以下に、『吾輩は猫である』の一部を抜粋して転載する。
以下のくだりは、
主人公の名無しの猫『我輩』、の飼い主にあたる主人(モデルは著者の夏目漱石自身)の頭の中で考えたこと、である。
原文は改行が無いが、読みやすくするために、適当に改行を入れている。
----------------------
ことによると社会はみんな気狂の寄り合かも知れない。
気狂(きちがい)が集合して鎬を削ってつかみ合い、いがみ合い、罵り合い、奪い合って、その全体が団体として細胞のように崩れたり、持ち上ったり、持ち上ったり、崩れたりして暮して行くのを社会と云うのではないか知らん。
その中で多少理窟(りくつ)がわかって、分別のある奴はかえって邪魔になるから、
瘋癲院(ふうてんいん)というものを作って、ここへ押し込めて出られないようにするのではないかしらん。
すると瘋癲院に幽閉されているものは普通の人で、院外にあばれているものはかえって気狂である。
気狂も孤立している間はどこまでも気狂にされてしまうが、団体となって勢力が出ると、健全の人間になってしまうのかも知れない。
大きな気狂が金力や威力を濫用して多くの小気狂(しょうきちがい)を使役して乱暴を働いて、人から立派な男だと云われている例は少なくない。
何が何だか分らなくなった
----------------------
転載、ココまで。
以上。
ログインしてコメントを確認・投稿する