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2014年09月27日19:16

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菱田春草展 前期

東京国立近代美術館で開催中の『菱田春草展』に行きました。
フォト

今は前期展示だそうで、後期では、有名な『黒き猫(重要文化財)』も展示されるようです。『黒き猫』は、細川展の時見たので(遡るとレポがある)、『白き猫』は見たコトないから、こっちに行こう〜・・と、前期に行った。
チケットは、毎度お馴染み、新聞屋さんからの貰い物。新聞屋さん、いつもいつも有難う〜。

菱田春草展のHP↓
http://shunso2014.jp/highlight.html

何でも、春草さん、生誕140周年だそうで、それを記念しての大回顧展だそうです。何で140年でやったんだろう?150周年の方が、キリが良くね?まぁ、色んな大人の事情があったんだろうね。
春草さん。皆様には、何か、ぼんやりした絵(朦朧体という)と、猫描く人だよね?という印象ではないでしょうか?私もそうだケド(^_^;)。
今回行って分かったのは、この方、凄く理知で絵を描く人なんですね。岡倉天心が、春草のコトを「実験室」と評したのですが、それも頷ける。技法の春草。冷静な春草。理知な春草。そんな感じ。
頭が頗る良い人だった・・というのは良く分かった。

音声ガイドを田辺誠一氏が担当していたので借りてしまった。画伯の落ち着いたガイドは聞き取りやすかったです。

春草さんは、長野県飯田生まれ。士族の生まれだそうです。
筆線→朦朧体→背景を抑制した装飾的な画風へと変わって行く。朦朧体ばっか描いてたワケじゃないんだ(^_^;)。
16歳で、東京美術学校(今の東京藝大)へ入学。岡倉天心の元で学ぶ。16歳の時に描いたエビの絵(海老にさざえ)が、既に、ものスゲエ上手いの!「あぁ、こりゃ才能あるは。」と、別に目利きでも何でもない私ですら分かる。
んが。本人は、最初、画家になる気はさらさらなかったそうです。同級生の洋画家の中村不折曰く、「絵は上手かったけど、理屈っぽくて、難しいことばかり言って、皆を困らせていた。」そうで、兄弟に後に先生になるような人が2人もいるから、そもそも頭の良い家系なんでしょうね。本人は「僕は、法律を学ぶ!」と言っていたそうです。そんな春草に「画家の道に進め。」と言ったのは、一時画家を目指していたお兄ちゃんの為吉さんだそうな。

もう、この辺りから、理で絵を描きそう〜って思うよね(笑)。

初期の模本作品が凄く真面目に描かれていて、結構好きだった。梵天羅刹天像や、一字金輪像や、微宗 猫図などの仏画が特に良かった。まだ、所謂ちゃんとした日本画。描線も美しい。

『四季山水』。美しい山水の絵。まだ、線はあるも、そろそろ朦朧体になりつつある。ソフトフォーカスかかってきたな!みたいな。写実が上手いと思うんだよな、この人。

『水鏡』。天女が中心におり湖面を覗いている。でも、湖面は墨色で濁り、カラフルに描かれた天女とは対照的だ。濁った湖面には、天女の姿は、ハッキリとは映っていない。左右には紫陽花。天女は右手で紫陽花を摘まんでいる。紫陽花は枯れているようにも見える。湖面には天女の顔は映っていないのに、天女は、ちょっとナルシスティックな微笑みをしているように見える。天女の布の繊細さもスゲエ。

なんでも春草は、「日本画の線は、ただ、境目を表すのではない。意味を表す。」と言っており、この絵は、美人はいつまでも美にあらず。紫陽花も七色になり、枯れて行く。それを表した・・と言っているそうな。

『寒林』。大きな作品。林の中央に岩。その上に2匹の猿。1匹は手を伸ばしている。何か取ろうとしてるのだろうか?水が流れ、池になっている。墨の濃淡で明暗を表しており、線はあまり感じない。何でも、芳崖の試みを踏まえて描かれているそうなのだが。視線が低い位置なのも、特徴らしい。

この頃、春草は、東京美術学校で先生をしていたのだが、岡倉天心が、美学校をクビになり、日本美術院を設立。その時、春草も学校を辞め、天心について行った。

さぁ、ここから皆が知ってる春草になる。朦朧体登場。
この朦朧体って、何でも、岡倉天心が「日本画で、空気を描く方法はないものか。」と言い、その技法として生まれたのが、朦朧体なんだって。空気や光線を描こうとしたってコトらしい。ただ、春草は、写実表現には消極的で、朦朧体は、空気や光を描くコトで、情調を画面に与えようとしてたようだ。西洋絵画の空気遠近法のスフマート(暈し)とは、考え方が根本的に違うんだね。
線より、色彩主体の絵になっていくのは確かだケド。

『秋景(渓山紅葉)』。岩や紅葉。流れる滝。輪郭線がなく、ぼんやりとソフトフォーカスがかかったようだ。銀泥が酸化して黒い岩になっているが、描かれた当初は、キラキラしていたらしい。

『海岸怒涛(雄快)』。墨色の岩山と白い靄と海。もう、ばりばり朦朧ってる(笑)。背景はシンプルに朱鷺色。この色、春草は好んで使うなぁ。飛んでるカモメはアクセント。

『菊慈童』。仙人になった少年菊慈童。この少年は、湖を見ているのか、ポツンと1人立っている。木々には最早輪郭線はない。ぼんやりとした暈しで描かれる。このぼんやりさが、深山幽谷という感じで、とても良い。金泥を使っているらしく、それで画面に潤いを与える効果が出ているらしい。
キラキラして見えるのは、金泥のせいなのか。

『羅浮仙』。仙女かな?岩の上にふわりと浮かぶ美女。ふわりとした衣に青い着物。下は雲海のようなぼんやり感。

大きな作品。『王昭君』。元帝の時代。匈奴へ後宮から女性を差し出さねばならなくなった。どうせ差し出すのなら、1番醜い女にしようとする皇帝。それを肖像画で選ぶことにした。しかし、選ばれたのは、絶世の美女王昭君。女性たちは、「敵国に嫁になんて行くのは嫌!」と、絵師に賄賂を渡し、美女に描いてもらっていた。しかし王昭君は、賄賂を渡すことを良しとせず、絵師の反感を買い、醜く描かれてしまったのだ。

敵国に嫁ぐことになった王昭君は、少し困り顔。でも、それは、彼女につきそう侍女が泣いているので困っているようだ。後ろには後宮の美女たち。不安気な顔の女もいれば、「ザマーミロ」な顔の女もおり、ひそひそ話をする女もいる。全員が違う表情をしており、キャラ立ちしてるのが面白い。そして、相変わらずの白の使い方の美しさ。ふんわり感。でも、足元の墨色は不安感も感じさせる。「この絵、スゲエな。」と思ったら、重要文化財なのね。

『乳糜供養』。釈迦がえらくイケメンに描かれていて妙にツボだった。木の下に座る釈迦を拝む美女。

この頃から、今度は、色彩研究へ入って行く春草。1903年、大観と共にインドへ半年行って来た。なんでも、ティベラ王国の宮殿装飾の仕事を天心とするコトになり、大観と共に行ったのだが、そこで活動家に間違われて、仕事が流れてしまったんだそうな。そんなコトってある?日本人が来るって、連絡行ってなかったんじゃ・・・(^_^;)。
仕方ないので、春草は、遺跡めぐりをしたり、旅費を稼ぐため、個展を開いたりしていたそうな。
その翌年には、やはり大観とアメリカやヨーロッパに遊学した。
日本では不人気だった春草の絵だが、西洋では、「ターナーやホイッスラーの絵みたい!」と人気が出て、高値で売れたらしい。なので、ロンドンの画商と契約して、絵を売ってもらったりしてたみたい。何が起こるか分からんな・・・。

『弁財天』。インドで描いた絵らしい。楽器を持って蓮池に座る女神。伝統的なインド絵画の手法で描いている・・と説明には書かれていたが、そうかな?私、インド絵画の美術展行ったケド、もうちょっと、インド絵画は、ハッキリした感じもしたけれど。インドの雑誌には『サラスバティー』と、この絵は紹介されたらしい。日本で言えば、弁財天。

『松に月』。松葉の緑にはビリジアン・・西洋絵具が使われている。海外で売るので、西洋絵具を使ったのかな?松の葉に隠れるように月がのぞく。水面も見える。この水面にはプルシアンブルーが使われているらしい。確かにちょっとターナーっぽいかも。
しかし、春草の描く月は、どうして本当に輝いているように見えるんだろう?昔から不思議。

『夕の森』。青色に輝く木々。青の上に墨を乗せたのか、玉虫色に光って見える。空には鳥の群れ。夕暮れの桃色。筆触が協調され、青、赤茶など、思いがけない配色を試みていると説明にあった。補色が隣り合わせになっているのが、通常の日本画ではありえないらしい。

春草は「絵画の絵画たるべきものは、色彩。」とこの頃に言っている。

『春丘』。点描のようなピンクの花。蓮華だろうか?それと対照的な黄緑の丘。黄緑とピンク補色の関係。この辺り、確かに、あんまり日本画で見ない配色かも・・・。印象派の絵みたいって思った。

しかし、こんな実験絵なので、日本では、やっぱり、春草の絵は売れず、貧乏だったそうです。この頃、春草30歳。春草は、36歳で亡くなってしまうので、もう晩年ですね・・・。
岡倉天心が、生活のサポートしたりしてたみたい。

『月下波』。青灰の岩。水色の海。白い波。鉛色の空には、月が雲間から覗く。雁の群れも飛んでいる。やはり月が輝いている。どうして、ちゃんと輝く月が描けるんだ、春草!

『雨中牡丹』。私、この絵好きだったなぁ。雨は薄青い帯のような表現をしている。刷毛でスッて塗った感じね。左下には白い牡丹の花。3分2は空間で、葉っぱは灰緑色。何処か虚無的にも感じられて、とても好きな絵だった。

『普賢菩薩』。これ、重要文化財ですよね。則天武后に華厳の教えを述べた場面なのだが。中央に普賢菩薩。左に人物2名。朦朧体のあとはなく、補色が強調されている。橙色と緑とか、ガンガン補色を使っていた。僧の衣は青地に橙色の点々が乗っている点描表現。これが、まぁ、細かくて驚く。スーラの絵かよ!って思う。近づくと点々が見え、遠くから見ると色が混じって見える。これは、印象派の筆触分割と同じ理屈ですね。
第4回の文展に出展。大観の後押しもあり、入賞するも、一部の審査員には理解されず。
春草は「来年は、もっと分かりやすい絵を描いてやろう。」と、嫌味を言ったらしいです(笑)。

33歳の時に、病で失明の危機になった春草。1908年に制作を再開したそうな。この頃は、暈しはあっても、淡く部分的になり、木々や岩肌には筆触、水面には線が復活。これにより、透明感が増したそうな。

『秋木立』。病が治り、春草は渋谷に移り住む。この頃、春草は、近所の雑木林を良く描くようになった。これもそうなのだろう。下に笹の緑。そこから灰色の木の幹が伸びる。松の葉の赤茶。遠近法があるように見える。かなり写実的な木の幹なんだよね。

『落葉』。これも需要文化財かな。左隻に落葉と灰の木立ち。右隻に灰の木立ちと緑の若木。やや俯瞰で描かれている。良く見ると、左隻には、小鳥が2羽いる。背景は落ち着いた薄茶。木の幹は、木の皮が捲れた部分に白や茶の絵具を使い、妙にリアルだ。上の方は、色彩を薄くしているらしい。
春草は、「改善すべきは、西洋絵画も日本画もごっちゃにしていた距離。」と言っている。でも、「距離を追及すると、面白くなくなる。」とも言っていた。どうやら、春草は、距離の表現より、絵の面白味を表現する方を選んだらしい。

『富士』。山々の連なり。中央には白い富士山。空は灰青。妙に山の茶色と対比させている色合いに見える。ちょっとセザンヌの色合いみたいだな・・と。フォルムも日本画らしからぬ感じ。

『秋郊帰牧』。手前に馬と馬飼い。川に入っている。馬を連れて帰るところか?上部はススキの野原が描かれているのだが、ススキが宙に浮かんでるように見える。線が復活し、ぼんやりではなく、明瞭な形の絵になっている。点描で描かれたような石も。

そんな春草の技法てんこ盛りが、『四季山水』。全長9mの大作。春から冬へ移って行く、山や山村の様子が描かれている。不遇時代を支えたパトロンの秋元酒汀へ贈られた作品だったらしい。秋元は、前述の『落葉』も買ってくれたんだそうな。
今までの技法&モティーフを全部使ってる。暈し、細い線、点描。絵は、緑の木々、桜、川、船、紅葉、馬に乗る人、水車、雪山・・・、移りゆく季節の万華鏡。
木の枝の針金のような細さがスゲエんだ。これ、全部見られたの嬉しかったなぁ。

35歳。春草は、やっと絵が認められ、売れるようになってきた!でも、彼の寿命は36歳・・・・。

『雀に鴉』。屏風絵。左隻に雀が沢山。右隻には鴉が木にとまっている。木の幹は相変わらず写実的。春草は「酷い出来だ。」と言っていたそうなのだが、展覧会に出したら高評価で、宮内省お買い上げになり、明治天皇のお気に入りの絵になったそうな。

ここから急に猫コーナーが始まる(笑)。猫の絵が沢山見られるって言うのが、今回の展覧会の目玉なんだそうです。

『白き猫』。26歳の作品。前期展示の目玉がこれらしい。太い木の幹が画面上にあり、下に目つきの悪い(笑)白猫がいる。額に黒ブチ。尻尾の先も黒い。
この白き猫。何でも、中国北宋の徽宗が描いた猫図に習ったものらしい。本物もこんな目つきの悪い猫なのだろうか?毛のホワホワした感じは、やはり凄い。色に灰色をのせ、陰影をつけている。

春草は、別に猫が好きだったわけではないそうです。ただ、猫を描くことには興味があり、前述の徽宗の絵の模写なども良くしていたと。
好きじゃなくても、ここまで上手く描ければすげえよ、春草。

『春日』。白き猫と並べてあった。おそらく、同じく、徽宗の猫。こちらは、俯き加減で、何か獲物を狙っているんじゃないかと。梅の枝があり、花が咲いている。白き猫に描かれた木の幹も梅なので、つながってるようにも見える。(単純に、梅と白猫の構図が好きだっただけかも知れんが)

『黒き猫』。これは、重文ではなく、屏風絵の黒き猫。春草は、落葉の連作を経て、背景描写を省き、木と動物を描く作品を描いて行く。
これは、右隻には柿木と、それにとまる雀。空間がたっぷりとってある。左隻には、紫苑と、その前に黒猫。こちらの黒猫は、イラストっぽくも見える。雀を狙ってるように見える猫。

『柿に猫』。柿の木から、ぴょんと飛び降りた黒猫が、こちらを見ている。文展に出した黒き猫が評判になったが、この絵は既に売約済み。そこで、春草に「黒猫の絵を描いて!」という注文が殺到したそうな。なるほど!だから、猫の絵多いのか!

猫じゃないものも。
『柿に烏』。柿の木の枝にとまる烏。烏は下の柿の実を狙っているらしい。烏は、晩年(って言っても、晩年が35歳なんだが・・・)、春草が好んだモティーフ。「烏と自分は似ているところがある。」と言っていたそうな。漆黒のモティーフは、平面性を誘発し、丸い柿と対比出来たのも面白かったらしい。

『梅に雀』。これが、春草の絶筆だそうな。もう、木に力がないんだ。何でも、失明ギリギリで、目も見えず、春草は奥さんに背を向け、泣きながら絵を描いていたそうな。
そして、自分の37歳の誕生日目前にして、春草は亡くなってしまう。享年36歳。折角絵も認められて、売れ始めたのに・・・。
ひょろひょろと長い木に、3羽の雀。悲しい絵にも見えた。

岡倉天心は、「春草の絵は実験室のよう」と言った。それだけ、色んな試みをした人だったんだね。朦朧体と猫だけじゃなかったよ。

お土産は、ポストカード5枚。まぁ、グッズショップが、猫だらけだったよ!猫好きじゃない人は、どうしろと・・・(^_^;)。

菱田春草が好きな方、日本画が好きな方、猫好きな方も行ったら面白いのではないでしょうか?
11月3日までやっています。後期には、重文の『黒き猫』の展示もありますよ。
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