母は美しい? 突出して低い日本
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日本には、謙遜の美徳 というのがあって、いつの頃からか、自分の側を”へりくだる”ことで、相手を立てるコミュニケーションが、”ふつう”とされていた。
下手に「お母様は、おきれいなかただったんですね。@@」などと褒めると、言葉通りに受け取って、うれしそうにしてくれる人と、それほどでもないのに、見え透いたお世辞言いやがって、という人、こいつうちの母親に下心でもあるのか・・・、とまでは行かなくても、『身内を褒める』という文化に、なじみがない気がする。
ただ、人づてで、”むかしの”お母さんは、そりゃきれいだった”といわれれば、お世辞にも そうは思えない場合、見たことのないものは信じない主義のオレとしても、同意は難しくても、相槌くらいは打てる。
いつだったか弔辞で、母の弔辞が長すぎては失笑を買うと思ったので、”1分半くらいで、手短に”と思って、事なきを得たのだが あえて、自分の母に 賞賛の形容詞をつけるとしたら、
「母よあなたは強かった。」(軍歌か)だろうか。
うちは、父が人に優しく 母が 誰からも頼られる肝っ玉なイメージだったので。
そうはいっても、そこは身内。 人からけなされるよりは、持ち上げられるほうが、気分はいい。
あまり買いかぶるのも よくないとは思うのですが、にんげん、探せば どこかしら 褒められる部分は残ってるものです。
だから、記憶の中の”人のお母さんは、二割増 美人だったように伝えよう”と思います。
そういう部分を、箇条書きにしてみるのも 記憶の薄れた故人の人となりを思い出せるので、ただ美醜を問うよりも、人柄のようなものが偲ばれて、面白いかもしれないです。
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