この間の「人権の成り立ち」の続きです。
トマス・ホッブスという人が「人権は捨てなければならない権利である」と提唱してから半世紀後、ジョン・ロックという人が出てきます。
このジョン・ロックさん、ホッブスの『リヴァイアサン』を換骨奪胎した形で『市民政府論』というのを発表します。
内容はというと、先のホッブスさんが『神も法律もない世界』という荒唐無稽な思考実験をしたのに対し、ロックさんは『神も法もある世界』という馴染みのある世界で説明します。
人々は、神様の教えを守って平和に暮らしているのだけれど、そこに掟を守らないヤツが現れたらどうするのか、とロックは言います。
いくら、神様の存在が絶対的なヨーロッパでも、神様に祈るだけでは事態の収集はつきません。
かといって、私的制裁に走ると、ホッブスのいう、力だけが支配する世界になってしまいます。
そこで、
自分たちが処罰する権利のみを放棄して「自分たちの共同体」に預ける。これが「市民政府」になる──ということです。
誰でも殺す側、盗む側になりうるというホッブスの話から、かなり簡単になっています。簡単になっているだけではなく、なんか「俺たちは悪くないよー」みたいな流れになっているのは気のせいでしょうか……。
ロックはさらに続けます。「自分たちの権利を預けて出来ている社会だから、統治者が国民の意思を反映しない場合は、革命を起こす権利があるのだ」と──。
これで、革命を起こす準備がそろいました。
まあ、ロックからすると「そういう話もあるで」ということだったのですが、上からの圧力に辟易していた市民層に受け入れられないはずがありません。
まずは、アメリカで独立戦争。ついでフランスで革命が起こります。
そして、アメリカは全ての人は平等で自由であると謳ったアメリカ独立宣言、フランスは人間と市民の権利宣言というものを出し、ここに教科書でおなじみの人権の基礎みたいなものが出来上がりました。
ということで、もう一回、教科書で出てくる文面を載せてみたいと思います。
人権の保証が宣言されるまでは、人々の長年に渡る努力がありました。国王などの権力者とたたかい、自由を勝ち取ってきました。特に近代革命のときには、人権の思想が国王の支配を打ち破り、革命を成功させるうえで大きな力になりました。そのため、近代革命の後に作られた人権宣言や憲法では、人権が保証されました。
確かに、人権の思想が国王の支配を打ち破りはしましたが……。
「人権の思想が国王の支配を打ち破った」あとの出来事を簡単にまとめてみたいと思います。
●イギリス●
別の国から新しく国王を迎えた。国王といえども、イギリスより古来から伝わる習慣や法律、議会に従わなければならないと認めさせた。
●アメリカ●
インディアン掃討作戦開始。インディアンの全ての人権を奪い、最後は民族浄化。
●フランス●
国王と王妃、貴族の処刑だけにとどまらず、反乱した国民も処刑しはじめ内乱状態に。さらには外国の干渉戦争が始まる。
いやー人権ってホントに素晴らしいですね(棒
前の日記の「なぜ人権が尊重される世の中になったのか」と書きましたが、まとめてみると
「革命がやりやすくなるから」
という答えが私の中で出てしまいました……(´・ω・`)
革命がやりやすくなるだけではなく、「あの国は人権侵害をしている酷い国だ」ということで、他国侵略の足がかりにもなっています。
確かに個人の自由や生命が保証されるというのは素晴らしいことなのですが、使い方を間違えるととんでもない方向にいってしまう、それが人権というものではないでしょうか?
ということで、まとめを終わりたいと思います。
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