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2014年06月15日22:09

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【おやからの脱却】魔術士オーフェン 女神未来(上下) 感想

まさかまさかの大円団でした。
いやだってもう絶対オーフェン死ぬとおもってたし。

ながーーーーーいシリーズでした。1巻が出たのが20年前でわたしが読み始めたのは12年前です。そんで私は25歳なので人生の半分ちかくそこにオーフェンがあったようなものというのはさすがに言いすぎです。
ごめんちょっと盛ってみた!
でもほんと感慨ぶかい…

で4部オーフェンを語るにあたってどうしても外せないのはなんといっても

・ベイジットちゃん。

正直4部の主人公はマヨールじゃなくてベイジットちゃんだっただろうというくらい、もう4部といえば私の中でとにかくベイジット。ベイジットの話だったと思う。オーフェンとかええねん、どうせあいつなにしても生き残るし。だからとにかく今夜はひたすらベイジットフィーバー。オールナイトベイジットン。

・秋田さんの書く女性キャラについて

まずここですよね。
わたしはあんまり女性キャラを好きになることがないんですけど、秋田作品の女性キャラっていうのはほんとにびっくりするほど胸にグッとくるすばらしい女性キャラが多いんですよ。
でちょっと特徴というか、登場当初は嫌いというかもう読んでてイライラするぐらいなのに、ある場面からカードが反転するように印象ががらりと変わって大好きになるという。
ベイジットも完全にそれでしたよね。もううざくてうざくてこじらせ系の中2かおまえはとぶっ飛ばしたくなるぐらい腹立つくそうぜえキャラだったはずが、流れ流れての戦場サバイバル生活(ベイジットちゃんなりの自分探しの旅)の果てのビィブとのぼろぼろのぶつかり合いからの「惚れた男が待ってんダ」からの「革命だよ」のあの怒涛の立ち上がり。
秋田さんのポリシーで『いい女はかっこよくないと』というのがあるんですけど、これかと。
またもうビィブとの関係性のすばらしさがね。ものすごいツボですこれ。
生死を隣り合わせに協力しあって生きてる一見家族な他人のふたり(※年齢差が有る)ていうの?
古くはバイオハザード2のクレアとシェリーのあの関係の感じっていうか…
FF8のレインとエルオーネもちょっと近いっていうか…ラグナも含めてもともと全員他人がいつのまにか家族になっていく感じというか…
わたしのものすごニッチな萌えツボポイントをつつくんです。

とかく「偉いヨ」「思慮があるならイイ男になれる」のシーンでほの見えるベイジットとビィブの、極限状態を共に生きのびて、それまであの二人の間に横たわっていた色んな壁、嘘やわだかまり、そういうのを全部超えて生まれた理解と信頼と絆が、もうね、おばちゃんたまらんかったです。

父と母と兄、全員が偉大な魔術士という家庭において、たったひとり自らが異分子であると感じ、孤独と劣等感を胸に溜めて生きてきたベイジット。
家族に反発し、挑発するかのように反抗を繰り返し、軽蔑には嘲笑い返し、ついには家庭にひびを入れて出奔し、己は己の好きなように生きるとうそぶいていたベイジット。
渡った原大陸で価値観すべてがひっくり返る経験を経て、「隊」という新しい家族を得てもはやキエサルヒマにも魔術士にもなんの未練もないように見えた彼女の中でそれでもどうしてもぬぐい去れなかった偉大な母の影、『自分はおかあさんに愛されなかった悪い子ども』という癒しがたい悲しみ。
そんな妹に「おまえにはこんな風に見えていたんだな」と、気づいてやれなくてごめんと謝ったマヨール兄ちゃん、あのシーンはほんとにオーフェン史上屈指のものだったと思います。
正直、あの時までマヨールはなんで妹が家を飛び出したのか本当には分かってはいなかったんじゃなかろうか。
娘に十八年間そんな思いをさせるなんて、ティッシは駄目な母親だなぁ…と思う反面、魔術士として落第者=母に愛されない子ども、と思いこんだベイジットもまた口ではどんなに言おうと骨の髄まで「魔術士」だったんだなぁと。
そんな自分とお母さんのことを「似てるんだ」と、正しく偉大で立派で絶対的な君臨者に見えた母親もまた自分と同じ不完全で我のつよい、思うようにいかないとつい頭に血が昇って言いすぎちゃったりやりすぎちゃったり、欠点も山ほど備えた当たり前の弱い人間なんだと分かってようやく、長かったベイジットの原大陸の旅が終わったんだと思う。

やっぱ可愛いこは旅すべきやね、とか親とは距離を置くことで見えてくることたくさんあるよね、とかそういうこと思わされる話でもあったと思います。四部オーフェン。
サブテーマ文句、親も人間なんやで。

・そしてマジク

四部と二部のえらい違いといえばこの人でしたよね。ブラディ・バース・リンさん。
「お師様!」言うてたあの可愛い子が戦争で酷使され疲弊しきってえらいことなってしまってもうメンタルが燃え尽きかけのカミーユみたいな状態の人ですけど、一巻冒頭のヴァンパイア戦で見せた強さかっこよさにもれなくわたしも骨抜きでした。四部マジク、かっこよかったなあぁぁぁ。
なんかもう、心に深い傷を残したまま20年以上人殺しを続けてぼろぼろに疲弊しきってる部分と、キムラック民も薄汚い陰謀屋もすべてまとめて燃やし尽くしてやりたいという狂気に取り憑かれそうになってるだろう部分と、フィンランディ一家や生徒といる時のへたれ駄目中年部分と、このバランス具合が絶妙に素晴らしかったですよね。常に廃人と狂人とマジクおじさんの間をギリギリ綱渡りしてる、ぴりぴりとカサカサのメリハリというか。
なんか三部何があったか知らんけどこいつエドに何かあっても助けなさそーだなー、ていうかあわよくばついでに始末しようと思ってそーなとことか、たぶん戦術騎士団に身を置いてるのはただ「カーロッタをこの世から消したい」それだけのためでヴァンパイアも市民の命もほんとはどうでもよくて、オーフェンにはそう口で伝えたんだろーなーとか、だからこそあの「ぼくの望みなんか叶えるつもりなかったんでしょう?」なんだろうなとか。

・そしてやっぱりとーちゃんなオーフェン

一部二部と、年下のクリーオウとマジクとの旅の中で度々「お、おとうさん…」と思わせるようなやりとりの多かったオーフェンさんでしたが、今回四部では物語の重鎮過ぎてほとんどそういった場面はありませんでした。三人の娘たちに対しても父というより上司のように接していて、わたしとしては「やっぱオーフェンさんは変わってしもたんや…」と少なからず残念な気持ちであったわけです。
が、最後の最後にですよ、言ってくれましたよね。

『あんなカーロッタ一匹ブチ殺したところで満足するわけあるか! その後誰が腑抜けたてめえの面倒見ると思ってんだ! んな酔いしれた性根でてめえのお師様がどんだけのもんか確かめる度胸があんならやってみろ!』

ああ、オーフェンにとってマジクって完全に家族なんじゃん、と。
扶養親族の頭数(たぶん犬の次)に入ってるいきおいでむっちゃ身内なんだと。
だって誰が面倒見ると思ってんだって、面倒なんか見んぞゴラっていう意味ですけど、それってやっぱりうちが面倒見るっていう図がありありと予想されてるからこそのこの言葉ですよ。
もう上司とか師匠とかじゃないですよ。とーちゃんかと。
心の底から家族だからゆえに敵同士として相対していてもオーフェンの「じゃ内部からの撹乱よろ」であっさり敵対終わるとかね。おまえらもうお互いどんだけ信頼してんねんと。

鬼のように強くて只事じゃない経歴の持ち主で敵はおろか仲間側からも化物扱いされるそんなマジクの身を、オーフェンは「いざという時は俺んとこが面倒みんと」と普通に案じてきたんだなぁと、そう思うとマジクさんの壮絶悲惨の人生にも大きな救いがそばにあったんじゃないかと少しほっとしたわけです。
原大陸はこの二人の守護者によって守られてるんだなぁというラストでした。

でも納得のいくラストだったかどうかというと微妙というのが正直な終幕でした。
20年越しのラストがこれかい!といったような。
エーじゃなに四部って世界終末系ヴァンパイアがとつぜん生まれてなんかよく分からない解決法を見てそれでおしまいってコト??それでお話そのものもおしまい??っていうか、、、
なんかシリーズの終わりとしては風呂敷くちゃくちゃのまんまやけどええのんけ??て思うんですよね。
これならまだ一部ニ部のほうがきちっと終わってたなぁ、と。。。
エンジェルハウリングやベティ・ザ・キッドなんかは惚れ惚れするくらいきれいに物語が終わったので、同じ作者の作品としてはやっぱり違和感を覚えてしまう。

ベイジットちゃんの自分探しの旅、とするならほんと素晴らしい物語だったと思います。
ただオーフェンとなると、、、やっぱ微妙だなぁ。
ていうかなんかどういう意図だったのかよく分かんないんですけど、オーフェンに対するクリーオウについて、意図的に排除されて書かれていたんですよね。
たとえばオーフェンと同時にクリーオウが登場する場面における地の文でクリーオウは徹底的に「クリーオウ」ではなく「妻」と書かれていて、オーフェン視点の場面でクリーオウが「クリーオウ」と登場するのはなんと最終巻なんですよ。
この演出がぜんぜんよく分からんかった、、、。
なんかこう、ちゃんと場面が用意されているんならいいんですよ。このためにずっと「妻」と書かれていたんや!と思うくらい決定的な場面でクリーオウの存在が「妻」から「クリーオウ」となるような、そんな場面が。あると思うじゃないですか。でもこれといってそういうのもなく。読み落としてるんじゃないですよ。ほんとに見当たらないんです。
なんのためにオーフェン視点でずっと「妻」表記で、それでいて最終巻の途中から「クリーオウ」表記に変わったのかほんとよく分からん。
なんかそういうドラマティックなことは今さらしたくない玄人の恥じらいかもしれませんけども、、
でもマヨールとイシリーンにああまでページを割くなら、オーフェンとクリーオウにも1ページでいいから、ふたりの20年余の時間を感じさせてあまりある、そんなシーンがほしかったナァ、、、。
だって読者がなんのために続編読んでたって、オーフェンとクリーオウ(あとゴンさん)が気になるから読んでんだよ!と。分かってんのかゴラ秋田!

と、総合的に振り返ると不完全燃焼感もいなめなかったオーフェンシリーズ。
だってなんかこう、、「いい物語」って「続きが読みたくて読みたくて読みたくてしかたない物語」だと思うんですよ。
だから完全にキチッと終わる必要は実はないと。
ただその切り取った物語の枠の中で、必要なことをちゃんとやりきったらいい。余白は残しておくべき。その余白に我々読み手が切なさと恋慕にも似た熱を覚えるのだと思う。
もうほんと理想は「あと3ページでいい。続きを」。バーティミアスの最終巻を読み終えた10才の男の子のほとばしる魂の叫びですよ。(※昔そういうのがあったのです。)
今回のオーフェンでいうと、ちゃんと終わったし必要なこともちゃんとこなしたけど、ただもう続きが気にならないというか、、
残した余白が大きすぎるんですかね。
もう、いいよ、このあとも日常が続いていくんだろう?と私の中でフランス人が憂うつげに言うんです。

やっぱ長すぎたら駄目なんかねー。でも重ねてベイジットちゃんはかっこよかった。


『魔術士オーフェンはぐれ旅 第四部』/秋田禎信

だいぶはしょったつもりやけど、とんでもない長さだな!

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