mixiユーザー(id:12001220)

2014年11月25日18:35

1092 view

マディソン郡の橋

一緒にいても、いなくても、愛していた。




アイオワの片田舎の町でフランチェスカ・ジョンソンは死んだ。
彼女の子どもたちは生家に集まり、弁護士から遺言を聞いて仰天する。
敬虔なキリスト教徒だった母は遺体を夫の眠る墓地に埋葬するのではなく、火葬にして灰にし川に撒いてほしいと言うのだ。
兄妹は遺されたフランチェスカ宛の手紙を読みさらに衝撃を受ける。
絵に描いたような良妻賢母だった母には不倫相手がいたのだ。
フランチェスカは死ぬ前に子どもたちに手紙と手記を残していた。

『愛するあなたたちに分かってほしいと思うのです。あの四日間のことを』

手記の中で語られる過ぎ去った日々のこと。
1965年の秋、家族全員を州祭りに送り出し家に一人きりとなったフランチェスカは、橋の写真を撮りに来たカメラマン、ロバート・キンケイドと出逢う。



【とある昔、うどん家の夜の一幕】

テレビ「映画の名場面ランキング、第○位は『マディソン郡の橋』、メリル・ストリープとクリント・イーストウッドの別離のシーンから…」

母「ああ、、この映画、父さんが大好きでなぁ、、、めっちゃ感動しとったなぁ」

私「えっ 母さんは違うんww?」

母「いやよかったんやけど、、、この、さいごの別れるシーンで雨にずぶ濡れたイーストウッドの髪の毛がバーコードみたいに貼りついてきったならしくハゲ散らかしてるのを見て、もう『イヤアアアアアア』って。。。それまでの気分がふっとんでしまって」

私「ひwwwどwwwいwwwwwww」

母「父さんに言うたら「おまえの感性はおかしい!」って言われて、、、」

私(そらそんだけ感性ちごたら離婚するわ。。。)




そんないわくつきの大名作「マディソン郡の橋」を観ました。
「マンマ・ミーア!」でメリル・ストリープ(50代)のうつくしさに感嘆し、年とってこれなら若いころはさぞかし、、、とおもってたんですけど期待してたほど若くないやつでしたがなこれ。
でもやっぱりうつくしかったです!
こんな人妻そらグラっときますわ!たはー

イーストウッドはやっぱりすごい監督ですね。なんていうか、どの映画でも『男の中の男』を描くことに追及しているように思う。
「許されざる者」とか「ミリオンダラー・ベイビー」とか。見てないけど、なんだっけほら、、、あれあるでしょ、クルマのやつ。あれとか。

本作「マディソン郡の橋」のロバート・キンケイドも正にそんな男。イーストウッドの頭の中にある理想の「こうあらん」たる男の姿でした。
それがまたかっちょいいんですよね、キンケイド。
誰にも縛られない自由さと確固たる己を持っていて無骨でちょっと雑っぽいというか、隣のシートに貞淑な人妻がしりを乗せてるのに全然気にしないで無造作に物入れに手を伸ばして脚に触れてしまうような男臭い無神経さがあって、気の利いたこととか言えないしおよそ細やかな気配りの出来るタイプの男ではないんですけど、その反面とても礼儀正しくて控えめで、道を教えてくれたフランチェスカに可愛い花束をプレゼントするようなロマンチストだったりする。
そのお礼に誘われた夕食の前には、井戸で汗をかいた体を洗ってからおうちに入るんですよね。ドアも静かに閉める。
野性と物静かさと教養を持ち合わせている人なんです。

メリル・ストリープ演ずるフランチェスカは、娘時代に故郷のイタリアで出逢ったアイオワ男のリチャードの中に娘らしいアメリカン・ドリームを見出して彼にくっついてアイオワの田舎にやって来て、気付いたらもう中年。
情熱をもって取り組んでいた教師の仕事もおなかに子どもが出来た途端辞めざるをえなくなって、子育てと農業に忙殺されているうちに気がつけば下の娘も16歳。もう母を求めるような年でもない。

娘の自慢の仔牛を品評会に出展するのに、夫と子どもたちを州祭りに送り出してフランチェスカはおそらく20年ぶりぐらいに「自分ひとりだけ」の時間を持つ。
だれの「おかあさん」でもない、ただの「フランチェスカ」としての自分になる。
このあたりの心理というのは、西原理恵子に傾倒している私には「これなー!」と手に取るように分かる気持ちでした。

そんな人生の折り返し地点で訪れた隙間時間のような四日間の初日に彼女の前にふらりと現れたよそ者の男(職業:ナショジオのカメラマン)と人生最大の恋に落ちるフランチェスカ。
自由と表裏一体の孤独を飼い慣らし、世界中の人々と交流を交わす代わりに誰とも特別な関係を結ばなかったキンケイドはアイオワの小さな町で主婦をしていたフランチェスカこそが自分の運命の女であることを確信します。
フランチェスカもまた出逢ったばかりのキンケイドに対してこれまで誰にも覚えたことのないほど深い心の結びつきを覚え、残りの人生をキンケイドと生きることを一度は決意しますが、最後の夜やはり家族のもとに残ることを選ぶ。
キンケイドはその決断に猶予を求めしばらく町に滞在するが、ある雨の日ついにフランチェスカから身を引き町から出て行く…。



もうボロ泣きですよわたしは。
四日目の晩ごはんのとこからずっと泣いてましたよ。
なんなんですかこれは。イーストウッドもメリル・ストリープも瞳ですべてを物語る俳優すぎでしょ。
どんどん恋していく過程とかね。いけないと分かってはいてもどうしようもなく惹かれていく感じとか。そして別れ際のあのシーンとかね。もう、 頭ハゲ散らかしてるくらいなんやねん! オカン!
あのシーンでハゲに目が行くとかまじでどうかしてるぞ!! あの切ない目に行くやろ普通!(そもそもハゲなのは登場時から分かってたことやないか!)
フランチェスカが車で葛藤するシーンとかもうね、泣きじゃくりましたよぼくは。胸が張り裂けそうという感覚を初めて映画でおぼえましたよ。
もう! もう行ってキンケイド!! 早く!!
ってどんだけ心のうちで叫んだか、、、ああ、、もう、、、、、

なんでフランチェスカはあの時行けなかったのって、色々あるけれどやっぱりフランチェスカはそれまでの人生が幸せだったからかなぁと。
捨てられるわけがないくらい幸せだったと思う。 夫のリチャードが20年ほど連れ添った彼女をなお深く愛しているのは四日間離れ離れになることを寂しがっている冒頭のシーンだけで十分に分かります。
娘と息子も反抗期で会話が少なくなっていても、小さい頃は天使のように可愛かっただろうことが容易に想像できます。
そもそも五体満足でめっちゃ健康そうで、それだけで最高の子どもじゃないですか彼らは。
これ以上望めないほどフランチェスカはすでに十分幸せだったように見える。(めっちゃ可愛い犬もおったしな!)
心から愛し、心から愛し返してくれた三人の家族をたとえ結びつくことが運命づけられていた男との愛のためだろうと捨てるなんて最初から出来るわけがなかったんですよね。
男か! 家族か!
ひとつしか取れない、さあ選べ!!
って問われて、どっちを取るかなんて答えは人それぞれで正答なんてないとおもいます。
そしてフランチェスカは家族を選んだ。
それは必ずしもキンケイドに対する愛がその程度だったというわけではなくて、キンケイドもフランチェスカを愛していたから彼女が家族を選んだことを尊重した。
あれ以来一度も会うことがなくとも、どれだけ遠く距離を隔てていても、二人は同じ気持ちだった。



『遺灰はローズマン橋から流してほしい』


『私は生涯を家族に捧げました。残りの身はせめて彼に捧げたい』


まことの愛を描いた切なくてうつくしい大人の恋愛映画でした。
名作の名に恥じるところのないすばらしい名作です。



おまけ

・敬愛していた母の不倫を知った時のむちゅこたんの反応があるあるすぎて素晴らしかったよね!
ほんとになんで息子って母親を神聖視しすぎてんだろうね!
娘は父親を神聖視なんてしないのに、ふしぎだよね。

作中カッとばされた至言
「一家のひとり息子というのはその家の王子なんだ。王子を生んだ女性は性欲なんて持っちゃだめなんだ(40代男)」


どひー ( ;´Д`)


関係ないけど「おおかみこども」あるじゃないですか、わたしあれ感動したことはしたんですけども、なんていうかですね、あまりにも男の『母親という存在に対しての神聖視』がきつくてですね、うへぇぇぇぇってなっちゃったところも否めなくてですね、その点「マディソン郡」は女の生々しいとこも母親を捨てきれないところも揺れ動く複雑な妻という立場もすごくリアルに思えたのでした。
イーストウッドはマザコンじゃねぇから安心だ!
0 4

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する