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2014年10月02日01:01

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国民主権の成り立ち

日本国憲法の三大柱「国民主権、基本的人権、平和主義」が難しすぎたので、自分なりに日記にまとめて理解できるようにがんばってみようと思います。


まずは、国民主権。
教科書に書いてあることを引用してみます。


国民主権とは、国の政治の決定権は国民が持ち、政治は国民の意志について行われるという原理です。



まあまあ、今の民主主義国家なら、ごくごく普通のことなのではないでしょうか?


次に、「国民主権」が成立する歴史を追いかけてみることにします。


発祥の地はフランス。当時、国内でカトリックとプロテスタントに分かれて、血で血を洗う殺し合いをやっていました。
それを見かねたジャン・ボダンという人が「国王はもっとしっかりと国をまとめていかなければダメだ! 独裁くらいがちょうどいいんだ!」と王権神授説を言い出します。


王権神授説とは、王様が持つ権力というのは神様が与えたものだから、人民は何があっても従わなければならないし、たとえ失敗しても、王様は神様以外には責任をとらなくてもいいという考え方です。
その代わり、王様はその権利を使って、人民を苦しめてはならない。民のための政治をしなければならない、と──。


それを聞いたイギリスの王様。
「好き勝手できるのって、素敵やん?」と前半の部分だけを勝手に解釈して、イギリス古来の慣習や議会を無視し、好き勝手な政治をやり始めました。
王妃様のあまりの浪費っぷりに国は傾き、不満が募った議会と国民は、革命を起こして王様を倒してしまいます。


イギリスはそのあと新しい王様を迎えて、国は安定していくのですが、それを見ていたフランスはというと──
「王様を倒すのって、素敵やん?」
とフランス革命を起こして、ルイ16世と王妃のマリーアントワネットを処刑します。
そして、その二人だけにとどまらず、貴族というだけで処刑され、反革命派の農民も殺され……と勢いはとどまるところを知りません。
これらの虐殺は、民主的に多数決で決められたものでした。


それからフランスは、諸外国の干渉戦争、ナポレオン戦争と、諸外国とも戦争しながら王政に戻ったり、帝政になったり共和政になったりを繰り返しながら社会主義が出てくる19世紀半ばまで続けました。


今でこそ、民主主義って素敵やん、ということになっていますが、元々は国王と国民の間での権力の奪い合いです。
確かに自分たちの意志で物事を決められることは素晴らしいことだとは思いますが、ポピュリズムに走ってしまうととんでもないことになる……といういい見本だと思いました。
マリーアントワネットの有名なセリフで「パンがなければお菓子を食べればいいのよ」という言葉がありますが、あれもねつ造で、本人はそんなことは言っていないらしいですしね。


こうして見てみると、立憲君主制って必要だな、と改めて思ったり。
国民が暴走したときにストッパーがいなくなると恐ろしいことが起こるんだな・・・ということがよく分かりました。


次は、基本的人権です。
基本的人権って、どこからどこまでが「基本的」なのでしょうか?

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