた世界各地には、さまざまな動物の肉を食する習慣がある。
という部分でとんちんかんが極まっていました。
まるで「習慣」がない地域のほうが多かったり、「習慣」が未開の時代にしかないという前提があるかのような書き方です。(それ以外にどんな前提があるとこういう書き方になるんでしょうか?)
肉を売っていない国とか食べない国とか、あるの??
記者は宇宙人なの??
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