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2014年07月27日07:31

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12/5 Drakskip@千歳教会(後編)

民俗芸術祭でファンとなった函館市民をはじめ、北海道での単独ライブということで、札幌方面からやってきたお客もかなりあったようです。2012年6月のレッドベリースタジオに母娘でおいでになっており、翌日の地下歩行空間ではドレクの皆さんや女性スタッフの方と関西方面への進学の御相談をされていたいくみんとさんのお母様などもおいでになっていました(いくみんとさんはその後志望どおりの進学を果たされ、ドレク三昧の日々をお送りになっているようです。)。

Twitterでセットリストをお書きになっていた方があったので、参考にさせていただくと、
この日の曲目は、曲名不詳のポルスカ、「ビルディング」、「風見鶏のポルスカ」、ニッケルハルパソロ、「スンナの楽譜」、「夜に木霊」、「ゆるゆる」(スウェーデンのクリスマス曲)、「ジングルベル」、「ペールフォースのポルスカ」、Voice、「43人」、アンコールが以前からの盛り上がり曲「太陽を牽く馬」というものだったようです。

Voiceでは観客の大合唱、43人では浦川さんの口琴が響いたことと思います。

MCの中で意外だったのは、榎本さんがニッケルハルパを始めて3年という御説明でした。意外にもまだ3年。そう言われてみると私とドレクの出会いだった2008年秋の千歳烏山TUBOでは、榎本さんは専らフィドルを弾いてらした気がします。

2010年6月の初北海道ツアーの時はもうニッケルハルパを弾いてらしたことを覚えています。初日の当別紙ひこうきで、この楽器を見たことがある人はとのお尋ねがあり、私を含めけっこうな人数が挙手して、北海道の客はすごいなといった御反応だったのでした。
誰か女性客がごめんねーという声を上げてもいました。その頃弾き始められてまもなくだったということになりましょうか(それが最新アルバムでは榎本さんはニッケルハルパしか弾かず、野間さんが5弦ヴィオラに加えてフィドルも少々という状態です。)。

ちなみに私が挙手したのは、東京在勤中最後のライブ鑑賞となった2009年3月末のCrawdaddy clubでゆかるがの対バン相手のユニットが使っていた記憶があったからですが、調べてみるとホムンクルスというユニットだったようです。

榎本さんがまだ専らフィドルだった2008年秋の千歳烏山に足を運んだのは、ナギィが対バンだったからでした。客席には壷井さんや中村さんがいらしていた記憶があります(壷井さんは当時既にオオフジツボ関西ツアーでドレクと共演されていたことからだったのでしょう。)。全く予備知識はなかったのですが、現地でCD-Rを買ったのですから、気に入ったことは間違いありません。そうした音楽をやっている方々にはそれまで接した範囲ではある程度の年齢の方が多かったこともあり、当時まだ大学を卒業するかしないかといった年頃の彼らは新鮮で、若いのにこういう音楽を志すのかとの感慨を抱いて、こうした音楽を志す若者がいるのであれば日本の将来は暗くないといったことを当時書き記した記憶がありますし、ドレク初来道の時にも健さんの打弦人生にコメントした記憶があります。

TUBOでは終演後に打ち上げもあったのですが、当時は千葉に住んでおり千歳烏山から1時間以上かかることから、翌日の仕事を考え早々に帰途に就いてしまいました。

Drakskipは本当なら2009年3月にも音や金時でオオフジツボと共演する筈が、その日は榎本さんの急病により急遽オオフジツボソロとなり、東京時代のDrakskipとの遭遇は一度限りのこととなってしまいました(音や金時の客席に関西からコトリ木さんがいらしていたのはこの時です。)。

それが東京時代の一度限りの思い出ということでで終わってしまわず、彼らが北海道に来てくれた時には嬉しかったですし、それが今に至るまで続いているのは、彼らの実力が観る者に確実に伝わるからだろうと思います。

今や貴重品かもしれない千歳烏山で買ったCD-Rには、約2年後の2010年6月にのやで終演後にサインをいただきました。
今と違ってのやでの打ち上げにも残らなかったのですが、その際、小松崎さんには東京の藤野さんの御紹介と聞きましたがとお尋ねすると、そうです、ぼくたち呼んでもらえるような立場ではないのでと、どなたかがお答えになった記憶があります。
前日のあらさんも藤野さんの御紹介かと重ねてお尋ねすると、それは小松崎さんからお勧めいただいてというお返事だったのでした。縁が広がって嬉しいと。
その時は呼んでもらえるような立場ではないと言っていた若者らが、その後当別に札幌に函館に何度も招かれて、ついに御婦人のお招きも実現するに至ったのでした。

話を2013年12月に戻すと、これまでのニッケルハルパは借り物だったらしいのですが、自分のニッケルハルパを作ってもらえることになり、特別に早く完成させてもらってスウェーデンまで取りに行った榎本さんのマイニッケルハルパを初めて目にしたのもこの日のことだったと思います。

この日はニッケルハルパに関する説明が懇切で、キーは固定されていないので、このように平行に持たないと押した状態になってしまうとか、弓が短いのはそういう持ち方をして弾くからで、長いと顔面を直撃してしまう、初期の頃にはやってしまったことがあるなどなど、諧謔を交えた御紹介がありました。

渡辺さんはこの日は縦置きのバウロンはお使いではなかった記憶ですが、タンバリンがまるでバウロンのような豊かな音階だったことを覚えています。

会場内には御婦人手作りのダーラナホースのミニチュアや、物販類を置いたテーブルの敷物類にもキルティングに細やかな馬の模様が施されていました。メンバーの皆さんからも場内の飾り付けに感嘆する声が聞かれたので、これも御婦人が作られたものでしょうとキルティングを皆さんにお示ししました。

お客の数が少なくなるまで居残っているうち、メンバーの皆さんや御婦人たちとともに、美人女性スタッフの方に写真撮影していただくというひとこまもありました。

ひのき屋メンバーの女性もお客としていらしていて、芸術祭では御挨拶するいとまがありませんでと名乗りを交わしておられるのもお見かけしました。

Hard To Findとの共演などでドレクに親近感を抱いているらしき某M西さん(2013年の民俗芸術祭ではサイン列にも並んでおられました。)にも、香聡庵だったかでドレクが千歳教会においでになることをお伝えしてあったと思うのですが(やはり千歳町所在かと思われたようでした。)、当日はいらしていたかどうかわかりませんでした。翌12月6日(金)の函館港イルミナシオン映画祭前夜祭で出くわした際に、いらしていたことを聞きました。

前回の道南勤務の際に足を運んだ前夜祭は、白井良明さんらをゲストに招いたあがたさんのしっかりとしたライブという印象が残っていますが、今回久々の前夜祭はパーティー色が強く感じられ、あがたさんだけでなく地元勢の演奏者のステージが半分くらいありましたし、映画の関係者の御紹介なども多かったです。

M西さんは仕事柄映画祭に関係する若者の知り合いが多いとのことで、ステージに立った方々の中にも旧知の方がいらっしゃったようです。

私もやまじょうの太田さんや例の職場の同僚などを見かけました。

金森倉庫での前夜祭から自転車で帰る途中、雪が強く降り始め、翌朝にはかなり積もっていました。ドレクの皆さんは日曜日にお帰りになったようで、一夜にしての雪景色を御覧になったとのことです。

民俗芸術祭や地球祭りなどしょっちゅう函館にいらしている手回しオルガンの紀あささんも、ちょうどまたお仕事があって函館にいらしている最中だったとのことで、千歳教会にお客としていらしていました。ドレクの皆さんとのお写真にも一緒に写っています(翌日はイルミナシオン映画祭前夜祭でもお見かけしました。)。千歳教会でいただいたフライヤーを頼りに12月7日(日)の市内亀田本町キングべークでの演奏にも足を運んでみたところ、御婦人やM西さんもいらしていたのでした

地元での連日の催し。ちょっとかつての日々が戻ってきたようでもありました。

さて、ようやく2013年の出来事は終わり、次に記すのは2014年1月のこととなります。


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