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2014年11月04日12:47

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ソウル・サーファー

少女の名前はベサニー・ハミルトン。
ハワイはカウアイ島にてサーファーの父とサーファーの母とサーファーの兄たちに囲まれてすくすく育った彼女は13歳になる頃には血液の代わりに海水が流れていると豪語するどこに出しても恥ずかしくないりっぱなサーフィン馬鹿になっていた。
天賦の才能に満ちあふれ13歳にして企業のスポンサードがつくほど未来有望なサーファーだったベサニーはある日沖合での練習中にサメに襲われる悲劇に見舞われる。
血液の60%と片腕丸々一本を失い、サーファーとしても一人の少女としても再起不能かと思われたベサニーだったが、それでも彼女にはどんな苦境の中であってさえ失われることのない魂があったのだった…。


これでもかというほど美しく穏やかでゆるやかで苦しみのない、たぶん1000年前と比べても大して変わっていないだろう ハワイカウアイ島の自然、生活に根差した神への信仰、海から与えられるものすべて愛ととらえる光に満ちた温かな家庭、13歳の小さな少女の中で燃え上がる不屈の闘志に心から癒されて励まされて、その中で傷つき、もがき、再起する少女の雄姿に目から汗が止まらないすばらしい映画でした。

少女と言っても調べてみるとベサニー・ハミルトンは1990年生まれ。私と1歳しか変わらないということに衝撃。(うどんは89年生まれだよ)
ベサニーさんは現在24歳プロサーファーで昨年ご結婚されたようで、、、
これからもご活躍をお祈りしたいアスリートです。

少し話は逸れるのですが、『ストーカーは何を考えているのか』という本にて、一千人以上のストーカーと面談をしてきた著者の統計による「ストーカーになりにくい職業」というものが載っていたんですね。
それはなにかというと、自然を相手にする職業。
著者がカウンセリングしたストーカー加害者の中に農業林業漁業従事者はいなかったと。(公務員、教員あたりが多かったらしい)
これを知って、ものすごくよく分かるなと。
自然なんていう理不尽の鬼を相手に毎日仕事していたら、すきな人が自分の思い通りにならないくらいの理不尽なんでもないよなと。
魚が獲れるか獲れないかなんて海次第という仕事が根本の私は、だからベサニーのあの鋼のメンタルにもなっとくがいったのでした。

たぶん彼女がレーサーとか陸上スポーツ競技者だったらおそらく話は違っていて、他ならぬサーフィンという板切れ1枚で大いなる海と対話するスポーツの競技者だったからこそあの怒涛の立ち上がりだったのだろうと。
海に育まれて海に鍛えられて海に揉まれてきた人間だったからこそ、海と向き合うことを絶対にやめなかったのだろうと。
不具者であるにも関わらずそれでも健常者と同じ土俵で戦うことをあえて選ぶ闘魂がこの上なくたぐいまれであることには変わりないですが。
あの小さな体のどこから湧き上がるのかと思われるほどの力の源泉として、 あぁなんか分かる気がするなぁと。

苦しみも痛みも挫折も与えたのが海なら、喜びも祈りも愛も彼女に教えたのは海だった。

壮絶なリハビリと練習とトレーニングの末、健常者と同じ条件で挑んだ大会の最後、恐らく彼女のサーフィン人生で1、2の大波を現在の自分のライディングで乗り越えるシーンは魂が震えるほどの興奮と感動と希望に満ちていて、かくもうつくしい人間が絶望を超克する姿に涙があふれて止まらなかったのでした。
(もうね、波を越えて海に落ちる時にアナソフィアちゃん(ベサニー役)があげる「あはは」っていうちいさな子どものような満ち足りた笑い声がね、さいこうだった)
個人的にはグレンラガンのシモンの再起シーンに通じる名シーンでありました。

絶大なる不足からこそ生まれる力。
絶望の底にある、絶望の底をも突き破る人を超えた力。
シグルイでも藤木さんは腕なくしてからのが強なったもんな、、、とそんなことを考えさせる映画でした。
すばらしかったです。
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